山上俊夫・日本と世界あちこち

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大阪市の校長、公平に選考したら「外部」合格ひとり

2015年10月28日 23時13分25秒 | Weblog
 おもしろい結果だ。大阪市教育委員会が公募した来春採用の市立学校長のうち、教員出身でない外部の合格者は一人だった。(『朝日』2015・10・28夕刊)
 外部採用は、初年度2013年春11人、14年春12人、15年春6人、そして16年春1人。橋下市長のさしがねで始まった外部採用。「民間の感覚を学校に」というのがふれこみだったが、13年採用の11人のうち6人がセクハラやなんやらで辞めている。
 こんどの選考基準がじつにおもしろい。市教委によれば「数ありきではなく、内部外部を問わず公平に選考した結果」だというのだ。公平に選考する、あたりまえの選考基準を初めて導入したのだ。重大な発表だ。ということは、これまでは公平な選考をしていなかったのだ。外部は何人とまず数ありきだったのだ。恐ろしいことだ。
 15年春採用からは経営能力偏重の人選をあらため、教育経験も重視するなど選考方法を変更したというのだ。
 校長は、教員のリーダーであり、学校教育の長だ。大阪市のこの4年間は橋下市長の指示命令でひっかきまわされた。、大阪の教育は破壊されてきた。教育は一朝一夕に成果が出るものではない。自分の子ども、親戚の子どものことを考えてみよ。戦前の日本や北朝鮮ならばいざ知らず、右向け右でずっと右を向いているような時代ではないのだ。
 民間人校長は民間の手法をということで組織をいじって成果を上げようとあせったりして様々な軋轢をつくりだした。教員の教育力をまとめ上げるのではなく、分断を持ち込むなど非教育的な状況をつくりだしてきた。橋下的な組織いじりは教育の王道ではない。
 とにかく、橋下の指示で民間人校長の数を多くすることが第1にあって、別枠の選考基準が設けられていたのは、大阪の教育にとって大きな不幸だった。重なる不祥事、弊害のあげく、すこし是正されたということだ。
 つけくわえていえば、民間で本当に必要とされる人が、自分の仕事をすてて、なんで学校長になろうとするのか。本当に優秀な人ならば、組織は手放さないだろう。かつて高校で民間人校長だった人は、何千人の工場長だった。それがたった70人の職場の長になりさがった。給与も下がる。この場合、自主的選考もせずに関経連に人選まで丸投げした。結果、とんでもないパワハラを生むこととなった。教員という教育の専門職を自分の経営の駒と扱う彼の組織運営は、教員の自発精神に満ちた行動形態と激しくぶつかり合った。教員は教育的に必要とされれば、いくらでも働く。自己犠牲的に働く。ところが経営の欲に固まった人間のためには従順になれない。
 
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