ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

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「哀愁の満州映画」

2011-04-08 07:34:07 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「哀愁の満州映画」という本を読んだ。
サブタイトルには「満州国に咲いた活動屋たちの世界」となっている。
先に読んだ訳の分からない映画評論とは異質の作品で、骨のある記述であった。
日本の敗戦まで、満州国には満州映画という会社があったことはよく知っている。
その会社の理事長には甘粕正彦氏がなっていたことも知っている。
この甘粕正彦氏があの大杉事件の首謀者であったとも知っている。
しかし、あの大杉事件で甘粕氏が大杉栄を殺したというのは冤罪であって、彼は大杉氏を殺していなかったことも知っている。
色々なことを知っていると言っても、私自身が当事者ではないので、全て公表された書籍から得た知悉に過ぎないが、甘粕正彦氏が冤罪を負って、刑に服し、大陸に渡ったという点も知っているが、彼が大陸で如何なる生業をしていかについては、若干の疑惑は拭いされない。
しかし、満州という新開地において甘粕正彦という人物が、縦横無尽の活躍をしたことは大いにありうることだと思う。
だがこの本の著者も戦後生まれの知識人であって、戦前の日本の存在を帝國主義的植民地支配の具現者という視点で見ることにはいささかの抵抗を覚える。
「侵略」という言葉を広辞苑で引くと、「他国に侵入してその領土や財物を奪い取ること」となっている。
つまり、倫理観の上からは決して褒められた行為ではなく、負のイメージに塗れた言葉であって、そうそう軽軽に使う言葉ではないと思う。
昭和の初期の段階で、今の言葉で言う中国東北地方が果たして本当に中華民国の領域として確定されていたであろうか。
だとしたらそこには清王朝、あるいは中華民国の国境警部の人が国境を固めていなければならないが、そういう措置が取られていたであろうか。
「侵略」という言葉は、そういう主権国家に対して無断で侵入して領土や財物を掠め取るというイメージで使われているはずであるが、日本がしたことはこのイメージに適合しているであろうか。
一般に知識人と言われる人は、知識があるが故に、物事を「善と悪」、「正と不正」、「善し悪し」という価値基準で眺めがちであるが、これは知識を潤沢に持った人の驕りであって、知識に溺れている姿だと思う。
生きた人間は、知識をうんぬんする前に生きねばならないわけで、生きるということが何にも増して重要であることは論をまたない。
人の生き方を、「あれはいけないがこれは正しい」ということは、恵まれた者の極めて傲慢な思考回路であって、「人が如何に生きるか」という大命題の前では、無為な議論である。
太平洋の東の海に浮かぶ4つの島の住人と、朝鮮半島の住人、その半島の奥にある大陸に住む人々の間には、それぞれに生き方に相異があるのは当然のことであって、それをひっくるめて民族性とか、民族の個性などと言い表しているが、その民族性にも個性という優劣は歴然と存在する。
ここで言う「優劣」という言葉も、何を持って優れているか、何を持って劣っているか、ということを定義する事は極めて難しい。
しかし、20世紀ともなりそれを普通の常識で考えれば、近代化ということと同意・同義語であって、近代化が進んでいればそれは優れており、近代化が遅れておればそれは劣っているということになると思う。
そういうことを先入観として頭に入れて、満州、今の中国流の言い方をすれば中国東北部は、大正時代から昭和の初期、まさしく人知の及んでいない不毛の地であったと思う。
しかし、それは無人地帯というわけではないが、人間の文化としての痕跡のない地域だったと思う。
人は確かに居たに違いない。
そこに居た人たちは、やはり人間である以上、それなりに創意工夫して食糧を獲得し、集落を作り、社会的な営みをしていたことは当然だろうと思う。
こういう土地、あるいは地域に、日本人が入植して土地を開墾し、農地を作って作物を作る、あるいは工場を作って工業製品が作れるようにする、こういう行為が果たして侵略という言葉に値するであろうか。
こういう日本の施策が帝國主義的植民地経営と言えるのであろうか。
日本人と現地の人々の間に、民族が違うことによる意思の疎通の齟齬が生じることは多々あったに違いない。
言葉も違い、生活習慣も違うので、全く平等に、全く公平に、全くわけ隔てなく、ということは理想ではあろうが、現実の場ではそうはいかないのが普通であって、この現実を相手側の立場に立てば、面白く映らないのも当然のことであろう。
だから台湾でも、朝鮮でも、満州でも、現地の人々が日本人に対して反感を持つのは至極当然なことである。
だから先方が「日本の侵略」と言った場合、先方の潜在意識としては確かに侵略され、抑圧されたという感情はいた仕方ない。
しかし、それを聞いた我われの側は、相手の言葉をそのまま鵜呑みにする必要はないと思う。
「あなた方は侵略と言うが、我々のしたことの何処が侵略ですか?」と問いただす勇気を持たねばならないと思う。
帝國主義的植民地経営ということであれば、我々は台湾や朝鮮や満州から、金銀財宝をかき集め、現地の人々を鞭打って田や畑で働かせて、炭鉱で働かせて、日本人はその傍らで酒池肉林に耽っていたのならば確かに帝國主義的植民地経営という言葉があて嵌るが、我々はそういう態度でいたであろうか。
我々、日本民族にも大いに欠陥はある。
我々の同胞の欠陥というのは非常に真面目すぎる面だと思う。
組織のなかで、上の者にゴマを摺る心理も、ある意味でその真面目さの表れであって、端的にゴマを摺って保身を計るというよりも、上司を喜ばせんがために言われていなことまで、その意を斟酌して先走るというもので、この部分がゴマ摺りの真髄である。
ところがこれが組織としての秩序を乱しているので、そこに組織崩壊の危機が潜んでいるのである。
大杉事件にしても、甘粕憲兵大尉は殺す気など毛頭なかったが、部下が既にやってしまった以上、誰かが責任を取らねばならず、甘粕大尉が全責任を一人で背負い込んで、その対価としてヨーロッパ留学と満州雄飛が条件であったのではないかと推察される。
だとすれば彼の評価は、「鬼のような人殺し」から変転して、「男の中の男」となるわけで、彼のその後の人生はまさしくその後者の部分であったようだ。
満州映画の経営に関しては清廉潔白を通し切り、会社の組織内には共産主義者も大いに引き込んで、腹の太さを見せたようで、そういう意味では満州浪人の面目如実というところがあったみたいだ。
満州という舞台では、共産主義者にも鷹揚な部分があったようで、満鉄のなかにも大勢の共産主義者がいたと言われているが、そういう意味でも満州国というのは日本人にとって新たな桃源卿であったようだ。
その事を考えると、中華人民共和国の母体の中国共産党というのは実にお粗末な組織だったと言わねばならない。
1945年、日本の暦で昭和20年8月15日において、日本は満州国における一切の権限を放棄したので、そこに最初に入ってきたのはソ連軍であったが、そのソ連が出ていった後、中国人は共産党と国民党に別れて内輪もめに徹していたわけで、日本人が折角構築した社会的インフラを上手く利用することさえしなかった。
まさしく未開の地に舞い戻ってしまったわけで、日本人が作った社会的インフラを生かし切れなかった。
その事は、彼らの民族の潜在意識として刷り込まれている中華思想、華夷秩序、反日思考が、日本に関わるものを全てを忌避しようという態度になっているからだと思う。
満州、中国東北部を自分たちでは開発する能力も知恵も持ち合わせていないが、それを日本がしてしまったので、彼らの自尊心はことのほか打撃を受けて、そのうっ憤を日本を攻撃することによって晴らしているのである。
この本の中では、当時の女優としての李香蘭・山口淑子が満州映画の秘蔵っ子というニュアンスで登場しているが、彼女の存在も実に不思議な感じがする。
日本人とシナ人という価値観の相異のなかで、何故に敢えて下等な地位のシナ人の女優として売り出され、人気が出たのか不思議でならない。
前にも言ったように、地球上にそれぞれに別々に生きている各民族の間に、優劣はあり得ないが、近代化という尺度で測ると、進んだ民族と遅れた民族は歴然とあるわけで、この時代においてはあきらかに日本はシナよりも進んでいたわけで、そういう意味での文化の優劣は認めざるを得ない。
そういう周囲の状況の中で、彼女は何故に日本の女優ではなく、シナ人の女優というポーズを取り続けたのであろう。
うがった見方をすると、彼女の存在は当時の日本の客寄せパンダの役を演じさせられていたのかもしれないが、当時の状況下で何故そういう必要があったのであろう。
満州国の建国の理念は、5族共和であって、日本人もシナ人も全くわけ隔てなくというものであったので、映画界においてもシナ人を重用しているよ、というポーズであったのかもしれない。
この後に及んで、中国人や朝鮮人を懐柔する必要があったのだろうか。
映画という媒体は非常に影響力が大きく、文字の読めない者にも、視覚に訴えることによって相当なことまで知覚させることが可能で、それを利用することで国威掲揚に極めて効果的な手段となりうる。
その延長線上にカリスマ的な女優の存在が必要になり、それが日本人であることを隠しつつ、中国の女優という触れ込みを維持し続けたということでろうか。
ただはっきりしている事は、本人の意向というよりも、そういう風に踊らされた、操られていたという方が正確なのではなかろうか。
仮にそうであったとしても、本人もそうとうにしたたかな存在だと思う。
20歳前後の女性が、誰か分からない胡散臭い人間あるいは組織から操られていたとしても、それに上手に呼応しながら身を処してきたわけで、この綱渡りのような生涯を生き延びるということは、相当にしたたかでなければし得ないことだと思う。
日本と中国、そして朝鮮というのは、本来ならばもっともっと助け合う存在でなければならないと思う。
そもそも、この地球上で居ついた場所によって、それぞれの民族の特質が違うことは致し方ないが、お互いに今後とも永続的に生きていこうとすれば、何時までもいがみ合っているわけにはいかないと思う。
21世紀ともなれば、相互の距離は限りなく近くなるわけで、インターネットというような文明の利器を使えば、既に国境などないに等しいところまで来ているのに、相互に国益という過去の権益にこだわっている限り、相互理解の溝は埋まらない。
最近のメデイアの報道を見ていると、中国でも韓国でも、日本を攻撃することが、自国内の政治不安のガス抜きの効果をなしていると言われている。
自分の国の政治的安定を求める手段として、日本叩きをするというのも、極めて由々しきことで、このことはまさしく「自分さえ良ければ後の事は知らない」という論法そのままではないか。
こういう理由で、日本叩きが始まった際、日本側の為政者も実にお粗末である。
それは、自国の歴史も知らず、自分達の先輩諸氏がどういうことをしたかも知らないまま、先方の言うことを鵜呑みにするから、ますますおかしくなるわけで、第2次世界大戦が終わって66年も経ったので、双方とも戦争を知らない世代が組織のトップになっているから、こういう齟齬が起きがちである。
前にも述べたように、日本人の中で学識経験の豊富な人は、相手に嫌われることを恐れて、相手から好かれよう好かれようと思うあまり、相手の盲点を突くことを避け、ついつい人当たりの良い綺麗ごとに終始するので、相手の術中に嵌ってしまうのである。
我々、日本人にとって満州国の建設ということは、かけがえのない夢の実現の試金石であったことは間違いない。
いわば壮大な実験場であったわけで、ここにソビエット軍が入り込まず、中国共産党が覇権主義を振りかざさなければふ、きつとユートピアに近い国家が屹立していたかもしれない。
しかしそうはならなかったということは、アジアのアジアたる所以だったのかもしれない。
アジア大陸では有史以来そういう天変地異が繰り返されていたわけで、その地を治めたものは又再びその地を負われて、その地は昔ながらの原野に戻った。
そういうことが何度も繰り替えされてきた地なのかもしれない。
日本がこの地に新たな国家を作ったとしても、それはわずか13年で消滅したわけで、後は悠久の原野に戻ったということなのであろう。
日本が作った社会的インフラを、中国人が維持、管理できなかったという点が実に歯がゆい思いがするが、これも異民族なるが故に致し方ない。
しかし、満州国における日本企業、満州映画、あるいは満鉄という企業は実に太っ腹な企業であったようだ。
この時代に組織内に共産主義者を内包して、悠々と彼らを飼っていたということは、実に寛容な態度だと思う。
戦争が終わって日本が敗北した暁には、彼らが日本の戦後の労働争議をリードしたことは十分に頷ける。
戦争が終わって2年目の1946年昭和22年の4月の食糧メーデーに25万人もの人が皇居前に集まったということは、戦時中という抑圧が溶かれ、人々が一斉に新時代の曙に覚醒したとも言えるが、こういう運動をリードしたのが大陸に居た共産主義者たちであったのではないかと考えざるを得ない。
満鉄の引揚者が当時の国鉄に再就職したと言われているが、国鉄や教員組合が共産主義者の巣窟になった経緯は、戦時中に満鉄や満映にいた連中が、日本で活躍の場を得たということではなかろうか。
戦後という時代状況のなかで、アメリカ進駐軍が日本を占領下においている状況下で、戦争で生き残った学識経験者は、極めて物分かりの良い立ち居振る舞いを演じ、民主化という大義名分を掲げられると、かつて天皇陛下という言葉で萎縮させられたのと同じように、言うべきことも言えなくなってしまって、不合理が常態となってしまったのである。
だから中国人や韓国人が「日本が侵略した」というと、「お説ごもっとも」という風に、反論しなくなってしまったのである。
しかし、我々は中国人や韓国人に戦争で負けたわけではない筈で、我々に勝ったのはあくまでもアメリカとソビエット連邦であったわけで、その事を知っていて中国や韓国に対して卑屈になるのは一体どういうことなのであろう。
そもそも、自分たちの憤懣のはけ口を、外国・余所の国を叩くことで溜飲を下げるというような下賤な民族には、まともな話し合いが成り立たないことは当然であるが、そういう相手に膝を屈する我が方の為政者の存在も、実に御由々しき問題である。
満州という国で、日本の若いエリートが思う存分自分の力を発揮して、大いなる社会実験をした経験が戦後復興の教訓になりえたことを考えると、満州国の存在もあながち無駄ではなかったということになる。
戦後の日本の官僚統制もどきの社会主義体制というのは明らかに満州国の経験で練られた社会実験の結果だと言える。
自由主義体制の枠組みの中で、国内経済の本質は官僚主導の統制経済もどきであったわけで、それで焼け野原の国がアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国になり得たのである。
この戦後復興を推し進めたエネルギーが、あの戦争に生き残った我々の同胞であったが、その同胞の中でも、その復興に掉差したのが、満鉄や満映に居た共産主義者たちであったわけだ。
映画界の人間などというものは所詮インテリやくざで、芸能界の人間ならば何処まで行っても河原コジキという認識に変わりはない。
昔の人はよく言ったものだ。
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