大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

三鈷の松

2017年05月10日 | 植物
先日訪問した京都城南宮の庭園で「三鈷の松」(葉が三本あり黒松の一種)に出会いました。
数年前、高野山伽藍の境内、御影堂の前に植えられている三鈷の松を見かけて以来です。

高野山での伝説
延暦23年5月に入唐した空海が、その2年後帰朝する際明州の浜で、自分の学んだ密教を教え広める根本道場として伽藍を建立しようと思う。
「願わくば伽藍建立に適した地を示したまえ」という誓願を立てて、空に向けて密教法具の三鈷杵を投げられますと、それは紫雲に包まれ東の空へ飛び去りました。
その三鈷杵は、密教正嫡の阿闍梨の位についた空海に引き継がれた八種の法具の内の一つで、現在高野山の至宝として厳重に保管されているそうです。

帰朝の後、伽藍建立の地を求めて紀伊の国、紀の川上流の山へ登りますと、そこで一人の女性と出会いました。
「あなたがお探しの三鈷杵は、この先の松の枝に掛かっております。私は、この山の主の丹生都比売といいます。」
確かに松の枝に明州の浜から投げられた三鈷杵が光を放ちながら掛かっており、空海はこの地に伽藍を建立する事となりました。
というわけで、伽藍の境内、御影堂の前には三鈷の松が立っております。幾度もの火災に焼かれ今ある松は六代目の実生です。
いまでも、三鈷の松の葉は福が来るといってお守りとするため拾っては持ち帰る方々が多いのです。
というのが、高野山での「三鈷の松」伝説です。

司馬遼太郎の「空海の風景」にも記述があります。
「あらたに密教正嫡の阿闍梨の位についた空海が、正嫡の阿闍梨として持たねばならぬ付属品がある。日本の天皇家の例でいえば皇位継承のしるしである三種の神器のようなものであるといっていい。八種あった。この八種はインド僧金剛智が南インドから唐に渡ってくるとき請来したもので、それが相続の印可として金剛智から不空に伝えられ、不空から恵果に伝えられ、恵果から空海に伝えられた。恵果から空海に伝えられる場合、海を渡ってしまうため、唐にはもはや密教正嫡を証明するこの八種のしるしは存在しなくなる。このことを思うと、恵果が空海に相続させたという事柄そのものが尋常でないことがあらためて知らしめられる」

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする