575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「姿先情後」とは??  (等)

2016年05月25日 | Weblog
括弧のなかは「しせんじょうご」と読みます。先日ある勉強会でこのことが話題になりましたので、今日はこれについてお話しします。

私もそうでしたが、俳句を始めた時は先ず「入門書」を読みます。そこには①五七五の定型にあてはめる②季語を入れる③今日いまのことを題材にする・・などと書かれ、ある程度慣れて来たら、生活やもの、風景をあるがままに写生しなさい。と書いてありました。

初めは何も分からず、言われる通り一生懸命詠み続けましたが、やがて”いくら文字で表現しても、絵や写真のように上手く表現することは出来ない”ことを知り、先ず最初に悩むことになります。そこでまた本を開くと、”単に対象をなぞるのではなく、ものの内面・魂を見つけてそれを表現しなさい”とありました。そして次の名句が載っていました。
 桃青し赤きところのすこしあり(高野素十)
 白牡丹といふといへども紅ほのか(高浜虚子)

そう言われても我々初心者にそんな魂を見つけることは出来ません。そしてまた”俳句は世界一短い文芸”と言われ、水原秋桜子は”俳句は自己の感情を詠嘆する詩である”とも言っています。一体もののの姿を大切にするのか、感情を大切にするのかどっちなの??とまた悩みます。

そこで問題になるのが冒頭の”姿先情後”(”景先情後”とも言います)です。私が読んだ本によりますと”俳句は先ず句の姿を整え、自分の考えや意見はその後に・・”と書いてあったように思います。
ところが問題はそう簡単ではなく、芭蕉の”俳句論”にもさかのぼり、現代でも秋桜子や石田波郷が論争を戦わせています。秋桜子の主張は”外に景色を描いて内に感情を込める”というもので、一方波郷は”独断的な心情の句より、発見のある写生の句が生きている”と主張しています。

理屈ぽいお話になりましたが、結局のところ俳句にとって大切なのは、客観写生が基本で、これに主観がにじみ出てくるような句が一番良いそうですが、これまた難しい・・・。”俳句はともかく難しい”ものです。
 虚子庵は六畳二間秋落暉(等)
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鴨居這う蛇は追うなと母言えり   立雄

2016年05月25日 | Weblog
這う、追う、言えり、と一句の中に動詞が3つ。
普通は、失敗することが多いですが、
この句は動詞を連ねることで成功しています。

作者は広島県尾道生まれ。実家は山陽道に面した大きな商家。
家には青大将が棲んでいたそうです。
昔の木造住宅の天井裏からはネズミが駆け回る音がしていました。
このネズミを狙って蛇がやっています。
人間にとっては蛇は有難い存在でした。
母は生活の知恵を幼い我が子に教えていたんですね。

  三輪山の神とし穴を出でし蛇  栗山渓村

大昔の人は蛇を神様と考えていました。
その後も、家の守り神として大切にされてきました。
近年の生活スタイルの変化。
蛇との関係も大きく変わってきているのでしょうね。

           

名古屋のテレビは連日、伊勢志摩サミットの報道が中心。
あまり私たちには関係がない気もしています。
関係があるとしたら、ソフト・ターゲットになることくらい。
人の多い所へはいかないようにしますか。
                      遅足


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