緑の地球ネットワークの黄土高原スタデイツアーでは、もう大同市で確保した土地は植え尽くし、他に適当な場所もなくなり、今度、河北省に活動の舞台を移す段階に来ている下での活動だった。そのため、実際の植樹活動は少しだった。この点、物足りなさが残ったのは事実だ。でも過渡期でしょうがない。
20年以上前、黄河が大きく湾曲している内側のクブチ砂漠で植林をしたときは、労働そのものだった。長ぐつ持参。まさに月の沙漠の風景だった。そんなところに植樹するのは、砂漠緑化そのものだった。砂漠なので活着率はそう高くない。ちなみに黄土高原は砂漠ではない。でも環境破壊とたたかう最前線だ。
こんどのツアーの最後に北京の中国人民対外友好協会で緑の地球ネットワーク25周年の記念シンポジウムがあった。中国の要人も出席し意見交換が行われた。そのあと会場を移し、「中日友好使者称号授与儀式」がおこなわれた。高見邦雄・緑の地球ネットワーク事務局長が「中日友好使者」の称号をもらうことになった。日本公使も出席し挨拶した。25年の活動を総括する高見さんの講演も行われた。現地で迎えてくれ、案内してくれた高見さんは、日焼けした中国人の農民に近い風貌だ。質素は服装で植林地を歩き回る人だ。年間90から100日現地に滞在して中国人と協力して仕事をすすめている。表彰式で高見さんは、背広を着て現れたが、どこか借り物の服を着ているという風情だった。そしてずっと恥ずかしげだった。よくあるような得意満面の政治家の風情とは対極だった。人生をかけた、このようなひとの努力で中国の緑化がすすんできた。中国との関係が悪くなっている下だからこそ、地道な活動が重みを増している。
20年以上前、黄河が大きく湾曲している内側のクブチ砂漠で植林をしたときは、労働そのものだった。長ぐつ持参。まさに月の沙漠の風景だった。そんなところに植樹するのは、砂漠緑化そのものだった。砂漠なので活着率はそう高くない。ちなみに黄土高原は砂漠ではない。でも環境破壊とたたかう最前線だ。
こんどのツアーの最後に北京の中国人民対外友好協会で緑の地球ネットワーク25周年の記念シンポジウムがあった。中国の要人も出席し意見交換が行われた。そのあと会場を移し、「中日友好使者称号授与儀式」がおこなわれた。高見邦雄・緑の地球ネットワーク事務局長が「中日友好使者」の称号をもらうことになった。日本公使も出席し挨拶した。25年の活動を総括する高見さんの講演も行われた。現地で迎えてくれ、案内してくれた高見さんは、日焼けした中国人の農民に近い風貌だ。質素は服装で植林地を歩き回る人だ。年間90から100日現地に滞在して中国人と協力して仕事をすすめている。表彰式で高見さんは、背広を着て現れたが、どこか借り物の服を着ているという風情だった。そしてずっと恥ずかしげだった。よくあるような得意満面の政治家の風情とは対極だった。人生をかけた、このようなひとの努力で中国の緑化がすすんできた。中国との関係が悪くなっている下だからこそ、地道な活動が重みを増している。