吉敷(よしき)川だより

山口盆地を小さく貫く吉敷川、そのほとりに住まい、キノコや花を求め、山野を彷徨っています。移ろいゆく自然に心を重ねながら。

シロニカワタケ

2014-02-28 | Weblog
 秋吉台へ出かける。暖かくて、まるで春の盛りのようであった。
 カルストロードを通れば、ついこの間まで明るい枯れ野が広がっていたが、今は黒い翳りを見せる焼け野原で、姿を現した石灰岩がおどろおどろしく、この世の景とは思えぬほどである。

 しかしながら、この山焼きを行うことがなかったら、草原は消えてしまう。この広大な丘を維持する人々に感謝したい。
 山焼きがすんで、山口はたゆたいながら春を迎える。

 草原を歩いてみれば、焦げた匂いがまだ立ちこめていた。焼け跡に生えるベニヤマタケを探したが、小さな個体を3個ばかり見つけただけであった。良い被写体になるには、あと1週間以上はかかりそうである。

 もう一所に寄って、きのこを探す。ウグイスがしきりに鳴き、まだ頭のあたりに泥を付けたマムシがうずくまっていたり、遠くでカエルの鳴く声がしきりである。また、以前に見た蟇かどうか知らないが、落ち葉の上に、かがまっているのに遭遇する。やはり動かず、目の周りを縁取る金色がなかなかきれいであった。

 もうかれこれ20年近く前、山歩きの途中でシロニカワタケを見つけたが、やや高いところにあり、撮さずに通り過ぎた。爾来、心にかかっていながら、出逢うことがなかった。

 しかし、今日図らずも出逢うことができた。
 お嬢吉三が「こいつぁ春から縁起がいいわい・・・。」と言ったが、わたしもその声音を真似て、言ってみる。

       「今日の写真」
       
       クロハナビラニカワタケ Tremella fimbriata  全体の径が5~6cmほど。この種と下のシロニカワタケはシロキクラゲ目の仲間で、
       純粋培養すると酵母状発芽をするという。酵母からきのこへ進化する途中の種ということであろうか。
     
     シロニカワタケ Tremella pulvinaris 広葉樹の枯れ枝に出ていた。ぷにょぷにょしていて、表面をよく見れば脳味噌状。持ち帰ったのは
     若い菌のためか、胞子は見られなかった。
     
     同上 アップで。
       
       クロチャワンタケ類 Pseudoplectania sp. 径1cm前後。群生していた。胞子が成熟するのを待ちたい。
          
          ベニヤマタケ Hygrocybe coccinea 幼菌で径8mmほど。今時分このあたりに見られるものはあっさりとベニヤマタケと断定する。
       
       地衣類? 萌黄色から次第に白くなる。
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春の気分

2014-02-27 | Weblog
 偉大なる人物と大河長江は平然とまがった道をゆく。
 「偉大なる人物」ではないわれらも「平然と」ではないが曲折に富む道を行かなければならないことがある。
 「まがりながら決して自己の目的をあやまたぬ」かどうかはしらない。
 しかし、ニーチェが、こう書いて自分を励ましたように「道の屈折など恐れない」で、目標をめざすのはいいことだ。
                                                 『新輯 けさのことば 岡井 隆』より

 電話でナルちゃんと話す。この間までは電話に出ることもなく、バイバイと電話に手を振るあんばいであったが、今日は宇宙語でやりとりをする。日本語で話しができる日も近いようだ。

 今日しっとりと春の気分のするいい一日であった。明日は秋吉台へ出かけてみたい。
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子規のことなど

2014-02-26 | Weblog
 この頃の春霖は蕭条とした様子があるが、しっかりと大地に染みいり、万物に新しい勢いを与えるうれしい雨である。雨音が五尺の小躯に染みわたる。

 最近俳句の本をあれこれあさり、今は子規の『病牀六尺』『墨汁一滴』などを読み返している。何度読んでも子規という人はその死の直前まで、生きていることを楽しみ、ユーモアを忘れぬ、まさに巨人のごことき趣を見せる。

 彼が22歳で2度目の喀血を機に、結核の隠語である「子規」(ほととぎす)を俳号とした覚悟のほどはつとに知られている。
 結核から脊椎カリエスへと酷薄な病に身をさいなまれながら、強靱な精神力で、自分の人生を生ききったその姿勢にはただ驚くばかりである。

 もはや、身動きもままならず病床にある子規は『墨汁一滴』の三月十五日に次のように書いている。
 「散歩の楽(たのしみ)、旅行の楽、能楽演劇を見る楽、寄席に行く楽、見せ物興行物を見る楽、展覧会を見る楽、花見月見雪見等に行く楽、細君を携えて湯治に行く楽、紅橙緑酒美人の膝を枕にする楽、目黒の茶屋に俳句会を催して栗飯の腹を鼓(こ)する楽、道潅山に武蔵野の広きを眺めて崖端(がけはな)の茶店に柿をかじる楽。歩行の自由、座臥の自由、寐返りの自由、足を伸ばす自由、人を訪(おとな)ふ自由、集会に臨む自由、厠に行く自由、書籍を捜索する自由、癇癪の起こりし時腹いせに外へ出て行く自由、ヤレ火事ヤレ地震といふ時に早速飛び出す自由。」
 自分の老いについて、ともすれば否定的な考えに傾くわが胸裡に、君には上記のような楽しみが、自由があるではないかと、諭すように語りかけてくる。

 今生きてあることに感謝し、死ぬまで自分の生を生きる、それでいいと言っているような・・・。
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好きな季節、それは早春

2014-02-25 | Weblog
 近くの里山を歩いた。朝から靄がかかったような風景が広がり、黄砂がやってきていることがわかる。やっかいなのは、それにpm2.5が忍んでいることである。
 好ましからぬ隣国から好ましからぬ物質の飛来はどうも釈然としない。彼の国の陰謀なりや・・・とわたしは疑う。

 マスクを付けてのウォーキングとなったが、メガネをかけているとすぐくもりなかなかにしんどい。

 常緑樹の中に散在する葉を落とした木々の枝先は、潤んだような色彩を帯びていて、遠目の鑑賞がいい。これから日々その変化を味わうことができるのはうれしい。

 俳人でわたしの敬愛する今は亡き飯田龍太氏が、好きな季節を問われて、早春、次いで晩夏と答えていたが、早春はわたしも頷くところである。
 甲斐の山々に囲まれた彼の在所では、晩夏もむべなるかなと思われる。
 その次はとわたしに聞かれれば、迷うことなくきのこの多い梅雨と答えるのだが・・・。

 わたしたちはきのこの生えそうな場所に目をやりながら、森を歩き、話すことはほとんどナルちゃんの言葉であったり、折々に見せるあどけない所作のことである。
 二人で孫を語れば、意見の懸隔などまるでない。彼の笑顔と柔らかな肢体が鮮やかによみがえり、彼を語ることは、わたしたちには幸せな一時と言わねばならない。


 今日は3月中旬の暖かさだとの予報であったが、まさにその通りで山登り用のシャツ一枚でよかった。
 明日からは雨の予報で、うれしくて心も潤む。
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ナルちゃんまたね・・・

2014-02-24 | Weblog
 にじむようなオレンジ色の暖かい春の光が溢れる1日であった。

 昼過ぎには下松に帰るナルちゃんを膝に抱きながら、朝のテレビを見る。長い時には1時間ばかり膝に座っていることもある。はずむ暖かい命を抱きしめることができるのは何ものにも変えがたい。

 やがて、昼食となり、愛しきナルちゃんはいなり寿司を3個食べ、さらに、もう1個に手を伸ばす。それを押しとどめ、代替のヨーグルトをあっさりと平らげて、昼食を終える。

 持ち帰るものを皆車に詰め、最後にナルちゃんをチャイルドシートに座らせる。
 最後にカメラを向け、はいにっこりと言えば、笑顔をさっと顔に浮かべる。

 やさしい笑顔を残して、何ごともないかのように下松へ帰っていった。

 窓を開け、食卓の椅子の入れ替えや、仕舞っていた様々な壊れ物を元に戻すなど一騒動してやっと落ち着く。
 夕食時には静かな元の限界家族となる。
 静かなのもいいが、すぐにナルちゃんが恋しくなるに違いない、とお互い顔を見合わせる。

 ともあれ、きのこの春は近い。
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コガネウスバタケ

2014-02-23 | Weblog
 午前中、白石山へ出かける。駐車地には多くの人達が溢れていたが、幸い、空いたところが1箇所有り、そこへ車を滑り込ませる。

 よく見れば知った顔がたくさんあって、うれしくなる。
 今日は森の案内人主催の登山で、一般の人が30人近く参加されているという。

 賑やかに一隊は登山道の上部に消えていった。

 後には冬の静寂が漂い、小鳥の声すら聞こえず、いよいよ耳をすませば、しんしんと自分の耳鳴りの音のみであった。
 硬質菌を何種か撮って、もう1箇所回るが、きのこは見られず、引き返す。

 帰り道、オモチャ屋へ寄ってナルちゃんが興味を引きそうな車両運搬車を買って帰る。

 ナルちゃんは興味津々、一緒になって遊ぶ。
          「今日の写真」
          
          アナタケ類 似た種が多くありわたしにはなかなかてごわい。
          
          ネンドタケモドキ Phellinus gilvus 特徴があるきのこがいい。
          
          コガネウスバタケ Hydnellum tabacinoides カサ径は主に1~2cmほどだが棚状に連なることもある。
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ソチも山焼きも過ぎて行く

2014-02-22 | Weblog
 秋吉台の山焼きが行われるというので、カルストロードを行けるところまでと思って家を出たが、北側からも、南側からも進入禁止となっていた。

 標高400m前後の明るい枯れ草色の山肌には、幾条もの煙が上がっていた。そうして煙は次第に空を覆っていく。

 わたしは辺縁の森できのこを探す。黒い笹の葉の燃えかすがそここにひらひらと舞い降りる。
 きのこはヒノキ林の林床にキチャワンタケとその類似種を見たのみであった。
 季節は又新しい時を求めて動いていく。

 「きのこ図鑑」に新しく5種ほど追加した。
     「今日のきのこ」
     
     キチャワンタケ Caloscypha fulgens カサ径は大きい方で6mmほど。
     
     キチャワンタケの近縁種 Caloscypha sp. カサ径8mm。
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春よ来い

2014-02-21 | Weblog
 これからしばらくは雨の降らない日が続く。そうしてスギ花粉のピークは今月末までくらいだろうか。スギ林の樹下の気になるきのこはしばらくお預けである。

 昨日はスギのない里山を歩いたが、きのこは見られなかった。しばらくは家居がいいのだが、つい虫がうずく。

 西洋の詩人が「視線の取り方よって人間を三つの型に分け、眸を上げるのを浪漫主義、まっすぐなのを現実主義、伏せるのを感傷主義」と言った・・・。
 四囲を山々が幾重にも囲繞する山口盆地にあっては、大方の人達は山の彼方の空遠くを眺める浪漫主義であったのでは、と思いたい。
 わたしも、やはり浪漫主義でありたいと思う。これからも変わらず夢を求めて、わくわくと生きたいものである。

 さて、我が家に逗留中のナルちゃんの成長が日々めざましい。意味不明の言葉が次第に明晰な言葉に変わってきた。わたしを「じいじ」と呼ぶ言葉も、初めは「じ」と「じ」の間の「い」はとてもあやふやであったが、今は力強く「じいじ」と誰にも分かるようになった。

 パソコンの画面に現れるわたしたち二人の写真を指差して、じいじ、ばあばと言っては振り返り、笑みをもらす。
 また、借りてきた「ドラえもん」の映画を繰り返し見ながら、時に小一時間ほどは集中し、ストーリーは分からないながらも、彼の興味を満たす何ものかを見いだしているのであろう。

 かかりつけの内科医で薬をもらい、ビニール袋一杯のその薬の重さを手で量りながら、帰途につく。陽の色はほんのりと薄黄色に輝いてあまねく充ちている。きのこの春は近い。
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カワシワタケ

2014-02-19 | Weblog
 今日は24節季の内の一つ、雨水である。
 日中の気温も上がり、季節は確実に春を目指す。
 午前中ナルちゃんと遊び、午後は市内の森へ出かける。

 初春の明るい陽の色が、裸木をくまなく照らす。だが、きのこを求めるカメラの出番はまるでない。

 今年は、山口ならではのきのこを、もっと探していきたいと思う。新しい探索地域のあれこれを頭に浮かべる、その気分はとてもいい。

 ここ10数年来撮りためたきのこの写真を、日々渉猟しているが、見るたびに新しい発見がある。
 昨日、知らなかったきのこを今日は知る、脳をわくわくさせるそれらの知的活動は、ひょっとして長生きの秘訣かも知れない。
      「きのこの写真」
      
      カワシワタケ Meristacrum corium 子実層面は浅い網目状。
      
      カワシワタケ 別菌。 
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はじけるナルちゃんと遊ぶ

2014-02-18 | Weblog
 この23日に山口県知事の選挙が行われる。後を追うナルちゃんの悲鳴を残して、不在者投票に出かけた。
 完全には確立していない原発の安全性について、ほおかむりをする人はやはり信用できない。反対を明確にして新しいエネルギーの獲得に力を入れる候補に一票を投じる。

 わが故郷の山、鳳翩山は雪をかぶっていた。気温が低いせいか雪は溶けず、しらしらと輝いている。

 昼過ぎて一人で公園を歩く。
 こんな日は公園も閑散としている。準備体操をして、まず外周を歩く。できるだけ四肢を大きく動かすように歩き、カワセミの美しい姿を見、ハナノキの蕾のふくらみ具合を見ながら、8000歩ばかりを歩いて、帰宅する。

 愛しのナルちゃんはやっとわたしをじいじと呼ぶようになった。意味不明の言葉が多いが、わたしが話す言葉は理解しているようだ。
 食べ物はどれも好きで、嫌いなものはない。また、食物アレルギーも今のところなく、キュウリなどもぱくぱく食べ、納豆もあっさりと一パック食べる。

 知恵の方も、わたしを暗い部屋に閉じこめて喜ぶなどめざましいものがある。わたしが暗い部屋から脱出すると、わたしを呼び込んで、ふすまをしめ閉じこめる。わたしは「助けて~、暗いよぉ」と嘆けば、彼はきゃっきゃっと喜び、逃れるわたしを呼びに来て、なかなか解放してくれない。
 瑞々しい命と今日も遊び、その他には、過去に撮った不明のきのこの写真などを見、わたしのかけがえのない一日はあっという間に過ぎて行く。
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