ひとり暮らし高齢者のたわごと

年寄の身の回りに起こるあれこれを思いつくまま書いていきます。

回想法

2016-11-24 20:05:25 | その他
 ◆回想法◆ 認知症予防に
 認知症の人が子供のころにやった、お手玉、独楽回し、メンコ、ベーゴマなどをやったり、子供のころの出来事を回想したりすると、脳が活性化して認知症が改善されたり、予防が出来るとの情報があります。
 私もそろそろ危ないので、この回想法に取り組んでみたいと思います。

 12月になると、明治生まれの親父が正月の飾りつけをしながら調子外れで「お正月さんござった、つよ(杖)のさきに味噌つけてねぶりねぶりござった、何処までござった、広江の橋までござった。」と歌っていたのを思い出します。
「お正月の神様が、杖の頭に味噌を付けて、舐めながらおいでになった、何処までおいでになった、広江の橋までおいでになった。」の意味です。もうすぐ橋を渡って町内に来てくれると、正月の神様を待っている歌です。
 広江の橋は町内の端の場所です、神様は歩いて地域の入り口から町内に入ってきたようです。
 そう云えば、厄病神もや地域のはずれから入ってくるようです。村のはずれにはお地蔵さんが立っていて、村を守ってくれているのはそのためかな?
 
 私の子供のころには、町内のはずれの辻々に、桟俵にご幣、赤飯、お神酒を載せて置いてありました。
犬が喜んで食べていました。親父に聞くと「疱瘡の神様がやって来て、それを食べたり飲んだりしてもらっている間に川に流して去って貰うんや」とのことでした。赤ちゃんが生まれるとそこの家の人が置いていたようです。

今でも藁で作った獅子頭を村のはずれや、家々の玄関に置いて厄病神が入って来るのを防いでいる村落があるとTVで見ました。
どうも藁は人の世界と神様や異界のものとを仲介する力があると考えていたようです。しめ縄、輪飾り、などもその延長ですね、正月の神様が玄関から入って貰いたいとの願いですね。

註 桟俵(さんだわら)
米俵(大黒様が乗っているやつです)の両端にあてる藁で編んだ円い蓋の事です。
神餞(お供え)の台盤としたり、疱瘡の神や、流し雛をのせて川に流したりまた胞衣(えな、胎盤)のせて埋めるなど、人と、神や異界のもととの交わりの道具として様々に用いられた。
最近はお米が俵に入っていないので桟俵を見たことのある人は少ないようです。
昭和23年頃はまだありました。子供のころボーイスカウトのキャンプで座布団代わりに支給されていました。湿った土の上でもあたたくて重宝したものです。お米が紙袋に入れられるようになって見られなくなりました。