山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

人間的価値をもたない軍隊と橋下・教育基本条例を見比べる

2011年10月08日 00時17分13秒 | Weblog
 私は暇を見つけて、戦争末期の学校の兵営化、軍の学校占拠のことを勉強している。そこでは驚くべき実態があった。学校を占拠し駐屯している兵たちは、教室の壁をぶち破って隣の教室との通路をつくったり、夏は机や椅子を持ち出して夕涼みの縁台にし、寒くなるとそれらを燃やして暖をとった。百人単位で駐屯しているところでは、朝、一応授業があった中学1,2年生が登校してくると、便所周辺の廊下はうんこが並んでいた。やがて教室にも垂れ流すようになった。
 空襲のとき、教職員生徒は必死に学校防衛の消化作業をしているのに、兵隊たちは、上官の指示がないのをいいことに手伝いもせず傍観していた。宿泊所として提供してもらった建物が燃えているのに。さらにある学校では、2階から毛布を投げ、飯盒などの生活道具といっしょに持って蜘蛛の子を散らすように逃げた。
 軍規の弛緩は覆いがたかった。でも軍規があろうがなかろうが、社会常識は守らなければならないし、火が燃えていれば消すのが当たり前だがそうではなかった。
 そもそも軍隊は人を殺す訓練をし、それを実行することを目的・任務とする組織だ。命・人権・人としての尊厳などは軍隊の価値序列にはない。普遍的・人間的価値で自発的に動く組織ではないが故の現象だ。
 ひるがえって大阪の橋下・維新の教育基本条例を見比べるとおもしろい。
 橋下条例は、人間的価値が語られない、子どもの姿が浮かんでこない。グローバル社会のリーダーを育てることを教育の目標にするのだ。では全員がリーダーになれるのか。ありえない。ごく一部のエリートを育てることを狙っている。犠牲になる子どもがたくさん出るのは格差として受け入れてもらうしかないと維新は明言している。
 このような非人間的な教育をすすめるために学校組織のつくりかえと邪魔になる教員の排除をねらっている。学校組織をすべて知事の決めた目標を実行する兵隊ののごとき組織につくりかえようとしている。普遍的人間的価値にもとづいて教育をするいまの教員の行動規範が橋下知事は我慢がならない。命令だけでうごく組織にしたいのだ。だが教育は多様な生徒に多様な場面で、グローバルリーダー育成のためではなく、人間的成長のために、命令にかかわりなく教育するのが本来の教育だ。
 軍隊のごとき組織につくりかえるために、5%を毎年Dにランクに格付けして2年で首にする。これをくりかえす。ユーゴスラビア内戦での民族浄化のようだ。Dにつづいてその予備軍として15%のCもつくられる。残ろうと思うと橋下・維新の忠実な兵隊になる道を選ばせられる。人間的価値・教育の普遍的原理にもとづいて自律的に判断し行動する教員はいなくなる。ファシストにはうっとりするような光景だが、人の心を持つものには耐えがたい。
 戦争末期の軍隊は、もともと持っている人間の原理にあわないものを、もっとも醜い姿で露呈させてしまった。橋下・維新の政治の行く末と重なってしまう。










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