山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

イギリスの児童強制移民の歴史

2012年06月30日 07時59分48秒 | Weblog
 梅田ガーデンシネマで「オレンジと太陽」を見た。これは1970年までおこなわれていたイギリスの児童強制移住をえがいた映画だ。太陽がふりそそぎ、オレンジを毎日食べることができる国(オーストラリア)へ行くのだと、子どもをだまして送り込んだ。はずかしながら今までその事実を知らなかった。イギリスがオーストラリアなどの植民地(のちの自治領)に永く囚人を送り込んでいたことは知っていたが、孤児あるいは親がいても孤児院に収容されていた子どもを同様に送り込んでいたことは不勉強で知らなかった。
 1618年から1970年までつづき、児童移民の総数は13万人を下らない。行先はオーストラリア、カナダ、ニュージーランド、ローデシア(現ジンバブエ)だ。カナダが一番多かったが、20世紀後半、オーストラリアに受け皿がかわった。
 疑問は、その目的だが、白人の子どもを送り出すことで白人植民地との絆をつよめることにあったようだが、施設に収容された子どもに明るい未来をあたえるという一見「人道的な」目的もつけられていたようだ。だが行った先では、農場での労働、家事労働でしぼられ、映画の証言にもあったが、いじめ、性的虐待がともなった。
 慈善団体やキリスト教会の主導でやられたが、政府が管理し後援していた。マーガレット・ハンフリーズが児童強制移民の事実をつきとめ調査をするまで、政府もマスコミも目をつぶっていた。
 ハンフリーズの著書にもとづいて、2009年映画「オレンジと太陽」が製作がすすんでいる最中に、オーストラリア(2009)、イギリス(2010)政府が正式な謝罪を表明した。
 映画は、移民をすすめた団体や政府を声高に非難するのではなく、数十年ぶりに再会した親子の姿を丹念に追うなど、静かな調子に徹している。
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