私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

美の壺 志野焼

2015-04-09 17:05:33 | 日記
 4月  9日(木)  天気;曇り   室温:18.7℃

 4月3日(金) 7:30から BSプレミアムで 鑑賞マニュアル ”美の壺 File No.336
桃山の白に憧れて 志野焼” が 放送されました。 志野焼は 桃山時代 わずか20年間
しか焼かれず 製法が途絶え 長い間 謎の焼物といわれ ましたが 昭和初期に 復活され
ました。  志野焼は 自由で 暖かく 楽しい・・・。
 
番組案内には
 番組開始10年目に入る 今回は、桃山時代に 生まれた 「志野焼」です。
 日本人が 憧れた白い釉薬の焼き物には 日本独自の美学が 結実。
、茶人や 通好みの器として 愛されてきました。 今回は 志野の “名品づくし” で お届けします。
 人間国宝の作品あり、魯山人あり、更には 滅多に お目にかかれない 国宝の茶碗まで 登場します。
 一度は 途絶えた ”志野焼” が、昭和初期に 再興された意外な 歴史秘話も 紹介。
 日本の焼き物の良さが 詰まった ”志野焼の美” を じっくり ご堪能下さい。

 陶芸家・鈴木 蔵は 昭和9年 岐阜県生。 釉薬の研究をしていた父の助手として 丸幸陶苑試験室に
入社し 加藤幸兵衛のもとで 作陶を学ぶ。 以来 ひたすら 志野に取り組み 一貫して ガス窯による
志野の焼成に 挑み続けている。 日本陶磁協会金賞、日本工芸会理事。 94年 人間国宝。
 志野焼は 高温で焼いた後 ゆっくり冷ます。 色の決め手は 釉薬。 鈴木は 長年 釉薬の研究を
重ね 火加減、釉薬の調合を実験しました。  釉薬は 5%づつ 配合割合を変えて 実験。 多く実験
したものが 勝ち・・。

志野焼とは
 安土桃山時代に 織部焼の一種として 岐阜県可児郡や 土岐市を 中心とした地方で 焼かれた陶器。
 厚い胎土の大ぶりな器体に 白い長石釉 (志野釉) を たっぷりかけて 焼くのが 特色。
 志野釉だけの無地志野、素地に 鉄釉で 簡素な絵や 文様を描き、志野釉をかけた絵志野、
 白素地に 自然の酸化鉄 (鬼板) を かけ 志野釉を施した鼠志野、これと同じ手法で 赤く発色した赤志野、
 白土に 赤土を練込んで 成形した練込志野 などの種類があり 茶碗、水差し、鉢、皿などが作られた。

  志野の特徴は 白と緋色。 志野焼の白い肌は 陶土に 長石の釉薬をかけて作ります。 白い肌を
作ることによって 絵が 描けるようになります。 土に含まれる空気が 焼くと気泡となって 表面に出ます。

 抽象的な絵は 見る人、季節によって 見えてくるものが違う。 茶会では 出された茶碗の
絵を見て 客が 志向を読み解くのです。  下の茶碗に描かれた鳥居のような絵を 石州は
垣根に積もった雪に雪に見立てて 歌を詠んでいます。

 長らく途絶えて 謎の焼物といわれていた志野焼が 昭和初期に 復活した。 それは 竹の子文
の陶片が 発見されたのが きっかけでした。  陶片が 発見されたのは 荒川 豊藏の祖先の窯跡
だった。 豊藏は 魯山人の弟子を止め 大萱に 窯を開いて 志野焼を復活します。

 荒川 豊藏(1894~1985年)は 昭和を代表する 美濃焼の陶芸家。 岐阜県多治見市 出身。
桃山時代の志野に 陶芸の原点を求め 古志野の筍絵陶片を発見した 牟田洞古窯跡のある大萱に
桃山時代の古窯を 模した半地上式穴窯を築き 古志野の再現を目指して 作陶を重ねた。
終には 「荒川志野」と呼ばれる 独自の境地を 確立した。  人間国宝。

 志野の茶碗には 不思議な哲学が 隠されています。 形には ロクロとヘラで 微妙なゆがみが
加えられ 手や口で 触れるところには 日本の味わいの文化が・・・。 

 現代の陶芸家は 大胆な発想で 藍色志野で シャープな造形を作っています。 釉薬を スプレーで
吹きつけて 釉薬の濃い薄いを調整し 梅花皮(かいらぎ)といわれる 釉薬が 縮れた様子を 作ります。



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