読書備忘録

日々の読書メモと万葉がらみのはなしあれこれ・・になるかどうか

司馬遼太郎 他  「日本の中の朝鮮文化」「古代の日本と朝鮮」「日本の渡来文化」

2013-09-01 09:26:46 | Weblog

 数日来の雨で、すっかり秋の気配になった。気がついたら、もう9月なのだ・・。

 司馬遼太郎が読みたくなり書棚を探したら、標記の3冊が目にとまり、ぼつぼつと拾い読みしはじめている。このシリーズは、昭和40年代に発行されていた「日本のなかの朝鮮文化」という雑誌に掲載されていた座談をまとめたものである。司馬遼太郎の言葉を借りるなら、さして「削ぎ立った目的意識もなく」ただやりたいからやるという連中があつまって、日本と朝鮮の古代あれこれについて語り始めたという。上田正昭・林屋辰三郎・湯川秀樹・井上光貞・梅原猛・岡本太郎・直木孝次郎・松本清張等々・・・・・。これほど多彩なメンバーが集まると時として泥沼的論争におちいりがちなものだが、そうならなかったのは、きっと生前“人たらし”と称揚された司馬遼太郎の座運びの妙なのだろう。そんなことどもに思いをはせながら読むのも、このシリーズの楽しみといえる。

**************************************
「朝鮮半島の征服者はつねに満州(中国の東北地方)から来た。朝鮮史というのは要するにこのように北方の血液がたえず滴り落ちて混血することでできあがっている」 
**************************************

 はしがきの一部だが、「北方の血液がたえず滴り落ちて」という絶妙な表現は、世の学術論文数百冊分に値するのではないだろうか。たったこれだけの文節で、司馬遼太郎の当時思い描いていた東アジア古代像が浮かび上がってくる。
 さらに司馬はいう。はるか昔から南朝鮮にいて朝鮮語の原型的な言葉を話していた「韓族」は、馬に乗ってやってきた北からの支配者を受け入れながらも、彼らを自文化に同化させてきた。その南朝鮮の韓族がはじめは部落国家を作り、次いで馬韓・辰韓・弁韓といわれる三国にわかれ、やがて新羅・百済・高句麗という三国を作った。この古代南朝鮮韓族と、倭といわれた日本の古代九州の関係。その関係を解き明かすことができれば「とほうもなく興味ぶかいものになるにちがいない」のだと。この北方の血のしたたりは、当然日本という国家形成に大きな意味を成しただろうというのである。
 どこか江上波夫「騎馬民族国家」をほうふつとさせるが、司馬の視線はそのような学説とは少し距離を置いた、人々が民族などという意識も薄く玄界灘や東シナ海を縦横無尽に航行していたころに思いをはせることの、精神の解放感にこそあったのではないだろうか。