山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

最後のスイカ

2010年09月12日 07時14分16秒 | Weblog
 先日、北海道産のスイカを食べた。おそらく今年最後のスイカになるだろう。すこし小ぶりだったが甘さもありおいしかった。
 わたしはスイカが大好きだった。幼児の頃は首に金太郎のようなよだれかけをつけて食べた。昔のことだから、まだ冷蔵庫もなく、畑でとれたスイカを井戸水でひやして、畳三分の一ほどもある大きなまな板の上で菜切り包丁で二つに切ると、スイカ独特の音を立てて二つに割れた。高い音と低い音の中間くらいが一番おいしい。縦に四つに切り、それを横に切り分ける。縦に八つに切り分けることもあった。
スイカを昔は「こねばち」といった大きい木の鉢にいれて家族みんながとって食べた。「こねばち」はそば打ちの鉢のようなものだ。大きな木から彫ってつくったものだ。皆が皿をもって種をぷっぷっと吐きだす。昔のスイカは種が多かった。それをうまく吐き出すのも技術だった。でも飲み込んでも平気だった。
 ずっと年月がたってもスイカの思い出は強烈に残っていた。夏の終わりになると、ああもうスイカが食べられないという寂しい気持ちがおそう。その後は夏休みの終わりの寂しさが重なる。
 最近は、スーパーでも一玉でまるごと売っていない。すべて切り売りだ。家族構成の変化、老人世帯がふえてきているからだろう。我が家でも以前はひと玉買って、半分に切って冷蔵庫で冷やしたものだ。
 スイカの産地は、夏の始めは宮崎・熊本産、ついで鳥取産、石川産とうつり、最後が山形産だ。これで夏のおわり。ところが今年、初めて北海道産を見た。スイカの季節が伸びた。山形産を目にする寂しさを和らげてくれる。
 夏の終わりになると、来年はうんとスイカを食べるぞと毎年決意するのだが、いざ翌年になると、ビールへの欲望のほうが大きく、決意はわすれてしまう。でまた、夏の終わりにスイカへの思いを再確認して秋をむかえるのだ。
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