パナイ号事件・レディバード号事件発生

1937年12月12日正午過ぎ、南京から28マイル(約48キロ)ほど上流の揚子江上でアメリカ砲艦パナイ号とタンカー計4隻を海軍第2連合航空隊が爆撃し、爆沈、炎上させた。中国軍が船舶で上流に脱出中という情報をもとに上海派遣軍が海軍に攻撃を依頼したとされる。同じ日の早朝、第十軍の野戦重砲兵第13聯隊(聯隊長橋本欣五郎大佐)がイギリスの砲艦レディバード号他を砲撃。アメリカおよびイギリスの抗議を招き、外交問題に発展した(同日、イギリス軍艦クリケット号ほかが爆撃される事件が起こっているが、爆撃による被害はなかった)。
なお、パナイ号に乗りあわせていた外交官、ジャーナリスト、民間人については「1937年秋冬コレクション」の「南京に残っていた外国人」が詳しい。また、おなじくpippoさんから「15年戦争史料@wiki」所収の、パナイ号に乗っていて事件に立ち会ったカメラマン、ノーマン・スーンの手記へのリンクを許可されたのでそちらもご参照いただきたい。注目すべきは、爆撃によって沈みつつあるパナイ号から脱出しようとする乗組員たちへ執拗な機銃掃射が加えられた、という証言である。パナイ号事件をめぐる日米の認識の食い違いについてはこちらをご参照いただきたい。

第十軍は前日、「第18師団は、蕪湖附近〔レディバード号事件の発生地点〕を通過する船は国籍の如何を問わず撃沈すべし」との命令を発していた。パナイ号事件(死者4名、負傷者15名)、レディバード号事件(死者1名、重傷者1名)に直接関係する命令でこそないものの、当時の日本軍の認識を伺わせる命令ではある。
いずれの場合も日本軍は米国旗(掲揚するだけでなく甲板に大きく描いてあった)、英国旗を視認できなかったと弁明している。しかし特に不可解なのは、英国旗を視認できなかったとする橋本部隊が同時に、中国兵が乗船していたので砲撃したという弁明を行なっている点である。国旗を確認できない状況で、いかにして乗船しているのが中国兵だと確認したというのか? この事件について第十軍の小川法務官は日記にこう記している。

12月22日
(…)
十五日の毎日(大阪)に英米艦船爆撃事件に付き帝国正式に陳謝表明掲載す
軍司令部にては本月十二日蕪湖及び南京方面に於ける英国軍艦砲撃に付き異論生じ陳謝の要なく須らく広田外相の陳謝を取り消さしむる要ありとの論あり その論拠の基く所明らかならざるも英艦は多数敗走の支那兵を(船十二、三艘)掩護するを認む 尤も煙幕により英国国旗なること明らかならず従って我が方(橋本欣五郎隊)は支那兵と認め砲撃せりと 事実敗残兵なるや或いは避難民なるやは判明せざりしが如し 而して仮に敗走兵を英国艦船が掩護し居たりとして之に直に砲撃を加ふることが国際法上差支えなきか 若し差支えありとすれば之に対し如何なる処置を採るべきものなるや或はこの場合には直に戦闘によることなく一応英艦に交渉すべきものなりと言う 果たして理論上如何に処すべきや 尤も敗走兵が更に敵対せんが為に英艦掩護の下に作戦行動に在るが如く認めらるる場合には勿論砲撃すべきものなりと言う者あり 窃に聞く所によれば事実判明せざるも橋本部隊は自ら煙幕を布きその上砲撃したりと
(…)

12月28日
(…)
午後 司令官に挨拶旁々事件を報告す 主として金山に於ける多数の支那人殺害事件なり
司令官は英米官砲撃問題の事実、内地に於ける当局の措置宜しきを得ず能く事実を調査せず相手国の云うが侭に事実を認め直に陳謝するが如きは以ての外にして毫も我軍に責を問わるる如き事実なく此の点深く遺憾とする所なりと 又、戦争の絶対性を説かれ 而も英米等が中立国の権利を主張するが如きは之れ事実を顛倒するものにして蓋し中立国の権利ありとせば当然交戦国としての権利ありて始より交戦国が中立国に対し義務を生ずるものなり 中立国の権利ありて義務なきが如きは理論を弁えざるものにして即ち中立国の権利のみを認めて交戦国に義務あるが如く論ずるは交戦国の権利を滅却するものにして不条理も甚しと言うべし 斯く多くの犠牲を払いたるは戦争の絶対性の当然発生する所以にして先ず交戦国の権利を認め初めて他に及ぼす関係を決定するものと論ずるを当然とすればなりと 又司令官は法務部長に対し戦争と事変との区別に付き研究を為させいめんと幕僚に話したることありと 何れにしても今次の戦争は宣戦せざるを以て事変なりとし第三国に対する関係に於ても全然区別せんとするが如きは矛盾も甚しきと言わざるべからずと、結局司令官は宣戦の布告なきも普通に云う事変にあらずして宣戦の布告ありたる戦争と何ら択ぶ所なく従って第三国に対する関係も之によりて処すべしと 東郷元帥は自分の一生を通じ功績と思うは日清戦争に於て宣戦布告前の黄海に於ける支那の〔高陞〕号撃沈なりと
(…)

〔高陞〕は編集部の補注であろう。第十軍内部の見解を法務官が記録したものという点で、非常に貴重な資料であると思われる。柳川司令官の言い分は、当事者のそれであるから予想できることとは言いながら、いかにも手前勝手な論理である。南京への進軍にあたって宣戦布告を行なうという選択肢を日本はとらなかったのである。日本が「交戦国」としての義務を負うことのデメリット、第三国が中立の義務を負うことから派生するデメリットを考慮してのことである(それ以外にも理由はあるのだが、別の機会に述べることにする)。交戦国としての義務を回避しておいて、「事変」にまき込まれた第三国の権利への侵害を正当化しようというのである。
同様な態度は中支那派遣軍司令官松井大将にもみることができる。12月11・12・13日の日記(ひとまとめに記載されている)において、「此る危険区域に残存する第三国民并其艦船が多少の側杖を蒙るは已むなき事なり」と記しているのである(ただし、この日記の記述には事件の日付や発生地点に関して事実誤認がある)。しかしパナイ号撃沈は南京から50キロ近く離れた地点、レディバード号事件はさらに上流の蕪湖において発生している。すでに南京城の城門をめぐる攻防を行なっていたこの時点で、(当事者の主張によれば)正体も定かでない艦船を攻撃することが正当化されうるとは考え難い。
なお、橋本部隊が英国船をそれと知って砲撃したのではないかという疑惑については、パナイ号事件の当事者(爆撃機隊の指揮官)奥宮村正武氏も「私も伝え聞いたことがあった」としている(『私の見た南京事件』)。


コメント ( 7 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (pippo)
2006-12-12 11:06:22
もしif、パナイ号事件を『誤爆』ということで穏便に済ませようとしたルーズベルトが、この柳川平助司令官の言動を聞いていたら最期通牒を突きつけたかもしれませんね。もしかすると、米英としては、ナチスドイツを甘やかして失敗したのと同じ轍をここで踏んだのかもしれません。
 
 
 
Unknown (siebzig)
2006-12-12 11:21:54
>米英としては、ナチスドイツを甘やかして失敗したのと同じ轍をここで踏んだのかもしれません。

ここでアメリカがもっと強硬な姿勢を打ち出していたら、後の仏印への進駐にも影響を与えたかもしれませんね。
英米の判断を評価するうえでは、両国の戦争準備がどの程度進んでいたかも考慮に入れる必要があるでしょうが。
 
 
 
Unknown (pippo)
2006-12-12 12:57:05
リンクをどうぞ。開放しました。
・ノーマン・スーン「パナイ号攻撃を綴る」
 
 
 
Unknown (pippo)
2006-12-12 12:57:50
ここです
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/50.html
 
 
 
Unknown (槍栗中尉)
2006-12-12 21:04:08
>奥村正武
これは奥宮ですね。

それから誤爆(一応)といえば、8月26日に英国大使ヒューゲッセンの乗った自動車を海軍の航空機が銃撃&爆撃して、負傷させてます。

>米英としては、ナチスドイツを甘やかして
すると日本も、張作霖の権益侵害に対して早い段階で断固たる態度で膺懲すべきだったんですかな。

しかし現実にはアメリカは、我慢して(間に巧妙な挑発を交えながらも)、相手に先に手を出させることで、二つの世界大戦に完勝したんです。逆にプツンときて先に手出したアフガンやイラクは今の様です。ベトナムもその類でしょう。中共もいずれチベットに祟られる日が来ると思います。

余談となりますが、日本で北朝鮮に強硬な立場をとる人々が、ブッシュのイラク攻撃を嬉々として支持したのには唖然としました。アメリカがイラクでこけたら北朝鮮には手を出せなくなるというのに。私は、誰かブッシュに支那事変について教えてやって欲しいなあと思ってました。
 
 
 
Unknown (siebzig)
2006-12-12 21:24:36
pippoさん

お言葉に甘えてリンクさせていただきました。

槍栗中尉さん

誤記のご指摘、ありがとうございます。訂正させていただきます。
ヒューゲッセン事件については来年の8月26日に「1937年の今日」カテゴリで記事にする予定でおります(こういうカテゴリをつくると1年先の予定まで決まってしまいますね…)。

>すると日本も、張作霖の権益侵害に対して早い段階で断固たる態度で膺懲すべきだったんですかな。

しかしそもそも張作霖は中国を代表する政府とは国際的認知されていませんでしたからね。蒋介石は1928年に日本の張作霖支援を批判しています。妙な色気を出して張作霖に肩入れしなければよかったんじゃないでしょうか。

>先に手出したアフガンやイラクは今の様です。ベトナムもその類でしょう。中共もいずれチベットに祟られる日が来ると思います。

日中戦争もそうですが、現代において占領地に傀儡政権を樹立することを目的とする戦争は必然的に多くの住民を敵に回し、泥沼化するということですね。

>アメリカがイラクでこけたら北朝鮮には手を出せなくなるというのに。

「大量破壊兵器」に関しても北朝鮮の方が容疑ははっきりしていた、むしろ開発すると宣言していたわけですからね。


 
 
 
Unknown (pippo)
2006-12-13 06:43:14
槍栗中尉さん
おはようございます。

槍栗中尉さんは、長勇の言動が「日本軍固有のアブンーマル」であるかどうかは証明されていない、と仰っていますが、それはきっとそうなのでしょう。

私は長勇のような人物を戦略遂行の中枢に置くことも「日本軍固有のアブンーマル」の一事例ではないか、と感想を述べました。この「日本軍固有かどうか」という命題の証明に挑んでいるのでは有りません。しかし、仮にどこの軍隊にもあることだとしても、それが重要な特徴であれば取り上げないわけには参りません。

槍栗中尉さんにおかれては、「そんなことは何処にでもあること」と各国軍隊に造詣が深い由、長勇現象と共通するその例証を挙げてくだされば、私も勉強になります。

「侵略」と「自決」、「ラストサムライ」的美意識・自己愛に裏打ちされた大きな迷惑。

私はかねがね、沖縄における「集団自死」「住民スパイ視」そうした事象の根本水脈として、上海―南京後略戦を洗いなおす必要があるように思っていましたので、長勇つながりに着目したのでした。

コメントありがとう御座いました。
 
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