Umi kakasi

自分が感じたことを思うままに表現してみたい。

式年遷宮

2013-10-12 10:22:08 | 日記

伊勢神宮
   
式年遷宮の年、日本人ならこの際、少しは日本史をかじってみてはどうだろうか。
おそらくこのような機会がなければ、「日本書紀:古事記」など読む機会はないだろう。
頭が痛くなるような「日本神話」、読んでみよう頭の体操に。

「日本書紀:古事記」などでみると、葦原中国(あしはらのなかつくに)とは、
日本神話において、高天原と黄泉の国の間にあるとされる世界で、
すなわち日本の国土のことであるらしい。
読んでみて、日本の神々の名前は本当に舌をかみそうな、カタカナの世界だ。

 
神武天皇は、ニニギノミコトの曾孫(山幸彦の孫・ウガヤフキアエズノミコトの子)と
されますが、ニニギノミコトは天照大御神(アマテラスオオミカミ)の孫なので、
神武天皇は神々の血統を引くものとして位置づけられています。
日本神話は天地と神々の始まりを物語的に語り、天つ神の命令で、イザナギと
イザナミが日本の国生みをする神秘的な場面を描き、死んだイザナミが送られた
黄泉国(死後の世界)、までもおどろおどろしく表現しています。
太古的な生命力と創造力を躍動させつつ、日本の皇統の歴史へと接続していると
される『日本神話の世界』には伝説やテーマが多く含まれています!

式年遷宮とは、
遷宮(せんぐう)とは、神社の正殿を造営・修理する際や、 正殿を新たに建てた
場合に、御神体を遷すことです。式年とは定められた年という意味で、
伊勢神宮では20年に一度行われます。

  
何を新しくするのか
正殿(しょうでん)= 神宮の諸殿社の中で中心の社殿。
御垣内(みかきうち)の建物全て= 宝殿、御垣、御門等。
御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)= 神の衣服や正殿の装飾や器物等をいいます。

伊勢神宮の御神体=天照大御神(アマテラスオオミカミ)
  
太陽、光、慈愛、真実、秩序を象徴する最も尊い神さまです。
弟の須佐之男命(スサノオノミコト)のあまりにも乱暴な行いを悲しまれた
天照大御神が天岩戸(あまのいわと)にお隠れになった時、世の中は光を失い
闇の世界となり、作物も育たず、秩序も失われたといわれています。

第1回初めての式年遷宮が内宮で行われたのは、持統天皇4年(690)のことです。
それから1300年にわたって続けられ、昭和48年に第60回、平成5年には
第61回が行われ、 平成25年今年は第62回になります。
神宮にとって、永遠性を実現する大いなる営みでもあるのです。

伊勢神宮の式年遷宮に際し、
主祭神:内宮:天照坐皇大御神(天照大御神)外宮:豊受大御神について、
日本国民として、国の成り立ちと、天皇家を知る機会でないかと、文献から
簡素に書き写したもので、天孫降臨以降、天孫の子孫である日本の皇室の
祖神でもある。

主祭神:内宮:天照坐皇大御神とかかわりの深い、建速須佐之男命を見畏みて、
誓約によって身の潔白を証明したスサノオは、そのまま高天原に居座った。
そして、田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に糞を撒き散らしたりの
乱暴を働いた。他の神はアマテラスに苦情をいうが、アマテラスは、
「考えがあってのことなのだ」とスサノオをかばった。
しかし、アマテラスが機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、スサノオは機屋の
屋根に穴を開けて、そこから皮を剥いだ馬を落とし入れ、一人の天の服織女が
驚いて梭(ひ)で陰部を刺して死んでしまった。
ここにきて、アマテラスはスサノオの行動に怒り、天岩戸に引き篭ってしまった。

   
我が郷土宮崎は“高千穂の峡”宮崎県高千穂町、天の岩戸に引き篭った。
神話の国 九州宮崎 ここ高千穂峡は 其の神話の最も根源的な天照大御神
(アマテラスオオミカミ)が昼の光 を支配していたが、或る時須佐之男命の
行動に激怒し、岩屋にお隠れになり
岩戸隠れ神話の中で、天照大神が隠れこもったとされ、お隠れになると高天原も
葦原中国も闇となり、様々な禍(まが)が発生し闇夜の世界になってしまった。
そこで、思兼神と天児屋根命など、八百万の神々は八百万の神が、天の安河の
川原に神々は集まり、対応を相談の結果 一計を案じて、 天鈿女命(アメノ
ウヅメノミコト)におどりを踊らせて アメノタヂカラオが岩戸の脇に隠れて立った。


神代の昔天鈿女命(アメノウヅメノミコト)が岩戸の前で足を踏み鳴らし回り
ながら、桶を伏せて踏み鳴らし舞い踊った、神憑りをして、胸をさらけ出し、
裳の紐を陰部までおし下げて踊った。
八百万の神々はこの舞を観て 笑い転げる声が谷に響き渡り、高天原が鳴り轟く
ように八百万の神が一斉に笑った。

岩戸神楽ノ起顕(三代豊国)。この声を聴いた天の岩戸にお隠れになった 
天照大御神(アマテラスオオミカミ)が何事だろうと、天岩戸の扉を少し押し
開いた。「自分が岩戸に篭って闇になっているというのに、なぜ、アメノウズメは
楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うた。
アメノウズメが、「貴方様より貴い神が表れたので、それを喜んで いるのです」
というと、アメノコヤネとフトダマがアマテラスの前に鏡を差し出した。

   
鏡に写る自分の姿がその貴い神だと思ったアマテラスが、その姿をもっと
よくみようと岩戸をさらに開けたとき、隠れていたアメノタヂカラオがアマテラスの
手を取って岩戸の外へ引きずり出した。高天原も葦原中国も、明るくなった昼の光を
得たことで、八百万の神は相談し、スサノオに罪を償うためのたくさんの品物を科し、
髭と手足の爪を切って、須佐之男命は、高天原から追放された。
これが、「高天原」を治める天照大神と、追放され下界へ「出雲の国」へ降りた、
弟須佐之男命の神話の国、ここ高千穂が発祥地となった。

   
天照大御神は、日本神話に登場する太陽神で、天照大神が生まれたときに、
高天原を治めるよう命じられた。高天原には多くの神々(天津神)が住み、
機織の場などもあったことが記述されており、人間世界に近い生活があった
との印象がある。
葦原中国(日本)が天津神によって平定され、天照大神の孫のニニギが天降り
(天孫降臨)、以降、天孫の子孫である天皇が葦原中国を治めることになった
としている。
日本の皇室の祖神でもあり、
現在の天皇さまのご祖先であります。
最高神アマテラスの造形には、女帝の持統天皇(孫の軽皇子がのち文武天皇
として即位)や、同じく女帝の元明天皇(孫の首皇子がのち聖武天皇として即位)
の姿が反映されているとする説もある後に、全ての国民の祖神(おやがみ)さま
として、伊勢の神宮(内宮)におまつりされています。

現在式年遷宮を行っている神社の例
伊勢神宮(三重県伊勢市。20年毎。690年から) - 「神宮式年遷宮」
鹽竈神社(宮城県塩竈市。20年毎。1704年以降は修理のみ)
神明神社(三重県志摩市。20年毎。1764年から)
豊受大神社(京都府福知山市。60年毎。平安時代から
鹽竈神社(宮城県塩竈市。20年毎。1704年以降は修理のみ)
穂高神社(長野県安曇野市。20年毎。現制は江戸時代から)
住吉大社(大阪市住吉区。30年毎。1810年以降は修理のみ)
出雲大社は概ね60〜70年毎に建て替えられてきた[5]が、必ずしも定期的では
ないので「式年遷宮」に該当しない。
かつては香取神宮・鹿島神宮・宇佐神宮・春日大社・諏訪大社(⇒御柱祭)
などでも行われた。


天皇系図 神代
詳細は「神産み」を参照 『日本書紀』においては、

第五段の本文では、伊弉諾(イザナギ)尊(ミコト)・伊弉冉尊が自然の神を
産んだ後に大日鍾馗(ダイニチショウキ)を産んでいる。

第五段の一書の1では、伊弉諾尊が、左手で白(ます)銅鏡(のみのかかみ)
(ますみのかがみ)を持ったときに大日霎貴が生まれている。

第五段の一書の6では、『古事記』のように禊にて伊弉諾尊が左の眼を洗った時
天照大神が生まれている。

『古事記』においては、伊邪那岐命が伊邪那美命の居る黄泉の国から生還、
黄泉(よみ)とは、日本神話における死者の世界のこと。
古事記では黄泉國(よみのくに)と表記される。
そこで変わり果てたイザナミの姿を目撃したイザナギが、黄泉の国から逃げ帰り
黄泉の穢れを洗い流した際、
左目を洗ったときに化生「(天照大神)」したとしている。
このとき右目から生まれた「月読命」、鼻から生まれた「建速須佐之男命」と共に、
三貴子と呼ばれる。

このときイザナギは「天照大御神」に高天原を治めるように指示した。
高天原(たかあまはら、たかまのはら、たかまがはら)は、『古事記』に含まれる
日本神話および祝詞において、天津神が住んでいるとされた場所のことである。

天照大神の物実から生まれ、天照大御神の子とされたのは、以下の五柱の神である。
天照大御神の物実から五柱の男神、
天忍穂耳命・正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命
天穂日命・天之菩卑能命
天津彦根命・天津日子根命
活津彦根命・活津日子根命
熊野櫲樟日命・熊野久須毘命

詳細は「アマテラスとスサノオの誓約」を参照

海原を委任された須佐之男命は、イザナミのいる根の国に行きたいと言って泣き続けたためイザナギによって追放された。
スサノヲは根の国へ行く前に姉の天照大御神に会おうと高天原に上ったが、
天照大御神は弟が高天原を奪いに来たものと思い、武装して待ち受けた。
素戔嗚尊の潔白を証明するために誓約をし、
素戔嗚尊の物実から三柱の女神が生まれ、スサノヲは勝利を宣言する[15]。

詳細は「天岩戸」を参照

これで気を良くしたスサノヲは高天原で乱暴を働き、
誓約で身の潔白を証明した建速須佐之男命は、高天原に居座った。
そして、田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に糞を撒き散らしたりの乱暴を働いた。
他の神は天照大神に苦情をいうが、天照大神は「考えがあってのことなのだ」と
スサノヲをかばった[1]。
しかし、天照大神が機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、建速須佐之男命が機屋の
屋根に穴を開けて、皮を剥いだ馬を落とし入れたため、驚いた1人の天の服織女は
梭(ひ)が陰部に刺さって死んでしまった。
ここで天照大神は建速須佐之男命を見畏みて、天岩戸に引き篭った。
高天原も葦原中国も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した[2]。

その結果天照大御神は天岩戸に隠れると。世の中は闇になり、様々な禍が発生した。
宮崎県高千穂町岩戸には岩戸隠れ神話の中で天照大神が隠れこもったとされる
天岩戸と天照大神を祀る天岩戸神社がある。

思兼神と天児屋根命など八百万の神々は八百万の神が会議をしたとされる天安河原(天岩戸神社 宮崎県西臼杵郡高千穂町)
そこで、八百万の神々が天の安河の川原に集まり、対応を相談した。思金神の案により、さまざまな儀式をおこなった。常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた。
鍛冶師の天津麻羅を探し、伊斯許理度売命に、天の安河の川上にある岩と鉱山の鉄とで、八咫鏡(やたのかがみ)を作らせた。玉祖命に八尺の勾玉の五百箇のみすまるの
珠(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)を作らせた。
天児屋命と太玉命を呼び、雄鹿の肩の骨とははかの木で占い(太占)をさせた。
賢木(さかき)を根ごと掘り起こし、枝に八尺瓊勾玉と八咫鏡と布帛をかけ、フトダマが
御幣として奉げ持った。アメノコヤネが祝詞(のりと)を唱え、天手力雄神が岩戸の脇に
隠れて立った。
天宇受賣命が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った[3]。
これを聞いた天照大神は訝しんで天岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているのに、なぜ、天宇受賣命は楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と
問うた。アメノウズメが「貴方様より貴い神が表れたので、喜んでいるのです」というと、
天児屋命と太玉命が天照大神に鏡を差し出した。鏡に写る自分の姿を、その貴い神だと
思った天照大神が、その姿をもっとよくみようと、岩戸をさらに開けると、隠れていた
アメノタヂカラオが、その手を取って岩戸の外へ引きずり出した。
すぐにフトダマが注連縄を岩戸の入口に張り、「もうこれより中に入らないで下さい」と
いった。こうして天照大神が岩戸の外に出す事に成功し、高天原も葦原中国も、
明るくなった[4]。
八百万の神は相談し、須佐之男命に罪を償うためのたくさんの品物を科し、髭と手足の
爪を切って高天原から追放された。

詳細は「葦原中国平定」および「天孫降臨」を参照
葦原中国に子のアメノオシホミミを降臨させることにし、天つ神を派遣した。葦原中国が平定され、いよいよアメノオシホミミが降臨することになったが、その間に瓊々杵尊・邇邇芸命が生まれたので、孫に当たるニニギを降臨させた。
天照大神を祀る神社を神明神社といい全国各地にあるが、
その総本社は神宮(伊勢神宮)の内宮(皇大神宮)である[2][7]。
皇大神宮は三種の神器のうちの一つ八咫鏡(ヤタノカガミ)を御神体として
安置する神社である。

太古の日本には黄泉路が存在し、黄泉比良坂(よもつひらさか)で、葦原中国とつながっているとされる。イザナギは死んだ妻・イザナミを追ってこの道を通り、根の堅州国(ねのかたすくに)に入ったという。
このように、太古的な生命力と創造力を躍動させつつ、日本の皇統の歴史へと接続して
いるとされる『日本神話の世界』には、興味深い伝説やテーマが多く含まれています!

時折、普通には読む事のない「日本書紀:古事記」など、時間を観て読むのも、
頭の体操を兼ねながら、教養も高める時間潰しに、読んでみませんか?

 

 

HP みやざきに「きやらんか」

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