■smh.com.au 2012/1/25
ロナルドとパトリシア、そして息子のカルビンは、高速道路を走行中に反対車線に飛び出して来たトラックと正面衝突し、車はトラックに押しつぶされて3人が亡くなった。ちょうど1週間前が、彼らの60年目の結婚記念日だった。
2両連結された大型トレーラーは、路側帯を越えてガードレールに接触し、橋に入ったところで反対車線に飛び出した。シドニー南部のヒューム・ハイウェイで、1月24日午前11時25分のことだった。
北に向かっていたロナルドの運転するフォード・モンデオの前に突然がトラックが現われ、逃げることが出来なかった。
ロナルドとパトリシアは共に81才でフォースターに住んでおり、キャンベラにいる孫を訪問した帰りだった。クリスマスの次の日に生まれた彼らの赤ちゃんを見に行ったのである。
カルビン・ローガンは59才で、キャンベラで高校の教師をしていたが、彼の父親であるロナルドがパーキンソン病にかかり、彼の介護をするために学校を退職してフォースターに引っ越していた。
ドナルドとパトリシアには、2人の子供と3人の孫、そして5人のひ孫がいた。昨年末に60年目の結婚記念日を祝い、二人とも地元で活発なエホバの証人であった。
夫婦は12年前に退職し、フォースターへと引っ越して来た。その前にはシドニーに住んで働いていた。
彼らは、キャンベラからの帰り道にキャンベルタウンに立ち寄る予定だった。そこには夫婦のもう一人の息子ゲリーが住んでいる。しかし、いつまでたっても両親が現れなかったので彼は不安になっていた。
「私は両親が来るのを待っていました。携帯のメールを送ったのですが返事はありませんでした」とゲリーは言う。
彼は、インターネットのニュースサイトを見て、あまり離れていないところで大きな交通事故があったことを知った。
「そこの写真にあったのは見覚えのある車でした。そんなことがあるはずがないという気持ちでした」
夫婦はシドニーにいた時も、またフォースターに引っ越してからも、活発に活動していたエホバの証人だった。
エホバの証人の長老のダリル・コムリンは、彼らが地元の会衆にとって家族のようであり、事故についてすべての人が衝撃を受けていると語った。
「彼らは、本当に愛されていました。人々が亡くなった時に良く聞く言葉ですが、しかし彼らは本当にそうだったのです」
ドナルドは、棚を製造するメーカーを退職後、1980年代からニュー・サウス・ウェールズ州で200棟もの王国会館の建設に関わってきた。
「彼らはいつも新しい人たちに近づいて歓迎していました。とても温かい人たちで、自分たちよりも、いつも誰かを助けることに力を尽くしていました」
彼らは、年齢ゆえの問題、また特にロナルドはパーキンソン病によって健康が損なわれてはいたが、毎週、家から家を訪問する活動を続けていた。
ケルビンの息子ロバートは「祖父母、そして父は地元で尊敬され、皆に愛されていました。彼らはエホバの証人として、家族と強い信仰に対して献身的でした」と述べた。
ロナルドとパトリシア、そして息子のカルビンは、高速道路を走行中に反対車線に飛び出して来たトラックと正面衝突し、車はトラックに押しつぶされて3人が亡くなった。ちょうど1週間前が、彼らの60年目の結婚記念日だった。
2両連結された大型トレーラーは、路側帯を越えてガードレールに接触し、橋に入ったところで反対車線に飛び出した。シドニー南部のヒューム・ハイウェイで、1月24日午前11時25分のことだった。
北に向かっていたロナルドの運転するフォード・モンデオの前に突然がトラックが現われ、逃げることが出来なかった。
ロナルドとパトリシアは共に81才でフォースターに住んでおり、キャンベラにいる孫を訪問した帰りだった。クリスマスの次の日に生まれた彼らの赤ちゃんを見に行ったのである。
カルビン・ローガンは59才で、キャンベラで高校の教師をしていたが、彼の父親であるロナルドがパーキンソン病にかかり、彼の介護をするために学校を退職してフォースターに引っ越していた。
ドナルドとパトリシアには、2人の子供と3人の孫、そして5人のひ孫がいた。昨年末に60年目の結婚記念日を祝い、二人とも地元で活発なエホバの証人であった。
夫婦は12年前に退職し、フォースターへと引っ越して来た。その前にはシドニーに住んで働いていた。
彼らは、キャンベラからの帰り道にキャンベルタウンに立ち寄る予定だった。そこには夫婦のもう一人の息子ゲリーが住んでいる。しかし、いつまでたっても両親が現れなかったので彼は不安になっていた。
「私は両親が来るのを待っていました。携帯のメールを送ったのですが返事はありませんでした」とゲリーは言う。
彼は、インターネットのニュースサイトを見て、あまり離れていないところで大きな交通事故があったことを知った。
「そこの写真にあったのは見覚えのある車でした。そんなことがあるはずがないという気持ちでした」
夫婦はシドニーにいた時も、またフォースターに引っ越してからも、活発に活動していたエホバの証人だった。
エホバの証人の長老のダリル・コムリンは、彼らが地元の会衆にとって家族のようであり、事故についてすべての人が衝撃を受けていると語った。
「彼らは、本当に愛されていました。人々が亡くなった時に良く聞く言葉ですが、しかし彼らは本当にそうだったのです」
ドナルドは、棚を製造するメーカーを退職後、1980年代からニュー・サウス・ウェールズ州で200棟もの王国会館の建設に関わってきた。
「彼らはいつも新しい人たちに近づいて歓迎していました。とても温かい人たちで、自分たちよりも、いつも誰かを助けることに力を尽くしていました」
彼らは、年齢ゆえの問題、また特にロナルドはパーキンソン病によって健康が損なわれてはいたが、毎週、家から家を訪問する活動を続けていた。
ケルビンの息子ロバートは「祖父母、そして父は地元で尊敬され、皆に愛されていました。彼らはエホバの証人として、家族と強い信仰に対して献身的でした」と述べた。