奥州初老カメラ小僧

趣味のカメラ・音楽、身辺に起る出来事等、好き勝手・気ままに綴るブログ。閲覧はご自由に。でも、無断引用は御遠慮下さい。

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2014-03-27 06:44:07 | 日記
初投稿

LPジャケット写真と室内楽

2013-03-06 16:27:14 | 音楽


最初入学した大学の3年生の夏までは、古典派以降のクラッシク音楽には興味がなかったが、それ以降は主に交響曲・管弦楽曲・協奏曲等を、当時のFM雑誌等に時々掲載される名曲・名盤選という案内を参考に、例によって、廉価盤で揃えていった。(拙稿「夏休みの思い出」参照)

しかし、室内楽に関しては、せいぜい、廉価盤で、モノラルのスメタナ四重奏団(スプラフォン)で、ドヴォルザーク「アメリカ」&シューベルト「死と乙女」がカップリングされたレコードを買うくらいで、あまり熱心に聴く事はなかった。

3番目の大学に進学して2年くらい経った秋の頃、大学生協でレコードのバーゲンセールをやっていた。いつもは、定価の1割引のところ、何と2割引というので、生協のレコード売り場を覗いてみた。

陳列されたレコードの中に、BASFを離れたドイツ・ハルモニア・ムンディの廉価盤が多数あった。

ハルモニア・ムンディはルネサンス・バロック音楽のレコードに定評があったので、主にそうした類のレコードを数枚購入したが、LPジャケットの写真で1枚だけ気になるものがあった。ついでだから、それも購入した。添付写真のレコードである。

コレルリのクリスマス協奏曲等当日購入したレコードを毎日1枚ずつ数日かけて聴いてみたが、添付写真のレコード=シューベルト「死と乙女」は一番最後に聴いた。

そのレコードで、第二楽章でテーマの変奏部分を聴いていたら、誰とも口をききたくない位のショックを受けてしまい、暫くの間、茫然としてしまった。

室内楽はオケよりも演奏者の人数は少ないが、時として、オケ以上に雄弁(=intimateな雄弁:形容矛盾?)になる事を実感し、その後、機会を見つけては、ベートーベンの「大公」・ブラームス「弦楽五重奏曲」・ボロディン「弦楽四重奏曲第2番」・フランク「ヴァイオリン・ソナタ」・メンデルスゾーン「八重奏曲」・シューベルト「弦楽五重奏曲」等の室内楽のレコードを、買い求め、聴くようになった。

手元に、レコード芸術編「21世紀の名曲名盤-3 究極の決定盤100」(ONTOMO MOOK 2004)という雑誌がある。この雑誌で、シューベルト「死と乙女」の項(62~63頁)を見ると、新旧のアルバンベルクS・Q盤ハーゲンS・Q盤・東京S・Q盤等が列挙されおり、そのうち5~6枚のレコード・CDを所有しているが、残念ながら、ハルモニアムンディのコレギウム・アウレウム盤に関しては記載がない。

しかし、それでも、私にとっての、シューベルト「死と乙女」のベスト録音は、所有している新旧のアルバンベルクS・Q盤ではなく、現在でも、コレギウム・アウレウム盤である。

多分、あの時、添付写真にあるLPジャケット写真に出合う事がなければ、コレギウム・アウレウム盤も聴く事はなかっただろうと思う。

ところで、録音媒体がレコードからCDに代わったが、LPジャケットの写真やデザインで購入を決めた楽しみが、果たして、CDの時代になった現在でもあるのだろうか?

カラヤンのマタイ受難曲 NO.4

2013-03-02 22:14:40 | 音楽
中間考察が長くなり過ぎた。

本題に戻り、カラヤンのマタイ受難曲の演奏について、述べて行こう。

録音された全曲を、私のような下々の人間には手の届かぬ雲上人=高尚な(?)なレコード評論家のように論じては、総花的になってしまうので、私が、カラヤンの演奏の特徴が一番出ている、一曲を取り上げて論じようと思う。

その曲とは、第一部の最終部分に登場する。

「イエスを裏切った者があらかじめ彼らに、『私の接吻する者がその人だ。その人をつかまえろ』と合図しておいた。彼はすぐにイエスに近寄り、『先生、いかがですか』と言って、イエスに接吻した。」(日本聖書協会1954「新約聖書」マタイによる福音書第26章47~49節)

その直後、イエスは群衆に捕縛される。

その後に、マタイ受難曲では、合唱付きのソプラノとアルトの二重唱(第27番)が歌われる。

「この曲は、それがイエスの歩みを見守っての報告と反応であること、二つの演奏グループの対比を生かしていること、ホ短調を基調とするなど種々の点で、(第一部:引用者挿入)冒頭合唱曲と対応する性格を有している。ピカンダーの台本(自由詩のみ)ではこの曲が第一部の最後に置かれているから、この対応は、意図的な枠組みの設定とみることができよう。」(磯山雅著「マタイ受難曲」1994東京書籍257頁)

バッハのマタイ受難曲では、殆どの場合、レシタティーボの後にアリアが歌われる。しかし、レシタティーボがなく、アリアで始まる曲もある。第8曲のソプラノのアリア、第39曲のアルトのアリア、第42曲のバスのアリア、そして、この第27曲である。

アリアの前にレシタティーボを歌う事は、「この後で皆様お待ちかねのアリアが始まりますよ」という合図の側面があり、聴衆にアリアを聴く態勢を準備させる。

それに対して、レシタティーボがなく、突然、アリアが始まる事は、聴衆にショックを与え、それだけ、曲の印象を強く与える効果があるように思う。

【余談:カラヤンのマタイ受難曲付属の解説書に、第8曲(レコード発売当時は第12曲:以下同じ)のソプラノの歌詞の後に「ロ短調 4分の4拍子 レシタティーヴォなしに直ぐさま現われるアリアは他に二つしかない(第39(47)、42(51)曲」と記載されている。何故、解説者:東川清一氏が、第27(33)曲を除外したのか、不可解】

この曲のカラヤンの演奏は、実に「もっさり」しており、第1曲目の堂々とした演奏から感じられる気迫が全く感じられない。第1曲との意図的な枠組みの設定を感じる演奏ではない。

カラヤンのようなオーケストラ形式のマタイ受難曲を、クレンペラー・ショルティでも聴いてみた。

念の為、ソリストを列挙してみよう。(ソリストはソプラノ・アルトの順に記載)

カラヤン:グンドゥラヤノヴィッツ・クリスタルードビッヒ
クレンペラー:エリザベートシュワルツコップ・クリスタルードビッヒ
ショルティ:キリ・テ・カナワ・アンネゾフィーフォンオッター

ソリストに関しては、各演奏は互角と言えるだろう。

カラヤンを除き、特にショルティの演奏は、第27曲の有するダイナミックさをヒシヒシと感じる事が出来る。

カラヤンの演奏では、イエスが捕縛された後の弟子たちの動揺はあまり感じられず、音楽によって、一般の聴者達に、その情景を想像しなさい、というバッハの意図や訴えは感じる事は出来ないように思う。

磯山氏が「アリアはいずれもカラヤン・・・得意の感覚美、なめかしいレガートに満ちていて・・・聴き手の関心を、その次元に引き止めてしまう」(磯山氏・前掲書・468~469頁)と指摘する通りだろうと思う。

また、カラヤンのレガート重視の傾向は、吉田秀和氏が夙に「・・・カラヤン指揮の特徴のもうひとつの大きな点は、彼がますますレガート奏法を重視するようになってきている・・・」(「世界の指揮者」ラジオ技術社1973 276頁)と指摘している。

このブログのNO.1にも引用したが、カラヤン教の伝道師の「墨をたっぷりしみこませた毛筆によった書のゆたかさと確実さがある」という賞賛は、上記の考察からも分かるように、「一体どうなの?」と首を傾げてしまわざるを得ない。

「墨」という言葉からの安易なイメージで恐縮だが、共にモノラル録音の、メンゲルベルク(1939 ライブ)とフルトヴェングラー(1954 ライブ)とも聴き比べをして見たが、カラヤンのように、ドラマチックさに乏しいモッサリした演奏ではなかった。

カラヤン教の信徒には、歌唱芸術として、カラヤンのマタイ受難曲は素晴らしいものかも知れないが、マタイ受難曲の生まれた背景や作曲者J.Sバッハの作曲意図を考えると、マタイ受難曲のレコード・CD・DVDを含めて約30種類を所有する者としては、カラヤンのマタイ受難曲は、決してお勧めできない代物のように思わざる得ないのである。



カラヤン教の伝道師は、カラヤンのマタイ受難曲をワグナーの「トリスタンとイゾルデ」の演奏との比較で論じているが、その顰(ひそみ)に習って最後に一言。

復活祭の頃を舞台にしたオペラに、ワグナーの「タンホイザー」がある。カラヤンのマタイ受難曲を聴いていると、レガート奏法というヴェーヌスに魅せられたタンホイザー=カラヤンが、私には見え隠れするように思えてならない。しかし、エリザベートの犠牲死によってタンホイザーの魂は救済されたが、果たして、カラヤンの場合は?

カラヤンのマタイ受難曲 NO.3

2013-03-02 18:21:47 | 音楽
モノディ様式の成立によって、アリアとレシタティーボという唱法が生まれ、声楽曲の中にもドラマ性のある作品が生まれた。

ルネサンス期は、例えば、デュファイを筆頭に、ジョスカンデュプレ・パレストリーナ・ラッスス・ジェズワルド・ヴィクトリア等の作曲家が登場し、ポリフォニー音楽の花盛りの時期であった。

私などは、ヴィクトリアの聖週間の為のレスポンソリウム集を初めてレコードで聴いた時の感動は、今でも忘れられない思い出である。
(私のポリフォニーの声楽曲の好みについて言えば、イスパヴォクスのスペイン古楽集成Ⅳ「カリストの写本」第7番目『コンガウデアント・カトリチ』《日本コロムビア OS-2710-H 1972》も忘れられない名曲である。)

しかし、ラテン語で歌われる、これらのポリフォニー形式による宗教曲には、宗教的法悦は感じられるものの、果たして、ラテン語を解さない一般大衆には、その内容を理解し、ドラマ性を感じ取る事が出来たであろうか?

モノディ様式の成立=アリアとレシタティーボという唱法が導入され、声楽にもドラマ性が生まれ、歌詞も自国語で歌われる事によって、一般大衆にも理解可能となったが、これは、オペラだけでなく宗教曲にも当て嵌まり、その頂点に達した時に、J.S.バッハのマタイ受難曲が成立したと言えるだろう。否、正確には、バッハのマタイ受難曲は、バロック期のモノディ様式による宗教曲のAkmeを象徴しているのである。

バッハは、アリア・レシタティーボ・合唱を巧みに組み合わ、作曲技法に工夫を凝らす事で、キリストの受難物語を、一般大衆にも理解し易いものとしたが、しかし、その作曲の根底には、当時のプロテスタントで認められた教義があり、従ってまた、音楽による宗教的啓蒙という使命があったように思う。

『啓蒙』とは、何処ぞの旧制高等学校寮歌にある「栄華の巷低く見て・・・」と言う側面もあるが、一般大衆を自分が信じる正しい道へ導こうという使命感が伴う。

それと同時に、受難曲に込められたキリストの物語・教義及びプロテスタント教義を、一般大衆に向けて、更に印象深く、忘れらなくするために、当時の俗謡(=ハンス・レオ・ハスラー作曲「わが心は千々に乱れて」という恋愛歌:讃美歌136番)を様々に編曲して挿入すると言う計算までしている。流行の恋愛ソングを、聖歌にしてまでも、布教の一助とする強(したた)かさがバッハにはあったように思う。



(追記)このブログを読み返しながら、NHK教育TVの「らららクラシック」を見ていたら、《燃える指揮者》こと小林研一郎氏によるシベリウスの交響詩「フィンランディア」が冒頭に流れていた。プロテスタント派の伝統か、フィンランディアのメロディも讃美歌に取り入れられている(讃美歌298番)。

カラヤンのマタイ受難曲 NO.2

2013-02-28 13:04:00 | 音楽
拙宅前にカトリック教会がある事は前述したが、その教会には幼稚園が併設されていた。

当然、私はその幼稚園に3年間お世話になった。その期間、何か行事があると、教会の御堂に入れられ、神父さんから、その行事に因んだ説教というか訓話を、よく聞かされた。

教会の御堂側面の各窓の上の所に、イエス・キリストが十字架の架けられるまでの、受難の物語を描いたモノクロの絵が掲げられていた事を思い出す。

神父さんの説教より、キリストの受難の絵の方が、記憶に残っている。

故・小沢昭一氏は、「私のための芸能史」(新潮文庫 1983)の136頁で、

「説教を、その物語の展開をわかりやすくするために絵をみせてそれを指し示しながらやれば、それは絵解である。中世以来、絵解法師や絵解比丘尼が、寺の縁起や地獄極楽の絵巻物をたずさえて、大道に出没し、布教に一役買うと同時に、その芸を身すぎ世すぎのわざ(=原文にはルビあり)とした。」

と記している。彼は、「・・・何の宗教でも芸能的要素はつよい。逆に日本の芸能のすべてが、カミ、ホトケにその源を発して」(前掲書129頁)おり、説教・絵解にルーツがある芸能もある、とその著で持論を展開している。

日本にしろ、西欧にしろ、現在と違って、中世から近世まで、啓蒙主義的思潮が社会に発生するまで、一部の階層・有識者等を除き、一般大衆の殆どは、言葉は話せるが、文字を読めない=文盲であったと思う。

殆ど文盲であった大衆に向けて、宗教家が布教や故事来歴を伝えるのには、絵や音楽は、非常に効果的であっただろう。

ところで、プロテスタント教会とカトリック教会とでは、礼拝堂内の雰囲気が全く違う。

カトリックでは、キリスト・マリア・聖人等の聖像・聖画があるのに対して、プロテスタントでは聖像・聖画及びそれに類するものがない。

民衆の宗教心を刺激する礼拝堂内にある芸術作品として、カトリックでは人間の視覚に訴えるものと人間の聴覚に訴えるものの2種類があるのに対して、プロテスタントでは人間の視覚に訴えるものがなく、人間の聴覚に訴えるもの=音楽しかないのである。

こう考えて来ると、プロテスタント教会にとって、カトリック教会以上に、布教活動では、音楽が重要な役割を担うようになる。

プロテスタントの三大テーゼは、1.聖書のみ2.信仰のみ3.万人祭司であるが、このテーゼ及びカトリックというフィルターを通していないキリスト教本来の教えを、文盲が殆どの大衆に理解させるには、言葉による説教では不充分で、何か、人間の感覚に直接的に、肌身に感じさせる手段が必要であろう。

しかし、プロテスタントは視覚による訴えを放棄した為、聴覚に訴える手段=音楽しかなく、しかも、特殊技能としての歌唱力を必要としない、一般大衆が平易に歌える合唱に力点が置かれるようになったように思う。
(M.ルター作詞・作曲の讃美歌267番=原題:EIN' FESTE BRUGはその具体例)

以前、このブログの「オペラと私(1)」で、オペラも受難曲もルーツは同じという事を書いた。

そのルーツとは、『モノディ様式』である。大学時代、一般教養の音楽(音楽史:中世ルネサンスからバッロクまで・講師M音大のN氏【当時】)の授業で、モノディ様式は、一方はオペラに、他方はオラトリオ・受難曲にと、聖俗二方向に分かれ、それぞれ発展したと習った。(続く)