天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

颱風後の多摩川

2019-10-13 11:54:26 | 自然


ゆうべの颱風の佳境を知らず寝てしまっていた。東京を颱風が通るという9時、そう風が強くなかったのではないか。夜半目覚めると月が煌々と出ている。早朝から晴れてじっとしていられず7時に多摩川の是政橋に立った。ここに来る道路に思ったより枝や葉が散乱していない。雨颱風のような気がする。
やはり颱風後の多摩川を見たい人がちらほら橋の上にいて嬉しい。




向うにも秋出水見る独り者
秋出水みんな寡黙になりにけり


圧倒的な濁流はやはり一人で静かに見たい心理なのか。それは他人も一緒らしく無言で通じ合う時間。
是政橋の東側は野球場が3面あるが水びたし。こんな風景はぼくが府中市に住みついて40年ほどになるが初めて。



野球場は水が引けば使えそうだが橋の東側のサッカー場は悲惨。一部土が抉り取られている。橋の下に5月果実をいただいた桑の木がかなりあったが全滅。

サッカー場

全滅した桑の木



橋の上流700mほどのところは市民交流広場である。胡桃の木の周りでなにか拾っている家族がいてすわ競争者と思ったが、彼らの掬っているのは白い小さな魚であった。胡桃の木の下に胡桃はひとつもない。すべて流れてしまったか……。
秋晴や白きが跳ねる水たまり



流木を受け止めし木や爽かに
この木の上流に数本あった胡桃の木は消滅。その数本を含む芥を一本の木が受け止めている。ジャパンラグビーのリーチ・マイケルみたいなしぶとい奴である。




野分晴ビニール傘のはためける
傘が旗のように動くさまを初めて見た。骨があるのだが旗としか思えない。

濁流を見て突立つや秋の風
濁流は好きな見物のひとつ。諦めの色であり人為でどうすることもできない力である。平伏すしかない。

燦燦と照る濁流や秋の風
濁流は清らかな水より照りを濃く感じる。季語は秋風ばかりで芸がないが今日は見たまま感じたままでいいや。



秋麗交じりけのなき泥の照
泥というものの美しさを堪能する。同様に砂もきめが細かくて泥と区別がつかないほど細かい。颱風は被害ばかりでなく人が忘れつつある原初の美しさと力を見せてくれる。

踏み応へなき泥踏みて蘆原へ
裸足になって遊びたいような泥。行く先の蘆原に立っているものはない。

爽かや指の間より逃げる泥
泥んこ遊びなど何十年していないか。ぬるぬるしたものはエロチックであり若さである。



濁流とどこまでも行け秋の風
8時ころ南東、ないし東南東から気持ちいい風が来る。風と川の行方がほぼ一緒。風に命令したのであるが現世を吹っ切れない俺の気持ちでもある。
秋晴は10月10日より凄みがある。


追伸:ここから10km下流の二子玉川あたりが氾濫したと聞く。府中市は幸運というほかない。どんなに荒れようと岸と岸の内側でのこと。岸を水が越えなかったことは天意というほかない。

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1 コメント

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Unknown (シロウ)
2019-10-13 13:51:52
明日は銀杏拾いでしょうか

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