戦争の責任は政治にある

90歳を過ぎての挑戦、、、ここにきて戦争を知らぬ政治家が幅を利かせ、憲法に取り組むべきを、避けて通る姿は残念に思う。

視力の重要さ、間の取り方の重要さ、ほか

2016-11-21 13:47:14 | 日記
教育現場の電子化、娯楽の電子化で一生の視力はどう変化するだろうか。まだ実際に年月がたっていないから、医学的所見、教育現場の教師、児童、学生の所感等疎かにせず、教育時間の短縮、理解度の進歩等幾多の利点は存在する。しかし、一度視力を弱めると予想外の障害が発生することを憂う。

ラシオ深夜放送で、朗読の時間があった。朗読の魅力は朗読者の音声もさることながら、間の取り方が魅力の一つと思う。それがバック音楽を流されることで,折角の朗読が聞きずらくなる。これは、私だけだろうか。ラジオでつくづく思うのは、無音の時間は許せないとでもいうように、音楽でつなぐのが、常套手段のように思うが、年代の違いか、時代の流れか、日本語が音楽の役目も持ち、あえて音楽を入れないのをききたい。

自衛隊に感謝しようではないかと物議をかもした。自衛隊とは、特殊な存在で、海外で活躍している様をテレビで放送すべきだ。国内の災害救助は必ず放映される。これと同じく海外の活躍の映像が、道路補修をのんびりとした映像となっているのはなぜか。積極的にいかにして警備のもと、隊員の生き生きとした施設部隊は施設部隊らしい場面を放映することが、内地にいる我々に届ける義務があるのではないか。更に駆け込み警備が加わり、一層慎重に放映すべき時が来たと思う。