Brawn GP & SAF1 & HRF1 - Fan

 F1 メインっス。
 外野から好き勝手な事をギャースカ喚いています。

我等が琢磨 PART II

2005年11月26日 21時36分18秒 | F1
前回は今年のレースについてだけだったので、今回は我等が琢磨のこれまでについて。
とは言うものの、分かりきったことを今さら書いたところで無意味なので、少しだけ掘り下げて(といいますか、私の知りうる範囲がこんなもの)。

本名:佐藤 琢磨 ・ 現在28歳
通称(私が勝手にそう読んでるだけですが):我等が琢磨

 弁護士の父と舞台女優の母との間に新宿で生まれる。(町田市じゃないんです)
 高校時代は一人で自転車部を立ち上げ、インターハイで優勝しちゃう。(この時点で並じゃない)
 早稲田大学に現役で入学しますが、19歳でカートを始め、翌年には休学、スズカ・レーシングスクールを主席で卒業。
 日本でのF3参戦が決まっていたが、免停を喰らい海外にに渡っちゃいます。

 4年でイギリスF3チャンピオン&マカオGP優勝は皆さんの知るところでしょう。
 で、レースを始めてたったの5年で最高峰F1デビューまで上り詰めちゃいました。

なんて非凡で順風満帆で波乱な人生なんでしょうか。(日本で喰らった免停も結果的には成功の大元)

続いて、F1デビュー後

 25歳でジョーダン・ホンダよりデビュー。
 チームメイトはジャンカルロ・フィジケラ。
 予選での対戦成績は4勝12敗。(全17戦だったが、フィジケラはフランスGP欠場)
 決勝ベストリザルトはご存知、感動の日本GPの5位。
 総獲得ポイントはその日本GPの2ポイントでランキング15位。対するチームメイトのフィジケラは7ポイント(最高位はオーストリア・モナコ・カナダと3戦連続の5位)でランキング11位。
 デビューイヤーでかつ、チームメイトが当時でF1キャリア7年目にもなるあのフィジケラだったことを考えると上々の成績だったと思います。

 しかし、翌年はレギュラードライバーとしてではなく、テストドライバーとしてBARに移籍。
 そこで、ヴィルヌーブがチームに嫌気がさし、最終戦日本GPを残してチームを去ったため、日本GP参戦のチャンスが舞い降り、見事にそのチャンスをモノにする6位入賞。
 翌年のBARでのレギュラードライバーのイスを掴む。

 そして、去年。
 ここでF1を見始めた方も結構いるのではないでしょうか?
 第7戦ヨーロッパGPでは日本人初のフロントロー獲得。
 第9戦アメリカGPはインディアナポリスの歓喜、3位表彰台獲得。
 予選で3番手以内に入り、予選TOP3会見に登場すること4回。
 本予選での出走順を決めるための仮予選ではトップのタイムを出すこともあった。
 中盤戦のそんなノリノリの頃はモントーヤに「バトンより先にサトーが優勝しても僕は驚かないし、彼にはその実力がある」とまで言われる。
 チームメイトはそのバトン。
 予選での対戦成績は7勝11敗。
 総獲得ポイントは34ポイントでランキング8位。対するバトンは85ポイントでランキング3位。

 まぁ、私はそんなに詳しいほうではないのでこんな程度しか書けません(もっと詳しいこと知ってる方、教えてくだせぇ。& それ間違いジャ~ンってのあった場合も教えてくだせぇ)が、改めて考えても琢磨は間違いなくこれまでの日本人F1ドライバーの中では一番速いドライバーでしょう。
 日本のF1ファンの希望の星。
 再び表彰台での勇姿を~。

最新の画像もっと見る