山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

反響をよんだ赤川次郎さんの投書

2012年04月24日 04時08分03秒 | Weblog
 赤川次郎さんの『朝日』「声」欄への投書が反響を呼んでいる。わたしの友人たちもこれに注目し、勇気を得ていた。4月24日の「声」では、赤川さんの投書を読んでということで二人の方が意見を表明している。
 前にも書いたが、わたしは、赤川さんの橋下氏への意見に賛成であるだけでなく、赤川さんのような方が一市民として投書されたその精神に敬服した。発表の場に不自由しないどころか、執筆依頼がひきも切らないであろう赤川さんが、自分の力を使わずに行動する。
 人には礼儀をもとめながら自分は他人を侮辱したり(学者を「役立たず」とののしる=人への最大の侮辱)、人権侵害の思想調査を謝りもしない、力がすべての橋下氏との違いがきわだつ。

 『朝日』の橋下追随記事には辟易している。もちろん『朝日』だけではないが。テレビはもっとひどい。毎日系の「ちちんぷいぷい」は独自の姿勢を保とうとしているが、朝日系の「キャスト」は古賀、中田はじめ橋下ブレーンを常任メンバーに据えている。『朝日』の記事には前から希望を持っていないが、「語りつぐ戦争」シリーズなど「声」欄だけは救いだった。しかし橋下批判投書はシャットアウトされてきた。とくに教育基本条例では、批判投書が殺到していたはずなのに、みごとに排除された。3回ほどつまらない内容のものは載ったが、きびしい批判は載らなかった。友人のが載ったのがやっと3月になってからだ。「声」までがコントロールされている。民主党を持ち上げてきたのを路線転換して、橋下ファッショ政権樹立まで神輿をかつぐつもりなのだろうか。
 そんななかでの赤川さんの投書だ。橋下関連情報がこれでもかとおしつけられるなかで、初めてであった爽やかな文章だった。




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2 コメント

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橋下さんのあきれた反論 (村崎)
2012-04-26 00:32:27
山上先生,こんばんは。
 赤川さんの投稿は東京版の方で(大阪版より)1,2日早く紙面に載ったそうです。
大阪版に載る前から,(記事を送ってくれる方がいて)私は東京版を読むことができました。
反響が大きかった,
しかもこれを他の人にも伝えたい,皆に知って欲しい,と思う人たちの反響でしょう。
だから大阪でも載せたという声もあるようですよ笑。
なかなか500字でここまでまとめられません。さすがです。

 しっかし…橋下さんがツイッターでどのように反論したかご存知ですか?
この人はもう本当にどうしようもないなーと思います。
赤川さんの文章がまったく響かないようです。
選挙に通ったから,皆が全部自分に白紙委任してくれていて,それを代わりに実行していると本気で信じ込んでます…。
読んでみて下さい。
気分すごく悪くなりますけど。
悪くさせてしまってすいません。

引用開始ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 14日の朝日新聞の声で赤川次郎さんからお叱りを受けた。君が代起立斉唱条例について価値観を押し付けるなと。しかし、義務教育の卒業式の場で、全員が起立して君が代斉唱する際に、あえて着席することも価値観の押し付けである。人間の意図的な行為は全てが価値観の表れでもある。

特に作家さんの表現行為は価値観の表れそのものである。それが押し付けとならないのは、その表現行為を受領するか否か、受領者側に自由があるからだ。赤川さんの価値観が嫌な人は、赤川さんの本を買わなければ良いだけ。だから赤川さんの表現行為は価値観の表れだが押し付けではない。

人の行為は価値観の表れ。それが押し付けになるかどうかは、受領者側に受領の自由があるかどうかによる。義務教育の入学式・卒業式の場において、子どもたちや保護者は、教員の不起立行為が嫌な場合に他の入学式・卒業式を選ぶ自由はない。その入学式・卒業式に出ざるを得ない。

子どもの晴れ舞台である卒業式、入学式の国家斉唱を厳粛に行いたいという価値観を持っている保護者も多い。子ども自身も起立して歌いたいという子どもも多いだろう。そんな中で自分の思想良心からあえて着席するのは、それも他人への価値観の押し付けなのだ。こういう場合にルールが必要となる。

そして大阪維新の会は民主主義のルールにのっとり、条例を成立させた。特に大阪市議会においては維新、公明、自民の圧倒的多数(3分の2以上)をもって条例は可決となった。赤川さんの価値観を大阪市民に押し付けないで欲しい。入学式や卒業式で君が代を起立して斉唱すると言うのは大阪市民の価値観だ

また文楽に補助金を入れないことにも甚くご立腹らしい。一度、補助金支出の仕組みと文楽の仕組みを勉強して下さい。今の仕組みのままでは文楽は振興しません。僕は文楽と言う文化は否定しない。しかし公金の支出の仕組みを問題視している。これは日本の文化行政全般にわたる問題だと思う。

なぜ落語や漫才や歌舞伎に補助金が必要ないのか。それは文楽のような仕組みではないから皆自立をしているのである。文楽を本当に振興させるためには、今の仕組みを変えなければならない。これが現実の政治行政です。一度三毛猫ホームズに調べさせて下さい。

赤川さんは大変な誤解をしているようです。君が代起立斉唱条例はの対象者は教員のみ。子どもや保護者は対象ではありません。しかも条例成立の前に、教育委員会が既に起立斉唱を決定しています。

また入学式や卒業式の式典の場において起立を求められるもので、教員がプライベートの場で着席していても不問です。子どもたちが、親たちが選ぶことができない卒業式、入学式の場で、子どもたちの晴れ舞台を祝う場で君が代の起立斉唱を教員に求めるのです。ここでの不起立も価値観の押し付けです。

起立を求める価値観の押し付けと、不起立を求める価値観の押し付け。二つの価値観がぶつかったので民主的な手続きにのっとり条例を制定しました。これが大阪府民、大阪市民の価値観です。赤川さんの価値観を大阪府民、市民に押し付けないで下さい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上引用終わり
しかし…やっぱり自民,公明の責任は重大ですね…

詭弁の典型 (yamagami)
2012-04-26 10:24:51
いつもの橋下詭弁。赤川さんが投書をしたことが大阪府民への価値観の押しつけだという。権力の座から要求するのを押しつけというのだ。一市民として、しかも載るかどうかもわからない投稿欄に声を寄せたのを、押しつけ呼ばわりするその歪んだ感覚には開いた口がふさがらない。
 教員が自らの良心を守るために座ることも、出席者への価値観の押しつけだという。押しつけを一度辞書で引いたらいい。本来、保護者・生徒にも立つ立たないの自由がある。かつては、立つ立たないは自由です、押しつけするものではありませんということが事前に伝えられていたものだ。生徒も君が代を押し付けるなと運動をしていた。でもそれも20年から15年も前のことだ。生徒の意識の変化もあるし、押さえ込まれたこともある。わずかに自らの思想を(最高裁判決では歴史観といっていた)ギリギリのところで守るための控えめの行為なのだ。何も他に要求していない。しかし、これを権力でたたきつぶそうというのだ。まさに踏み絵そのものだ。じじつ、起立の強要によって精神的に追い詰められている人たちがいるのだ。体調に異変をきたしている人も。橋下には全く理解できないだろうが、精神活動の芯にあたる部分を否定され、押しつぶされているから。
 わたしはこの3月で退職した。卒業式には外の係り分担で式に入ることはなかった。でも、君が代はかつて、戦前の世の中であっても、国歌にすることさえもはばかられた歌なのだ。君の代をたたえる歌であって、それ以外ではない。まして、国民主権の世にあって、天皇の御代を讃えるなど憲法違反もはなはだしい。教員・公務員は憲法遵守義務を負う。橋下氏もだ。憲法を遵守すれば憲法の基本原理・国民主権を否定することに敬意を表して起立することなどできないのは自明だ。
 それにしても橋下氏のむちゃくちゃな詭弁は徹底批判されなければならない。

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