山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

品川正治さんの発言

2008年12月30日 07時57分38秒 | Weblog
 『朝日新聞』の12月28日付けに、経済同友会終身幹事の品川正治さんのインタヴーがのっていた。「人間見ようとしない経営」という題がついていた。
 かつての日本の資本主義には果実は国民が分けるという実質があったが、今は果実は株主や資本家のものという米国型の経営手法が当然とされ、派遣労働が緩和された結果、労働者が最大の犠牲を強いられている。憲法9条によって、国家ではなく人間の目で戦争をとらえることができた。経済も人間の目でとらえることができるか、経営者として私は自ら問うてきた。
 現状はどうか。人間の目どころか国家の目でもとらえられないものに、経済は変質した。国際金融資本や多国籍企業の視線に、国家も国民も振り回されている。痛みは大きいが、米国型金融資本主義が崩壊したことに安心感さえ覚える。あと5年も米国化が進行していたら、経済の変容は行き着くところまで行き、労働者も今以上に商品化されていたことだろう。
 米国では80年代から進んだグローバル化も、日本で本格的に進んだのは00年以降のことだ。日本企業はまだ米国型に100%染まってはいない。
 私が注目した部分は、以上の部分だ。
 経団連会長のキャノンの社長などは、まさに人間の目どころが国家の目さえももっていない。とおの昔に国民経済に責任をおう経営という観点は捨て去っている。経営拠点も半分は、場合によっては半分以上を海外に移している。税金逃れのために、ケイマン諸島などタックス・ヘブンも利用する。ところが、国家への要求、おねだりはエスカレートする一方だ。法人税を下げよ、研究開発費の補助を増やせ、産業再生のためリストラしたら減税せよ、社会保障費の増加に対応するため消費税を上げよ、と。国家の目さえ持たないのに、国家を従え、国家に指図する。
 品川さんは、あと5年後でなく、いま破綻してよかったとさえいった。なるほどと思った。いまなら社会を立て直すことができるということだ。心ある労働者国民は新自由主義の本質を体の痛みで知った。マスコミも少しは反省したかにみえる。今、押し返すときだ。憲法問題は9条だけでない。平等権・生存権を破壊することをもう一方の柱にしている。事実、新自由主義の規制緩和論をあおった連中は、10年あまり前、憲法の平等原則に攻撃を集中していた。結果平等などはいらない、これが経済の発展の足を引っ張ると。自由主義の社会は、機会の平等を保障しているのだから、それで充分だと。
 品川さんは、日本火災の社長だった。人間的名経営をしていた。彼の引退何年後か知らないが、合併して日本興亜火災になった。そのあと、会社は全損保に加入している労働組合を破壊を大々的におこなった。
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