山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

もう花芽

2008年12月20日 09時34分20秒 | Weblog
 銀杏が散る前に、すでに白木蓮の葉は散った。茶色の葉がすっかり散った後に、地面に木の実の殻ようなものがバラバラと落ちるようになった。見るとネコヤナギの芽がパカッと割れたようなものだ。触ると猫の毛をなでる感触だ。大きさもネコヤナギと同じくらいだ。色は薄茶色に銀色がかさなった色だ。光ってきれいだ。
 これは白木蓮の花芽が生長してきて、それまでの外套が小さくなって、脱ぎ捨てた抜け殻なのだ。2階のベランダから近寄ってみると、確かに、花芽が小指の先くらいになっている。葉を落として、冬支度をしたと思ったら、実はその裏で春の準備を着々とすすめていたのだ。
 やはり自然はすごい。
 私は、今のことをやっと終えたら、次のことにとりかかるのだが、あらかじめ先を見通した準備をしていないから、次のことの全体像と細部の関係、どこをとっかかりにすれば全体がほぐれるように展開していくかあまりわからないまま、手にしやすいところに手をつけて、後が続かない。すると次にやりやすそうなところに手を出す。この繰り返しで、あとで全体から見るとほころびが目につく。ほころびをを取り繕うと細部との間にきしみが生ずる。それをまた修正する。こんなことを数ヶ月単位で繰り返してきた。でも、数ヶ月単位を、20日単位に圧縮してやらなければならない事態に追い込まれている。そうすると、ほころびや軋み、さらにはこまごました間違いなどを修正していく作業が荒っぽくなる。心配だ。細部を充分深めるゆとりもなくなる。真理は細部にある。だから荒っぽくなるのは心苦しい。
 もう1年も「北野定時制72年史」を書き続けているのだが、これが今感じていることだ。でも愚痴や自分の力のなさを嘆いてもしょうがない。さあ、立ち上がろう。
コメント (2)
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