ニュースの中のJW

WEB上のニュースや新聞などで扱われたエホバの証人のニュースを取り上げます。シリアスな話題から笑えるニュースまで。

最重要指名手配犯 - 元奉仕の僕 その1 逃走中  

2010-04-11 21:58:18 | その他の話題
「いわゆる重要指名手配犯 - 小児性犯罪者フレデリック・マクリーンは現在も逃走中」  アメリカ 2009/12/29 (犯人には2005年に逮捕状が出ている)

lawweekly.com

最近では、聞いただけで気持ちが悪くなるような奴らがたくさんいるが、この男はその中でももっともひどい奴の一人だろう。その男フレデリック・マクリーンは性的幼児虐待の罪で起訴されている。

当局によると、マクリーンはサンディエゴでエホバの証人の奉仕の僕だった時に、多くの子供の被害者と接触していた。ある時リバーサイド郡の当局はこの悪党について調査するようにとの通報が入った。58才になるこの男は複数の性的暴行について起訴されており、そのうちの一人は、100回以上もの性的暴行を5才の時から受けていた。

連邦当局はマクリーンが非常に悪質であるため、合衆国連邦執行局の最重要手配犯15人の一人としてリストにあげた。このような人間はすぐに捕まえられなければならない。再犯の可能性が非常に高いからだ。「マクリーンは再犯するという多くの証拠がある」と連邦執行局性犯罪調査施設の心理学主任ミッシェルは語っている。ストレス、とくに逃走中であることから来るストレスもその可能性を高めている。

またこの犯罪者は陰険である。彼の逮捕状が出た2005年の6ヶ月も前から、彼は逃走のための準備をしてきたと当局は考えている。彼の家族は、彼は申し立てられている罪を認め、彼の大好きだったピックアップ(後ろが荷台になっている4WDの車)を処分したそうだ。

もしあなたがこの男を見かけて、司法の場に引きずり出すことに協力出来れば、$25000が賞金として支払われる。24時間受付のUS連邦保安局に電話をして欲しい。しかし注意が必要だ。かれは凶器を持っていると考えられており、自暴自棄になっている可能性がある。

最重要指名手配犯、マクリーンの特徴 : 白人、体重77キロ、、身長180センチ、茶色の瞳、灰茶色の髪の毛。彼は自動車整備士で、かつて1960年代から70年代のレーシングカーを修理していた。またキャンプなど屋外活動にも通じている。

■連邦保安局のサイト内 "15 Most Wanted" (15人の最重要指名手配犯)より

http://www.usmarshals.gov/investigations/most_wanted/mclean/overview.htm

フレデリック・マクリーン - 事件の概要

サンディエゴ地域逃亡犯人取締局より危険な性犯罪者を捕まえるためにあなたの助けを必要としています。

フレデリック・マクリーン(54才、2005年当時)はサンディエゴ高等裁判所で2005年1月に小児への性的暴行と14才以下の子供に対するわいせつ行為により有罪とされた。検察によるとマクレーンは被害者に彼を信頼するように仕向け、それを使って犯罪を犯した。一人の被害者はマクリーンから100回以上も性的いたずらをされた。彼はさらに7件もの余罪がありさらに増える可能性がある。検察は、彼はそうした非道な行為を20年以上にも渡って繰り返しそれをやめることが出来なかったと考えている。

マクリーンは非常に知的で注意深いと表現されてきた。彼はすべてのことに細部にいたるまで計画してきた。彼はいずれは犯罪が明るみに出ることを知っていて、逃走計画を何年にも渡って練り上げた。また彼は $100,000 (1千万)もの現金を持っている可能性がある。マクリーンはおそらく外見を変えている。また武装しており非常に危険である。彼はこれまでに何度も自殺をほのめかしており、刑務所に入るよりも死を選ぶだろう。

彼を見つけるいくらかのヒントがある。マクリーンは以前、古いレーシングカーを修理して販売する商売をしていた。1960年代から1970年代のローラのシャーシを使ったレーシングカーが彼の得意分野だ。おそらく彼は小さな暗い色のピックアップトラックを運転している。1955年のシェビーバンも所有しているかもしれない。最後に所有していたシェビーはカルフォルニアのナンバープレートが付いていた。マクリーンは北部サンディエゴか南部リバーサイド地方にいるものと考えられているが、どこにいてもおかしくはない。またキャンプに慣れており砂漠や山岳地帯によく行っていた。

※彼はいまだに逃走しているんでしょうか。あるいはすでに死んでいるかも知れません。カトリックでも小児虐待していた司祭たちが問題になっていますが、エホバの証人でもやはり中にはこうした犯罪者もいたのでしょう。まあかなり極端なケースだとは思いますが。

彼についてはさらに興味深いニュースもあるので第二段として記事にしていきます。




5人のエホバの証人が乗った飛行機が墜落

2010-04-07 22:50:59 | 事件・事故
「5人のエホバの証人が飛行機事故で亡くなる」 - アメリカ・テネシー州 2007/9/2

FAA(アメリカ連邦航空局)によると東テネシーを発った小型飛行機が、離陸後すぐにホルストン山にあるチェロキー国立公園に墜落し、5人のエホバの証人が亡くなった。

カーター郡保安官クリスによると、パイロットのビクター・オズボーンを含んだ5人の遺体は機体の残骸の中で見つかった。

公式に他の四人の名前が発表された。レオン・ロスコ、ジェラルド・ブース、クレイグ・クラーク、ランデル・ワープの各名である。

5人全員はそれぞれのエホバの証人の会衆で長老として責任を果たしていた。

ビクターは50歳で退職したビジネスマンであり、ベテランのパイロットだった。
彼は7年以上前にパイロットのライセンスを取った。彼の妻によると2000時間以上の飛行経験があるとのことだった。

ビクターの友人で仲間の長老、ロイ・ホワイトはこう語っている。「彼は与える精神があり、組織に対するのと同じように会衆内の一人ひとりに対し自分を捧げてよく助けていた。彼は飛ぶことがとても好きだった」

オズボーンはモーリストンの会衆の王国会館で、毎週日曜日に様々な話を教えていた。彼の仲間の長老は「彼は大きな心を持っており神と他の人を助けるために献身していた」と述べた。

「私たちは本当に衝撃を受けている。ビクターと一緒に飛行したことのある全員が言っていたことだが、彼はいつもコントロールセンターと無線で会話をしており、安全のために余分な装置も飛行機に積んでいた。我々はまったく途方にくれている」

56才のレオンは長老で退職した建築士だった。長老のジムはレオンの妻に事故のニュースを伝えた。「彼女はこの事態にひどく取り乱していました。しかし私たちすべては愛するものを失ったとしても聖書が私たちに与えてくれる復活の希望から力を得られます」

カーター郡保安署によると単発エンジンのビーチ・ボナンザが墜落したのは土曜日の午前10:30と見られており、エリザベトンの空港を飛び立ったすぐ後のことだった。

当ニュースが他のエリアのエホバの証人の会衆から聞いたことだが、5人のエホバの証人たちは自発奉仕でバージニア州のアビンドンに向かっており、新しい王国会館の建設の話し合いのためだった。

(ちなみにエリザベトンから目的地までは直線で約50Km足らず。そこを飛行機というのはさすがアメリカですね)

医療用ヘリコプターがくすぶる墜落機を発見したのが土曜日の午後7時頃、ホルストン山の南側1.5マイルのところだった。

初期の捜索は濃い暗闇のため阻まれたが、日曜の朝早くには飛行機の残骸を見つけ墜落現場までの道を切り開いた。

墜落の原因については調査中である。


※ 元気な笑顔の人が事故で亡くなるというのは悲しいことです。写真を見るとその人の背後にいたであろう家族や多くの人間関係を思うとやるせない気分になります。とはいえ、この世に生きている以上はいつかは死ぬものであり、どの様に死を迎えるかが違うだけというのも事実です。また会うことが出来たら素晴らしいことですね。ところで、彼らの告別式の様子もある新聞に載っていました。機会があれば紹介したいと思います。

ハイチ地震でのエホバの証人の救援活動

2010-04-06 22:47:24 | 災害
「エホバの証人のハイチでの救援活動は国際的な一致を際立たせている」
ドミニカン・トゥデイ - 2010/3/4

あるハイチの女性がエホバの証人からの研究を受け入れた時、彼女はそれが彼女の生活を改善させてくれると考えたかもしれない。しかしそれが彼女の命を文字通り救うものになるとは思いもしなかっただろう。

報告によると、彼女の研究司会者は1月12日に起きたマグニチュード7の地震の際に文字通り彼女の命を犠牲にして盾となり、その女性の命を守ったのだ。

地震の後、その研究生はサントドミンゴ(ドミニカの首都)にあるエホバの証人の支部に運び込まれた。そこでは思いやりと親切が大きな仕方で示された。

エホバの証人たちは、地元の関係者や救援活動隊と共にすぐに救援と世話のために組織され、仲間の崇拝者たちや他の被害者を助けた。1月14日の 午前2時30分には証人たちのトラックドライバーたちはドミニカの支部から出て国境に向かって15000 pounds(6.8トン)もの救援物資を運んだ。彼らは最初に救援活動を行ったグループの一つだった。彼らは合計 30000 pounds(13.5トン)もの食料や衣料品を数日のうちに送ったのだった。

地震の数日後に休むことなく救援活動を行った後で、一人の作業者(サントドミンゴで宣教者をしている)はこのように語った。「私たちが家に帰ったのは午前2時でとても疲れていました。でもこれは最善の方法です。大変な仕事ですが私たちを強くし満足感も得られます。ハイチの私たちの兄弟に緊急な援助が出来ること自体特権だと思っています」

ドミニカの医療救援のエホバの証人たちは24時間以内に到着した。そのうちの19人は整形外科医、総合手術医、医学訓練生たちだった。最初の一週間は最新の手術用具の無い中で15-20時間も働き通しだった。その後、エイドアフリーク ※脚注参照【1】という義援組織から派遣されたフランスやヨーロッパの医療チームがやってきた。この組織は証人たちにより、アフリカ全土で人道的な支援を行うため自発奉仕者と寄付によって組織されている。

1月20日の水曜日にはマグニチュード6.1の余震が西側の村を襲った。この日フランス語とクレオール語を話す証人たちが世界中から集まり救援活動に加わった。

これらのグループにはエイドアフリークから二人の外科、外傷救急医、12人の看護婦、助産婦や多数の医療関係者が含まれており、5000 pounds(2.2トン)にも及ぶ薬と医療器具が運び込まれた。移動用の外科用品も入っており重傷患者に対応して55件以上の緊急手術が行われた。

サントドミンゴのエホバの証人の巡回大会ホールは地震による被害もなく、怪我人のための一時的な診療所と医療センターとして用いられた。被害地域にあった3つの王国会館も同様に使われ、地元の医者の証人たちが診療を行った。

フランス、ドイツ、スイス、アメリカ、グアダルーベなど世界各地から来た証人たちのチームは何百人もの人々、証人たちにも、そうでない人たちにも世話を行った。来た人たちは誰もそのまま返されたりはされなかった。ハイチのいくつもの病院が地震で破壊され、残っている病院には人々が殺到したため、これらの医療活動は非常に貴重なものだった。

重傷患者は奉仕者たちによって病院に運ばれた。地震後の1週間で最初にそのチームのドミニカの医師たちによって治療を受けた患者は81人にも上った。

ほとんどの患者たちは生き残り、回復の途上にある。その中にウェズリーという少年がおり彼は地震後に孤児となってしまった。彼の右足は切断され、その傷から精神的にも身体的にも苦しめられていた。そんな時、彼はエホバの証人の友人たちからの訪問を受けた。彼らはカナダやアメリカから来た家族でハイチの人々の心に届くようにとクレオール語を学んでいる人たちだった。
その少年の瞳は輝いた。このような痛みを持っている子供に浮かんだ笑顔は忘れがたいものだった。

ドミニカ共和国でのエホバの証人たちの活動について、自らも証人の一人でアメリカから聖書教育のボランティアでドミニカに来ているレイ・グインはこのように語った。「多くの人々の助けが重荷を軽くします。それでこの地域にいる仲間の会衆たちはみんなで助け合いました」。

彼は、怪我をした一人の仲間の崇拝者を救急車に乗せた時、悲しかったという。「彼女を救急車に乗せたのが大変だったのではありません。彼女の顔から涙があふれ落ちるのを見るのがたまらなかったのです」彼女は痛みでよろめいていたが、グインは少しの慰めを与えることが出来た。グインは聖書の言葉を彼女に読んであげたのだ。彼女は「ありがとう、ありがとう、ありがとう」と言って泣いていた。

証人である自発奉仕者たちは真の満足を得られているようだ。彼らの隣人に実際的な助けを与えているだけでなく、将来の真の希望についての知識や、多くの人たちが「なぜ」と考え続けているような質問に対する答えを聖書から与えることが出来るからだ。

証人であるコリングバーン夫妻は、住む所を失った人の一時的な避難所を与えることも含め、ドミニカの病院で多くのハイチ人を助けてきた。彼らが行って事についてどの様に感じているか質問したところ、「受けるよりも与えることのほうが喜びが大きいものです」と述べた。

災害地域には1万人ほどのエホバの証人が住んでいたと思われる。今日であの悲劇から6週間が経ち、あと数週間で雨季がやって来る。70万人が屋外の間に合わせの避難所で暮らしていると見られており、十分な数の一時避難所を提供するために懸命の努力が払われている。家を失った5000人の証人たちのために大きなプレハブの集合住宅が建設されている。

ハイチのエホバの証人たちは世界中の仲間の崇拝者たちによって示された愛ある親切に慰められ、強められている。現在この証人たちによる国際的な救援活動は、ブルックリンにある世界本部の統治体とドミニカ共和国に支部の助けによって組織されており、実際的な助けと霊的な慰めを被災者に与えている。

これらの救援活動にかかる費用は、証人たちの世界的な業に対してされた匿名の寄付から賄われている。

この最近のハイチでの災害はエホバの証人たちの活動をより明らかにしたが、彼らは80年以上にも渡ってハイチで聖書教育を推し進める業を行って来た。おそらく、次にエホバの証人が近づいて無料の聖書研究をすすめる時、「どのようにこの組織は私の命を救ってくれるのだろうか」という思いに対する答えを我々は持っているに違いない。


※【1】 エイドアフリーク (Aide Afrique) :日本ではほとんど知られていない組織だと思います。フランスで登録されたエホバの証人の人道支援組織で主にアフリカで活動しています。以前はこの組織の説明がフランスのエホバの証人の公式サイトにあったのですが今は無くなっています。以下がその組織の紹介文です。

エイドアフリークはエホバの証人によって用いられている救援組織です。それは苦しんでいる人々への活動です。他の宗教や人道組織と共に、1994年のルワンダでの何千人もの虐殺があった時や1997年のザイール・コンゴで起きた顕著な出来事の際に苦しんでいる人々に助けを差し伸べて来ました。この組織はその目的を達成するためにまたこの任務を完遂するために参加者の訓練を続けます。
エイドアフリークによる、離散した人々への援助は、難民たちや政府関係者、また新聞などによって、ザンビアやタンザニアといったコンゴを話すキャンプがある国々で大いに感謝されてきました。この活動の成果を証明するいくつもの書類が発行されてきました。

ちなみにエホバの証人のフランス語の公式サイトがあり、私たちが見慣れているいわゆる協会の公式サイトとは別のものです。関心がある方はこちらのURLをご覧下さい。なかなか興味深いです。

http://www.temoinsdejehovah.org

※ 地震で被災した人たちへの援助が行われる中、エホバの証人たちも救援に駆けつけ大きな働きをしました。その様子は協会のメディア用サイトでも連日取り上げられていました。またハイチにいる宣教者が自分のウェブサイトで情報を提供して様子を知ることも出来ました。ハイチの政党のリーダーが「聖書の教え」の本を片手に持ってスピーチしている姿がユーチューブに投稿されていましたが、それだけエホバの証人たちも感謝されるような救援活動を行っていたということでしょう。このような救援が迅速に出来るというのは世界的な組織である強みかも知れません。