私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

埋蔵文化財センターで 播電鉄道物語

2018-10-25 14:43:22 | 歴史探索
 10月25日(木)   天気:晴れ    室温;24.3℃

 きのう 龍野歴史文化資料館へ ”たつのに鉄道がやってきた” を見に行きましたが
きょうは 第2会場のたつの市立埋蔵文化財センターへ 明治維新150年記念 企画展
”播電鉄道物語” を見に行きました。 ここも 展示品は 写真撮影は禁止ですが 資料を
100円で 販売しているので 買いました。 安いし ありがたい。


 本年は 明治維新から150年にあたります。 たつの市立埋蔵文化財センターでは
これを記念する 市立龍野歴史文化資料館の特別展 「たつのに鉄道がやってきた」 と合
わせ、明治時代に 播磨で初めて電車を走らせた郷土の先人たちの偉業を 多くの方々に
知っていただくため、企画展 「播電鉄道物語」 を開催します。

 後に 「播電鉄道」 となる 「龍野電気鉄道」 は、明治42年1月に 網干駅~龍野
町間を 開通させます。 これは 国内では 22番目。 県下では 阪神電車に次いで 2
番目と、全国的に見ても 比較的早い時期の開通でした。 ちなみに 播磨では 初めて電
車が走ったことになります。
 線路の幅は 1.435mの標準軌で、現代の新幹線と同じサイズです。当時としては
新しい試みとなり、国内では 4番目の採用にあたります。
  
 
その後、明治42年2月には 龍野町~觜崎間、同年3月には 網干港~糸井間が 開通し、
大正4年には 「新宮軽便鉄道」 が 觜崎~新宮町間を 開通させています。 大正9年
に 「新宮軽便鉄道」 は、「播州水力電気鉄道」 となり、同社は 「龍野電気鉄道」 を
買収し、5年後の大正14年に 「播電鉄道」 になったのです。
 下の地図は 国土地理院発行の2万5千分の1の地形図 (1926年)「網干」、「龍野」 を一部改変したもの。
  
  
 最盛期の昭和3年度には、約107万人の旅客と 約3万5千トンの貨物を運んでいます
が 会社の経営は苦しく、昭和7年7月に 姫路からの省線姫津線(のちの姫新線)が 播
磨新宮間まで 開通したことにより、旅客も貨物も減りはじめ、昭和9年12月に 政府の
営業補償金を受けて 電車の運転を取りやめました。  その後は 「播電自動車」 として
バスを運行し、昭和18年に 「神姫バス」 と合併して 現在まで続いています。


 本展では、生涯をかけて 「播電鉄道」 の研究に取り組んだ 故木村昌晴氏(姫路市)
の貴重なコレクションを中心に、「播電鉄道」 の歩みや 現在も残る遺構などを紹介します。

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