はくはつフクロウの独り言

白髪混じりの薄髪。初老フクロウのひとりごと。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

旅館のサービス

2008年08月23日 | 旅行記

今回泊まった渋温泉の旅館は、設備的には豪華ではなかったが、ソフト面でのサービスは充実していた。

冒頭の写真は夕食後に手渡されたカード。
最後の「スタッフ一同」が利いている。旅館では、フロント、部屋係、食事係など客と直に接する人達を多くの人がバックアップしていると思うのだが、その人達が見えるような気がした。


こちらは、夕食後布団が敷いてある部屋に戻った時に置いてあったカード。
布団の上げ下げは食事で不在にしている時に行われることが多く、担当の方に会うことはまずないが、このカードは名前まで書いてあり、「ああ○○さんがやってくれたのか」と、こちらも○○さんが見えるような気がした。

このようなことを「心がこもったサービス」と言うのだろう。

今回の宿はパックツアー指定の中から空きがあるものを選んだのが、良い宿であった。

コメント

渋温泉外湯巡り

2008年08月22日 | 旅行記

今回の小旅行では渋温泉に一泊した。
この温泉は、奈良時代の僧行基によって発見され、江戸時代には小林一茶、葛飾北斎も訪れたそうである。

この温泉の名物が「外湯巡り」。
到着日には炎天下を歩き回ったせいもあってとてもその元気はなかったので、翌朝食事前に行った。

フロントで共通鍵を借りて(無料)外湯巡りをし、特製手ぬぐい(有料)に各所の朱印を押せば「九(苦)労を流し、厄除け、安産、不老長寿などののご利益がある」そうである。
(朱肉が薄いところが多かったので写真でははっきり分らないが、全て押印してある)

各湯の名称、効能は以下の通りだが、いずれも源泉から直接お湯を引き、加水せずに湯船にかけ流しで注がれているので大変熱い。
入る前に水でうすめるのだが、1か所はそれも追いつかないので掛け湯だけにした。

この外湯は地元の人も使えるようになっており、九番湯で「どこから来たのか?」と聞かれ、「横浜から」と答えたところ、「それはそれは遠くから・・・」と感心されたのが印象に残っている。

  名称効能
一番湯初湯胃腸
二番湯笹の湯湿疹
三番湯綿の湯切り傷、おでき、子宝
四番湯竹の湯痛風
五番湯松の湯脊椎病
六番湯目洗いの湯眼病
七番湯七操の湯外傷性緒障害
八番湯神明滝の湯婦人病
九番湯渋大湯子宝、リュウマチ、神経痛


コメント

善光寺

2008年08月09日 | 旅行記

今回(8月7日~8日)の小旅行の最初の訪問場所。
「遠くとも一度は詣れ善光寺」(同寺のサイトより)と言われたからではなく、前から一度行ってみたいと思っていた。


境内の入口にあたるのがこの「仁王門」で、扁額には善光寺の山号である「定額山」と書いてある。仁王像は共に高村光雲・米原雲海の作だそうである。
日本語の説明板が消えかかって読めず、英語版でなんとか分った。


重要文化財の「山門(三門)」。平成の大修理(2002~2007年)が終わり特別公開中で内部(2階)を見ることができた。
驚いたことに、ここも落書きだらけで、「明治○○年何某」というものもあった。墨で書かれたものは長持ち?するようである。

冒頭の写真はこの山門の扁額で、善光寺3文字に鳩5羽が隠れており、また善の字は「牛に引かれて善光寺詣り」にちなんで牛の顔に似せてあるそうだ。


国宝の本堂。
ここの呼び物?は「お戒壇巡り」で、本尊が安置してある瑠璃床下の真っ暗(入口出口付近を除き本当に真っ暗だった)の回廊を巡る。
下の写真がその入口。


この回廊の途中にご本尊とつながっている「極楽の錠前」があり、それに触れると往生の際にご本尊にお迎えに来ていただけるそうである。
きちんと触ることができたので、「大往生」ができることだろう。

コメント

渋温泉にて

2008年08月08日 | 旅行記
夏休みの小旅行で昨日から長野に来ている。

昨日はまず善光寺に参り、近くにある信濃美術館で東山魁夷展を観た。
その後、信濃電鉄に乗り小布施で途中下車して、北斎館、オブセミュージアム、北斎館に行った。

今は外湯巡りをし、朝食を終えたところ。
少し休んで帰途につく。
土産話は別途ごお届けする。

コメント

城ヶ崎海岸

2007年01月11日 | 旅行記

小旅行2日目は雨はやんだものの、台風並みの強風。

いろいろ考えたが、ともかく、城ヶ崎海岸に行ってみた。
遊歩道はやや奥まっているせいか、風は弱く、写真に見える灯台まで約2Kmを歩く。

灯台の向こう側のつり橋(高さ23m、長さ48m)も風がほとんどなかったので往復したが、気持ちが良いものではなかった。

今回の旅行は天候には恵まれなかったものの、多くの場所を効率的に見られて、良かったと思う。

コメント (2)

天城ベゴニアガーデン

2007年01月10日 | 旅行記

名前の通り、ベゴニア中心の植物園である。

帰宅後調べたのだが、ベゴニアはシュウカイドウ科、ベゴニア属の植物で、「ベゴニア情報専門サイト ベゴニアねっと」によると、2000種以上の原種とその数倍の交配種があり、以下の8種類に分類されるそうである。
 ・木立性ベゴニア
 ・根茎性ベゴニア
 ・レックスベゴニア
 ・球根ベゴニア
 ・球根性ベゴニア
 ・センパフローレンス
 ・エラチオールベゴニア
 ・冬咲きベゴニア

これまで知っていたのは、センパフローレンス、エラチオールベゴニア、木立性ベゴニア程度で、こんなに種類が多いことは初めて知った。

写真は、「今週の女王」として展示してあった球根性ベゴニア。
大輪で、色、形とも見事!と言うしかない。

コメント (4)   トラックバック (1)

伊豆高原きり絵美術館

2007年01月08日 | 旅行記

昨日ご報告した、伊豆ガラスと工芸美術館の次に訪問した。
個人の家を利用した小規模な美術館で、玄関を上がった左右の部屋が展示室になっている。

今まで、きり絵と言えば白黒と思っていたが、カラー版があるのを初めて知った。

写真は、辰巳雅章の切り絵で、ご存知「鶴の恩返し」。
他にも童話を題材にしたきり絵が何点かあり、心温まる一時であった。

コメント (2)

第五十八回 正倉院展

2006年11月11日 | 旅行記
11月3日訪問。

主催者の奈良国立博物館によると、「本年は聖武天皇の1250年目の御遠忌(ごおんき)に当たります。天皇の崩御より四十九日目に、お后の光明皇后が天皇遺愛の品々600点ほどを東大寺大仏に献納しました。この宝物は正倉院宝庫の北倉に収納され、やがて正倉院宝物を形作る核となりました。今年は正倉院宝物成立にとっても記念すべき年であると言うことができます。」とのことである。

この象徴として、光明皇后が宝物を献納したときの目録である、高名な「国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)」が展示(主催者は「出陳」と呼んでいる)されていた。

今回は、全部で68点が展示されていたが、私が興味を持ったのは楽器で、以下の3点(展示物としては4点)である。

 ・牙尺八(げのしゃくはち)=象牙の尺八
 ・牙横笛(げのおうてき)=象牙の横笛
 ・漆鼓(うるしのつづみ)=漆塗の鼓の胴
 ・鼓皮(つづみのかわ)

「尺八」と言うと、ある程度太いものという感じがするが、「牙尺八」は太くはなく、径も同一だが、吹口だけは通常の尺八の形をしていた。

「牙横笛」は通常の横笛。ただ、どちらも、竹を模した加工がしてあり、感心した。

「漆鼓」は鼓の胴の部分だが、完全に原型をとどめており、「鼓皮」もそれを張る紐とともに、変色はしているものの、大半が残り、形を見ただけで何なのかが分った。
こちにらついては、「保存のよさ」に感心した。

ところで、11月3日といえば、祝日(文化の日)。大混雑であった。
一般客は入場までに2時間待ち。優先的に入ることができる我々団体も40分待ちであった。
そして中に入れば、展示物の前はオーパーに言えば十重二十重の人。とてもゆっくり見られる状態ではない。
特に文書は一方向からしか見られず、また、展示位置も低いために見にくかったので、展示方法に工夫がほしいと感じた。

いずれにせよ、ゆっくりご覧になりたい方は、平日の開館直後か閉館直前がお勧めである。

コメント (2)

薬師寺-2

2006年11月10日 | 旅行記
薬師寺は玄奘三蔵(三蔵法師)を始祖とする法相宗の大本山の一つであり(他の一つは興福寺)、岩槻市の慈恩寺にあった玄奘三蔵の頂骨(喉仏のようである)の分骨を受け、それを祀るために玄奘三蔵伽藍を造営した(1991年)。

この伽藍建設の話を聞いた平山郁夫は「モニュメントとして何か考えましょう」と申し出、30年(20年との説もある)かけて、「大唐西域壁画」を作成し、同寺に奉献(寄贈)し、大唐西域壁画殿に納められた。
平山画伯はまた、75センチ角の天井板が248枚ならぶ大唐西域壁画殿の格子天井にも群青色の夜空に輝く星を散りばめ、東西に太陽と月を配置した。




壁画は、高さ2.2m、玄奘三蔵の足跡をたどる以下の絵から構成され、それらをつなぐと全長49mになる。なお、「大唐西域壁画殿」は画伯の揮毫である。

 ・明け行く長安 大雁塔・中国
 ・嘉峪関を行く・中国
 ・高昌故城・中国
 ・西方浄土 須弥山(右)
 ・西方浄土 須弥山(中)-写真の中央に写っている
 ・西方浄土 須弥山(左)
 ・バーミアン石窟・アフガニスタン
 ・デカン高原の夕べ・インド
 ・ナーランダ(*)の月・インド

玄奘三蔵伽藍を計画した高田光胤管主はこの壁画を見ることなく遷化し、画伯は最後の壁画に遠景で彼の姿を描いた。

ところで、前回述べたように、薬師寺の金堂(本堂)は兵火によって焼失し、その再建が代々の管主に申し継がれた。
この再建(1976年)を実現したのが、故高田光胤管主(1924~1998年、管主在任:1967~1998年)である。
彼は、その財源を「百万巻写経勧進」で達成しようとした。つまり、般若心経の写経一巻を千円で納めてもらい、10億円を調達しようとしたのである。
彼は、前管主以下寺全体の反対を押し切り、就任の翌年から活動を開始し、1976年に百万巻を達成した(その経緯はここに書かれている)。

同寺のホームページによると、その後も写経勧進は続けられ、2000年には七百万巻を達成したという。

*「ナーランダ」
5世紀初頭に建てられた仏教大学の跡。5~12世紀に栄え、往時は数千人の僧侶が学んでいた。
インドだけではなく諸外国からも留学僧が集まり、中国の玄奘三蔵もここで学んだ。

<[薬師寺]の稿終り>

コメント (2)

薬師寺-1

2006年11月09日 | 旅行記

11月3日に参拝。まず、その歴史を略述する。

 698年 飛鳥に創建。
 718年 遷都に伴い奈良に移転。
 730年 東塔完成。
 973年 食堂からの出火により多くの建物を焼失。
 1361年 地震により金堂、東西両塔破損。倒壊の建物も。
 1528年 金堂、講堂などが兵火で焼失。
 1600年 仮金堂建設。
 1852年 仮講堂落成。
 1944年 地震で仮金堂、仮講堂、東塔傾斜。
 1976年 現金堂落慶。
 1981年 西塔落慶。
 1991年 玄奘三蔵院伽藍落慶。
 2000年 大唐西域壁画奉献。
 2003年 現大講堂落慶。

※伽藍の配置については、ここで見ることができる。

今回は、通常見ることができる、東塔東院堂薬師三尊像(金堂)、聖観世音菩薩像(東院堂)(いずれも国宝)に加え、特別公開されている国宝・吉祥天女像、玄奘三蔵院の大唐西域壁画(別稿)を見ることができた。

薬師三尊像、聖観世音菩薩像の前でアジア系の外国人が五体投地で礼拝をしていたが、これは「最高の敬意を表す礼法」(大辞林)とのことで、合掌のみの日本人と対照的であった。


これは、国宝・吉祥天女像。
厨子に納められ、大きさは、縦53.0cm、横31.7cm。
麻布に描かれた独立画像としては、日本最古の彩色画だそうである。
第一印象は「思っていたより小さい」であった。

東塔は730年の創建以来約1300年を経た建物であり、フェノロサが「凍れる音楽」(frozen music)と評したとのこと。
また、佐佐木信綱は、「ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる ひとひらの雲」という歌を残している。

これに対し西塔は1981年に再建されたものだが、棟梁西岡常一の、創建時の姿を再現するとの方針で、青、赤(丹)が鮮やかで、まさに「青丹(あおに)よし」である。
また、その高さは東塔よりも約2メートル高く、屋根の反りも大きい。

西岡棟梁は、「千二百年たてば、東塔と同じ高さ、同じ反りになる」と言ったそうである。
つまり、千二百年は持たせるつもりで建てたのである。「匠」の心意気であろう。

<[薬師寺-2]に続く>

コメント (2)