山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

清水寛・埼玉大名誉教授の「ハンセン病問題は終わっていない」を読む

2017年08月27日 16時53分35秒 | Weblog
 清水寛・埼玉大学名誉教授の「ハンセン病問題は終わっていない――『ハンセン病児問題史研究』を編んで(上・下)」(『前衛』№952、2017・8~9月号)を読んだ。ハンセン病問題には関心をもってきたが、それほどくわしくはない。だから、ハンセン病児問題について、この『前衛』連載は勉強になった。清水氏の本はハンセン病児だった人たちからたくさんの聞き取りをもとに編まれており、氏は大学教育でも学生たちといっしょにハンセン病療養所で学ぶという姿勢を貫いてきた。
 この連載で、あっと思ったことをひとつだけ紹介したい。
 植民地朝鮮のハンセン病療養所と戦後の韓国の政策についてだ。植民地朝鮮では、日本の療養所以上にひどい実態だった。全羅南道南端の鹿洞沖の小鹿島の療養所では、朝鮮全体から6000人もが強制収容されていた。宿舎の建設はすべて患者の労働でやられていたが、労役拒否をしたり、反日的な態度を示すと、焼きごてを当てられた。その焼きごては、資料館に展示されている。
 戦後独立した韓国では、ハンセン病者の隔離政策を廃止し、患者や回復者が家族と共同生活をする定着村を韓国各地につくった。だが、定着村の子どもに対する通学拒否事件があった。その後、定着村の近隣に一般の人々も住み着くようになり、、壁がなくなって、通学拒否もなくなった。
 ところがその後も、優勢思想に基づく断種とワゼクトミーの手術が行われ、それが憲法違反だという判決が最近最高裁であったというから、戦前日本の差別政策が染み通ってもいた。定着村という形で解放された側面とともに、植民地時代からの差別感が残っていたという複雑性をもっていた。
 誠実な研究者の仕事には学ぶところが多い。
 
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