天地わたる手帖

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自分のことは話すな

2019-10-19 07:06:59 | 句会


「自分のことは話すな」は吉原珠央が書いた本の名称である。幻冬舎新書、880円(税抜き)。おととい朝日新聞で見てはっとした。
「相手はこちら側(私)の話に興味がない」この事実に気づいている人は、実はかなり少ない。だからこそ常に客観性をもって会話する人が、ビジネスでも、頭一つ抜けるのである、
と謳う。


会社、ビジネスにおける処世術がテーマらしいが、「自分のことは話すな」は句会においてまず学んでほしい最初のことである。
先日もKBJ句会で句会2回目のHさんが点の入った句について嬉しくて声高にああだこうだと述べる。2句については聞いてやったが3句目のとき「もう自分の句の話はいいです」と拒否した。点の入らなかった句についてはもっと弁明、釈明をしそうである。
確実に言えることは、自作について句会で述べたい人は句が進歩しないということである。
出した句になにか付け加えたいことがあるのはその句の精度が低いことではないか。

句会に出した俳句は駅の伝言板に書いた一行であると思え。それは落書かもしれない。しかしそれを読んだ赤の他人が心中に何か感じる。
そういう孤独で孤高なものであってほしいと思え。伝言板のわきに本人が立っていて解説などするか。

ひこばえ句会にはNHK俳句添削教室の出身者がかなりいる。
彼らは添削を受けるために一句それぞれにそれができた事情をたんねんに書く習慣が身についていた。それを句会で引きずる。
「京都へ行ったんです。にわかに時雨になっちゃいまして、前の茶屋に飛び込んで、団子のおいしかったこと、紅葉が真っ赤でね……」
放っておくとこの手の話がえんえんと続いて句会どころではない。
ぼくが初心者にまず言うことは「自分のことは話すな」である。話さなくていいように一句をそそり立たせよ、一句にすべてを賭けよ。言いたければ他人の句をしっかり読んでしっかり発言せよ。

「自分のことは話すな」は自作がみんなの論議の対称になっているときもである。このとき「私はそういう気持ちで書いたんじゃありません」などと言う奴が必ずいる。これもナンセンスである。作者に「どういう意図だったのですか」と振る司会もいるがそんなことは無用である。
俎上の鯉がそこを切れそこは嫌だと言うか。切られるに任せるほかない身の上だろう。自分の句が論議されている、そのときの自分は、ラグビーで言うとオフサイドポジションにいるのだ。プレー参加したら審判の笛が高鳴って反則である。
自分の書いた意図に添っていようが反していようがただじっと聞いていよう。ぼくは特に自分の意図と違う読みをしたとき耳を澄ます。自作の精度の低さを思うのであり概してそういう場合が多い。
とにかく自分のことをべらべらしゃべりたいうちはだめである。それを我慢できるようになったときかなり俳句は進歩しているだろう。

自作について語りたい人は補助輪付き自転車に乗る幼児である。はやくそれを取って自力で立つべきである。でないと転ぶことも覚えない。転んで覚えるのである、自転車も俳句も。


題名に惹かれたがこの幻冬舎新書は買う気はない。
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