『ゆれる』の西川美和の新作。過疎の村の診療所に赴任した伊野は、村人から「神様仏様」以上に感謝されながら、診療に精を出していた。そんなある日、伊野はスクーターに乗ったまま失踪してしまう。
鶴瓶演じる伊野は、村人に信頼されながらも、その実態が見えてこない。どこの、誰なのか。皆よく分からない。でも、「いいお医者」なのだから良いではないか。そんな言葉に出てこない暗黙の了解が伝わってくる。端的に分かるのは、倒れたおじいちゃんがいよいよ往生というシーン。息が止まった時、家族と伊野との無言の同意で、挿管しようとした研修医の相馬の手を止めさせる。ここには大病院にはない、死生観があるのだ。
ある嵐の晩、運ばれてきた患者はひどい骨折と共に気胸で苦しんでいた。伊野は困惑する。看護師の大竹のサポートで事なきを得るのだが(余貴美子の目の演技が素晴らしい!)、伊野は何者なのか、ますます疑惑はふくらむ。それを知ったとき、観客もまた共犯者になる。ここがこの映画のキモで、どちらともつかない感情が胸に残る。後に、八千草薫演じるかづ子は、「あの男はなにをしてくれましたか」の問いに「なんにも」と答えた。裏腹にその口元には笑みがある。伊野と共有した何かがそうさせたのだろう。
偶然とはいえ、映画が公開されたのは、選挙の夏。医療、とだけで片付けられる問題ではないけれど、「Dear Voter」というメッセージだと思って一票を投じねば。
鶴瓶演じる伊野は、村人に信頼されながらも、その実態が見えてこない。どこの、誰なのか。皆よく分からない。でも、「いいお医者」なのだから良いではないか。そんな言葉に出てこない暗黙の了解が伝わってくる。端的に分かるのは、倒れたおじいちゃんがいよいよ往生というシーン。息が止まった時、家族と伊野との無言の同意で、挿管しようとした研修医の相馬の手を止めさせる。ここには大病院にはない、死生観があるのだ。
ある嵐の晩、運ばれてきた患者はひどい骨折と共に気胸で苦しんでいた。伊野は困惑する。看護師の大竹のサポートで事なきを得るのだが(余貴美子の目の演技が素晴らしい!)、伊野は何者なのか、ますます疑惑はふくらむ。それを知ったとき、観客もまた共犯者になる。ここがこの映画のキモで、どちらともつかない感情が胸に残る。後に、八千草薫演じるかづ子は、「あの男はなにをしてくれましたか」の問いに「なんにも」と答えた。裏腹にその口元には笑みがある。伊野と共有した何かがそうさせたのだろう。
偶然とはいえ、映画が公開されたのは、選挙の夏。医療、とだけで片付けられる問題ではないけれど、「Dear Voter」というメッセージだと思って一票を投じねば。