山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

コロナ対策よりも住民投票、住民投票強行が民主主義だという吉村・松井

2020年08月24日 16時18分22秒 | Weblog
 吉村・松井氏は言い方を変えた。実にズルイ。コロナの赤信号がつかない限り住民投票をすると言って、間違ってもつかないように基準をゆるめた。ところが、臨時議会を始めてから、赤信号のいかんにかかわらず住民投票はすると態度変更をした。信号がつけば絶対やらないとまでは言ってなかったとごまかしをして。信用ならない連中だ。とにかく強行すると宣言した。
 二人が言うのは、住民投票をやるのが民主主義だというのだ。あきらかに議員や首長の選挙と混同している。議員や首長は任期があり、それが切れる前にやるのが選挙だ。やらないのは民主主義に反する。だが住民投票は誰かの任期が切れるからやるのではない。そこでの民主主義は、徹底した議論が保障されているかどうかだ。人と人の距離を保て、面と向かってしゃべるなというのがコロナのもとでの生活の新しいルールだといわれている。そこで、議論が保障できるかどうかが問題だ。もしそれができないなら、保障できるまで延期するのが民主主義だ。形式的に投票だけすれば民主主義だとは笑わせる。ファッショ的民主主義だ。
 一回きりだといった5年前は、説明会という橋下独演会は39回やった。今回は8回の予定だという。それもせいぜい数十人から百人の制限付きだ。前回は数百人から千人も詰め込んでやった。独演会のスタイルが大阪市廃止構想の真実を明らかにしたわけではないが、説明会をやるという姿勢だけでも今回とは雲泥の差だ。今回は議論をスルーして投票にもちこみたいというズルさだけが目立つ。ズルさのついでにやるのが未就学児への5万円、60億円の給付金だ。市幹部さえも「住民投票を意識した大盤振る舞いのばらまき」といわざるをえない。税金を党派的に使う、私にいわせれは事実上の「買収」だ。
 これら一連の動きを検証すると、吉村・松井氏らのやることが権力の濫用であり、民主主義を腐らせるものであることが明らかになる。
 
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