山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

「世界憲法全集」出版計画はすばらしい

2013年05月10日 17時29分53秒 | Weblog
 日本科学者会議(JSA)のメールに「世界憲法全集(または世界憲法集成)第1次案」があった。2015年末公刊をめざして集団的な作業をしようという研究・出版計画だ。世界199の国・地域の憲法を入手して日本語に翻訳し、注を付し、その国の現況、歴史、憲法の特徴も記述するという、日本で初の画期的事業だ。旬報社から発行する。
 日本という国は、政府もマスメディアも、アメリカ追随が目に余る。政策や論調がアメリカのフィルターにかけたものばかりだ。ベネズエラのチャベス前大統領を正当に評価せず独裁者扱いで一貫していた。これでは、中南米でアメリカが孤立するにいたったことを理解できない。だから日本では中南米の正確な報道は期待できない。
 すでにアメリカ1極支配の時代は終わった。アメリカにこびへつらって満足しているのは日本くらいのものだ。真に世界に目を向けなければならない。でないと方向を見誤る。
 JSAの研究・出版計画は、21世紀の世界を理解することを励ますものだ。世界憲法史の中で最高の到達である日本国憲法の意義を理解せず、大日本帝国憲法を懐かしむ連中(自民・維新・みんなetc)が国会の多数を占める状況のなかで、その意味は大きい。
 

 
 
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中野隆司柏原市長、新入職員を自衛隊に入れる

2013年05月09日 08時41分39秒 | Weblog
 中野隆司・大阪柏原市長が、新人研修だとして職員15人を5月8日から自衛隊に入れた。全国の自治体でも前代未聞のことだ。新人に続いて、中堅職員も今後、自衛隊に入れるようだ。かつて橋下大阪府知事が幹部職員を自衛隊に入れるとして厳しい批判を招いてひっこめたことがあった。
 中野隆司という人物は、維新の会に属し、今年(2013)2月の市長選で当選した。
 だが、かつては中学校に勤めていたが、とんでもない暴力・セクハラ教師で、そのために辞職していた。それが今は維新の市長というわけだ。
 福祉など市民に密着した仕事が中心の地方自治体のの職員の仕事はどうあるべきか、その精神について市長自ら講義するなど、本来やるべき研修をせずに、自衛隊に放り込むとはどういう神経か。規律と連帯感を学ばせ、災害で出動する自衛隊を経験させるというのだが、狂っていないか。軍隊の規律がなんで自治体職員に必要なのか。市長への服従を身につけさせるのだろう。災害の仕事は市職員の本来業務そのものだ。自衛隊に行く話ではない。市長自らが災害時に先頭に立つべきで、その方針方策はしっかりと立てられているはずだ。その内容を新人にも教えるべきであって、軍事訓練はまったく筋違いだ。
 この維新市長は、市長としての資格を問われる。頭の構造も問題にされる。
コメント (4)
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「安倍政権の改憲暴走を許さない 5・3憲法のつどい」に参加

2013年05月04日 08時31分00秒 | Weblog
 昨日(2013・5・3)、天満橋近くのエルおおさかで開かれた憲法集会に参加した。800人で満員の会場に950人の参加だった。ここ25年ほどで、5月3日の憲法集会に参加したのは10回くらいか。あとは連休を利用して志賀高原に春スキーにいっていた。ことしは、自民党・維新の会が96条改憲をかかげ、参議院選挙後にも改正の発議をするような危険な情勢なのでかけつけた。
 つどいでは、神戸大学名誉教授の浦部法穂さんの講演、宗教者9条ネットワークの代表などのリレートークなどで2時間。そのあと、西梅田までパレード。

 浦部さんの講演から。
 第2次世界大戦は植民地再分割の帝国主義戦争。つまり、植民地や市場のぶんどりあい。やくざの縄張り抗争と考えればわかりやすい。
 日本国憲法の「平和主義」は帝国主義との決別宣言。いわば、やくざの世界からの足抜け宣言。率先して過去を反省して、やくざのぶんどりあいのない世界をつくることに全力を尽くすと宣言することは決して自虐的ではなく、むしろ誇るべきこと。
 平和主義を後退させ、さらに9条を変えることは、その誇りを捨てること。
 民主的な憲法制定はポツダム宣言による義務。日本政府が民主的憲法をつくろうとしなかったゆえに、占領軍主導の憲法作成に。その際、GHQは民間草案(鈴木安蔵らの憲法研究会)を参考にした。
 押し付けの要素はたしかにあったが、国民が憲法を支持しているかどうかが憲法の正当性を決する。
 本来ならば、1952年の「独立」時点で憲法承認の国民投票をすべきだった。それをせずにそのまま継承したということは、その時点で国民の承認があったものとみなされる。だから1952年以後は、押し付け憲法だから無効だなどという理屈は通用しない!
 押し付け憲法論が決して言わないことがある!
 それは、憲法以上に日本国人の意思を無視して占領軍に押し付けられたもの=日米安全保障条約。押し付け憲法だから変えるべきだというのなら、押し付け安保もまた否定されなければならない。だが、押し付け憲法を声高に言う人々からはその声は聞こえない。
 9条改憲はアメリカが求めていることだから、自主憲法制定などというのは嘘っぱち。実態はアメリカの要求に応えるための改憲であり、アメリカのいうことに追従しているだけ。
 歴史的事実としては、やくざの世界からの足抜けを命じたのはアメリカ。もういちどやくざの世界に戻ろうというのが、自主憲法制定論の論理。もういちどやくざの世界にもどっていいのか。
 昨年末の総選挙で、改憲派議員が89%を占めた。9条改憲については、75%の議員が賛成だという。夏の参院選で、安倍自民と極右の維新が勢力を伸ばせば、9条改正が現実化しかねない。
 しかし、国民の間では、9条改正は反対の方が多い。この国民世論を議席に反映させなければならない。改憲を許すことは、やくざの世界に戻ることになり、現実政治では今以上にアメリカの三下として、お金も貢ぎ血も流して親分に尽くすことを求められることになる。日本国民はそんな選択をするのか。
 96条改憲が発議される可能性大だが、そうなったときは、これを国民投票で否決することで、国民の意思をはっきり知らしめる必要がある。

 浦部さんはやくざの抗争になぞらえて、戦争を説明した。わたしも授業では、帝国主義戦争や軍事同盟を、やくざのグループ間の抗争におきかえて説明してきた。まさに9条を捨てることは、平和日本が銃で武装したやくざ世界にもどり、先頭切って抗争にのり出していくことにほかならない。中国や韓国との領土問題、北朝鮮問題があるから、9条を捨ててやくざの世界に戻る?それが日本の進むべき道?武力で領土問題に決着をつけるのは、まさに帝国主義=やくざの論理にほかならない。
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96条改憲は憲法破壊だと怒る小林節教授、『赤旗』で訴える

2013年05月01日 08時22分34秒 | Weblog
 4月28日付(2013・4)『赤旗日曜版』と4月30日付『赤旗日刊紙』の1面にあいついで登場したのが慶応大学教授・弁護士の小林節氏だ。憲法学者ではめずらしい改憲論者だ。自民党の講師をつとめてきた人だ。その小林氏が、憲法破壊は許せないと訴える。
 
 今日まで私は、憲法改正を提案し続けてきました。まぎれもない改憲論者の私が、憲法観で対立する『赤旗』紙上にコメントを寄せるのは、「憲法そのものが危ない」という差し迫った状況が目の前にあり、からだを張ってでもそれを阻まなくてはいけないとの思いからです。

 96条を改正して憲法の改正手続きを緩めよう、ハードルを低くしようというのは、立憲主義の否定であり、国民主権に反することだ。ところが、小林教授と同じ弁護士でもある橋下徹・維新の会代表は、3分の2を発議の条件にすることは「国民主権を封印している規定だ」と96条を攻撃する。こともあろうに国民主権をもちだして改憲要件を攻撃する。この人一流の詭弁だ。国民主権の要請するところが、権力者の恣意をしばり、改憲要件を厳しくしているのであって、その逆ではない。稀代の詭弁家・橋下徹にかかると、憲法理論も逆転してしまう。
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