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キタノカチドキで菊花賞制覇時の武邦彦 172センチの長身を綺麗に折りたたんだ、しなやかなフォーム。「絹糸一本で馬を操る」とも言われた繊細なアクション。気がつくと前の馬を射程圏に入れていて、涼しい顔で抜け出してくる。詩人の寺山修司が〈子供時代に見た「手品使い」の男を思い出す〉と表現した騎手、武邦彦を、人は「ターフの魔術師」と呼んだ。若いファンには「武豊・幸四郎の父」としての方が通りがいいかもしれない。でもそのスマートで柔らかな騎乗は、さまざまな名馬の思い出とともに、今も色あせることなく記憶されている。 この約1か月後にはロングエースでダービーに挑み、歴史に残る大接戦となったランドプリンス、タイテエムとの「三強」対決を、大胆に仕掛けを遅らせた冷静な騎乗で勝利。 翌昭和48年の菊花賞では、負傷した嶋田功の代打でタケホープに騎乗。逃げ切り濃厚だったハイセイコーを、並んで相手の強さを出させないよう、あえて離れた大外を回る奇策でギリギリ差し切った。また昭和49年には、この年から導入されたシード(単枠指定)制度を初めて適用されたキタノカチドキで、皐月賞と菊花賞の二冠を制している。 昭和51年ダービーではテンポイントに騎乗しているが、その年の有馬記念では今度はトウショウボーイに跨り、テンポイントを破った。トウショウボーイではその他にも翌年の宝塚記念や、当時は6月下旬に2000メートルで行われていた高松宮杯(現・高松宮記念)も勝った。関西の騎手に、関東の名馬への騎乗依頼があることは珍しい時代で、それほど関係者の評価は高かった。 私も当時は大学生・・・・ハイセイコー ・ロングエース・キタノカチドキ・タケホープ・トウショウボーイなどはすべてライブで見ていましたから・・・77歳現代では・早すぎる死では?おそらく病気だとは思いますが。 今は中央競馬会の秘宝として活躍の三男豊の登場・・・馬はもちろんですが・騎手としてこれだけの素晴らしいジョッキーをまさに輩出ですね。ご冥福をお祈りしています”” |