ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

好天に誘われ、城山から臼杵山を歩いて来ました 1/2 ――― グミ尾根の名前の由来は?

2015年12月08日 | ハイキング/奥多摩

2015/12/1  とりわけ、どこへ行きたいとか、どんなことをしたいとかはありませんでした。でも「明日はとっても天気が良さそう」「仕事も休みだ」。「だったら、山を歩きに行こう」。
こんな成り行きで山へ行くことになりました。こんなこともあります。
否、むか~し、こちらへ引っ越してきたのは、こんなことが可能になるためだったような気もします。朝目覚めたら、天気がすごく良かった。じゃあ、山でも歩いて来るか。そんな山歩きが出来るのも、山のすぐ近くに住んでいるからこそです。

登山は「早立ち早降り」が原則だとは重々承知なのですが、朝は遅くまでゆっくりと寝てから出発したいもの。それで、駅から歩いて登れる山を選びました。


▲武蔵五日市駅で下車。奥多摩駅に比べるとずうっと近いのです。すると、駅を出てすぐ、こんなものが。一瞬、マイクロバスだと信じてしまったのですが、よ~く見ると、飲み物の自動販売機でした。9:28ころ。


▲五日市の町の中心街を歩きます。向うに見えているのが最初に登る城山。9:47ころ。


▲野崎酒造の煙突が見えて来ます。この付近の集落では湧水が多く、それが酒造りに関係しているのだと思います。10:08ころ。


▲野酒造から光厳寺へ急勾配の車道を登って来ました。お寺の外には有名な「光厳寺の大桜」があります。写真のがそれで、幹回り5.33mで推定樹齢400年のヤマザクラです。ごつごつした幹の様子はサクラの幹とは思えないような歴史と風格に満ちています。10:20ころ。


▲十四世紀に足利尊氏が創建したと伝えられる由緒あるお寺。背後に見える山が城山です。10:36ころ。


▲お寺の左側に登山道が付いています。そこを辿り、尾根筋に出るところ。10:45ころ。


▲尾根を登って行きます。ところどころけっこう急です。11:00ころ。


▲急な岩場も出て来ました。山頂にはかつて山城があっただけあって、敵が攻めにくい地形ですね。11:07ころ。


▲ますます攻めにくく、天然の要害です。現代ですから、鉄パイプの柵が付けられています。11:08ころ。


▲最後にもうひとつ、岩場を登ります。11:09ころ。


▲岩場の急登を抜けると、なだらかな痩せ尾根。11:09ころ。


▲山頂に着きました。そこから眺める五日市の街並み。見晴らしの良い場所なので、敵の来襲もすぐに察知できたでしょう。11:11ころ。


▲ここが城山434.1m山頂。山城の本丸があった場所です。人がたくさんいたので、遠慮して先で休憩することにしました。11:15ころ。


▲標高380mあたりで尾根を横切っている送電線。その下で休憩しました。新所沢線なのでしょうか? すぐ下にもうひとつ送電線の鉄塔が立っています。新秩父線と言うらしい。11:28ころ。


▲僕は初めて知ったのですが、標高391mの標高点は盆堀山と呼ぶようです。盆堀集落の裏山だからでしょうか? 12:06ころ。


▲小さな祠がありました。周りを納屋のような建物で守られています。大切にされているのですね。12:13ころ。


▲小さなアップダウンが続きます。12:26ころ。


▲すぐ先の引っ込んだところが荷田子峠で、さらにグミ尾根が続いています。臼杵山は手前の山に隠れて見えていないと思います。12:38ころ。


▲ススキが陽の光で輝いていました。12:42ころ。

写真はありませんが、荷田子峠を12:49ころに通過しました。


▲ネットでいろいろ調べてみましたが、ミヤマシキミ(深山樒)かと思います。12:51ころ。


▲臼杵山へは西へ西へと少し南向き加減で向かいますから、午後の陽射しを正面に受けながらの歩きです。まぶしくはありますが、いかにも冬の低山歩きという風情。12:54ころ。


▲「戸倉山茱莄御前」と書かれた石碑がありました。13:41ころ。
調べてみましたが、なかなか意味するところが分かりません。「戸倉山」がそもそも分かりません。戸倉山と呼ばれる山はこの辺りにはありませんし、戸倉集落は城山の麓あたりですから、城山の方が戸倉山と呼ぶにふさわしいでしょう。
それに「茱莄」というのも「グミ」と読んでいいのでしょうか? 「シュユ」とも読むようですし。漢字自体もこの石碑の「茱莄」もあれば「茱萸」もあります。茱莄(茱萸)は元来「赤い実」ということのようですが、この漢字が日本に来てからは「グミ」の意だったり、「ゴシュユ」だったり、「サンショウの仲間」だったりするようです。
それに、グミ尾根と言われていますから「戸倉山の茱莄御前」とばかり思っていますけれど、「戸倉の山茱莄(サンシュユ)御前」かもしれません。「山茱莄」という言葉は古くからあるようです。
「御前」も「茱莄という名前の高貴な女性」などとの説明があったりしますが、いつの時代のどんな女性だったかなどの説明はありません。そもそも「御前」は女性に限って使用する言葉ではないようですから、男性の可能性も捨てきれないでしょう。
さらに、本題とは少々外れますが、ネットで調べた限りでは「グミ尾根」は臼杵山から荷田子峠までとなっています。僕にはこれは実に奇妙に思えます。臼杵山から北東へ延びる尾根が荷田子峠でふたつの支尾根に分かれるというのなら理解できなくもありませんが、この尾根は城山まで明瞭にひとつの尾根として存在しています。臼杵山から城山までがグミ尾根だとしか考えられませんね。

ああだこうだと考えを巡らしましたけれど、結局何も分かりません。


▲秋川を挟んで北向かいの山々を眺めました。右から馬頭刈(まずかり)山884.0m、鶴脚山916m、大岳山1266.5mです。13:46ころ。


▲大岳山の左には御前山1405.0mも見えます。13:46ころ。


▲先ほどから重機の音がときおりうるさく聞こえていました。採石場があるからです。眼下に望める尾根筋に出て来ました。この採石場は棡葉(ゆずりは)窪出合の向かいにある採石場です。谷の底には大きな建物もあるはずなのですが、見えていません。ずいぶん上部にまで採石現場が拡大しているのですね。14:12ころ。


▲伐採地にかかりました。まだ細い苗でしたけれど、広葉樹の苗が植えられていましたから、もう植林はしないようですね。14:19ころ。


▲南東方面を望みました。中央に刈寄(かりよせ)山687.0mが見えます。その手前の顕著な尾根は高萱(たかかや)尾根。刈寄山から左へ下がり、また上がっている尾根がありますが、篠八窪尾根です。下がったコル状の場所は採石場で篠八窪尾根は完登できない尾根なのです。採石場の向こうの尾根は舟子尾根でしょう。14:24ころ。


▲広葉樹の葉は半分以上散っています。カサコソと音を立てながら歩くのは心地よいものです。14:34ころ。


▲山頂への急登が続きます。14:44ころ。


▲臼杵山842.1m山頂。14:57ころ。

武蔵五日市駅から歩き始め、ここまで5時間30分で歩きました。コースタイムは4時間30分くらいでしょうから、休憩込みの時間としてはS子もよく歩いたと言えるでしょうね。

自宅周辺のカエデやイチョウが色づき始めています。奥多摩の紅葉はすでに終了の感がありますけれど、低山ならばまだその余韻が味わえるだろうと期待していました。期待通り、枝に残る紅や黄色の葉を陽光当たる中で見ることが出来ました。これで秋もいよいよ終わりでしょうね。


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