天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

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深沢七郎『楢山節考』

2019-10-16 06:02:33 | 


乙川優三郎が「おりこうなお馬鹿さん」という短篇のなかで登場人物に、
日本の数十年前の人間像も素敵です、自分自身を律する心の質が今の私たちとは全く違うし」と語らしめているのが身にしみている。
乙川さんの場合、直接的には尊敬する作家芝木好子自身、さらに彼女が書いた隅田川界隈の職人たちの日々技を磨く精神性のことかと思う。
これは各人がもっと広げて解釈してもいいわけであり、ぼくは太平洋戦争を終結させた鈴木貫太郎内閣で陸軍大臣を務めた阿南惟幾(あなみ これちか)の心のうちをよく思うのである。
介錯もさせず自分の腹を切って果てた阿南惟幾。これにより暴発寸前であった陸軍の鎮静を図り無事ポツダム宣言受諾にこぎつけたのだが……これを強靭な精神力などという言葉で処理できない。
「自分自身を律する心の質」ということを考えてしまうのである。

立川談志の枕のように前置が長くなったが、『楢山節考』は昭和39年、ぼくが13歳のときには発表された作品。何度読んでも味わい深い。
主人公おりんの心の質はいまのわれわれからあまりに遠い。69歳になり来年は楢のいっぱいの山へ背負われて行くさだめ。そこに放置されて死を迎えるのだが彼女は行く心の準備ができている。残念なのは旅立つには歯がすこぶる立派なこと。33本もある葉を子供たちが揶揄する歌を知り恥ずかしくてならない。
それで石で自分の歯を叩いて壊そうとするが駄目。しまいには石に自分の顔をぶつけてやっと2本の歯を折ることに成功する。顔は血みどろでしばらく血が止まらない。それを見て子供たちが鬼婆と叫んで逃げる。
この小説は色彩感覚が実に優れている。
まずおりんの流血した真っ赤な顔である。次に息子辰平が進んで行く山中で、ここに白骨が散乱していて雪のように白いというくだり。ここに来るとなんと空から雪が降りはじめる。白骨に降る雪が神々しく凄まじい。辰平は母を地におろしたら振り向いてはならぬという掟に反し、雪が降ってきたことを言いたくて母のところへ引き返す。死を荘厳する白い雪を最後に母と喜びたいのである。こういう心の質というのは本がないと、書かれたものがないかぎり、もはやわれわれは近づくことができない。
雪が降る中ある遺体は黒い。見ると胴体に黒いものが動きそれは鴉なのだ。鴉が臓物を食っておりそれは二羽三羽といる。遺体の中を巣にしている。

現代のわれわれが遠ざかってしまった「心の質」を辿ろうと思う。寒くなってとりわけそういう欲求に駆られる。
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