吉敷(よしき)川だより

山口盆地を小さく貫く吉敷川、そのほとりに住まい、キノコや花を求め、山野を彷徨っています。移ろいゆく自然に心を重ねながら。

どうか良い年を

2012-12-31 | Weblog
 今年1年「吉敷川だより」を訪れていただきありがとうございました。

 来る年も、日々きのこを求めて、野や山をさまよいたいと思います。

 どうか良い年をお迎え下さい。
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けぶるがごときわが乳房あり

2012-12-30 | Weblog
 冬の雨が暖かい。歌人でエッセイスト河野裕子の『わたしはここよ』を読み終える。彼女は1946年生まれだから、わたしよりは6年若い。だが、乳ガンに侵され、転移もあって、2010年8月に64歳でその生涯を閉じる。

 死後に編まれたこのエッセイ集は、病を得た彼女の日常の風景が、なんと愛おしい風景であったことかと、見るものの主観によって変わる様をせつなく書きとめる。
 歌人のみずみずしい感性が対象に投射され、選ばれた言葉の確かさにわたしはふるえる。

 ブラウスの中まで明るき初夏の日にけぶるがごときわが乳房あり 河野裕子

 これは河野裕子の若いときの歌であるが、与謝野晶子の「その子二十歳櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」と一脈通じるものがある。女はこうして己の生の充実感を詠うのであろうか。
 きらきらと輝くような明るいエロティシズムにわたしは参ってしまう。男であったわたしにも、女の乳房の白いはじけるような豊穣さと、たなごころに弾む感触を鮮やかにそして懐かしく思い出させる。

 さあれ、けぶるがごときという言葉は小説の中では明晰さを欠くが、歌の解釈は、10人の鑑賞者があれば10色の解釈があっていいと言われる。
 どう取るかは読み手の感性にかかっているようだ。
 5月にもこの歌について書いているが、このエッセイ集にも掲載されていたことからもう一度ふれた。


 昼から「トイザらス」へ出かける。以前から見ていた幼児の遊具があり、娘が来たら一緒に見に出かけ、娘が良とすれば買い求めるつもりであった。しかし、待ちきれなくて、とうとう妻と出かけた次第。

 持ち帰り、我が家で組み立てる。なかなかうまくいかない。しかし、時間をかけてなんとか完成し、正月の5日に来るナルちゃんを待つばかりとなった。
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イーハトーブそれは岩手県

2012-12-29 | Weblog
 昨年の3月11日の東北大地震における「釜石の奇跡」について、今朝のNHKテレビで8時過ぎから放送があった。
 釜石市では、もう何年も前から、小中学における地震・津波への対処法を、繰り返し授業でやっていて、子供達は肌で津波の怖さを感じていたようだ。
 地震の直後、鷹揚に構える避難したがらない大人達を避難する気持ちにさせたいきさつが、番組の劇画に如実にあらわれていた。

 その成果は3000人ばかりの児童がほとんど津波の毒牙をかわしている事実に表れている。それを指導した大学教授の感に耐えぬ表情がとても印象的であった。教育に携わる人たちの醍醐味と、責任の重さをしみじみと感じる一幕であった。

 わたしはあわあわとテレビ画面を追いながら、劇画と実写の巧みさ(NHKの技であろう)、幼い児童達が雄々しく逃げのびていく姿を祈りながら見た。

 ここ数日、岩手県の地図、子供が学校時代に使っていた地図を広げて、盛岡、花巻、遠野の位置関係を確かめていた。宮沢賢治がイーハトーブとして、理想の土地としたかった岩手県を眺めていた矢先であった。

 子供達のけなげな姿にわが孫のナルちゃんを重ね、しばし目尻に涙がにじむ。

 わたしは今、心のひだに優しく重なる賢治の作品をなぞりたくなっている。
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老いの時空

2012-12-28 | Weblog
 朝から冬の雨。気温も高めでありがたい。吉本隆明の『詩の力』を読み、漱石についての評論、宮沢賢治のエスペラント語に即しての評論などを読み終え、さらに中野重治の『斎藤茂吉ノート』を読み始める。

 どの本もわたしの知りたい意欲を刺激し、気にかかるフレーズはノートに書き写して、年末の一日は過ぎて行く。
 浮世に在りし折は、御用納め(民間になってからは仕事納めの日)であり、昼過ぎから三々五々帰宅したものであった。

 しっとりと雨に覆われた冬の一日、今年一年わたしが見たきのこの写真を振り返る。手前勝手ながら、老いの時空の豊穣を思う。

 明日は野に出よう。
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床屋の看板

2012-12-27 | Weblog
 わたしは床屋の標識、くるくる回る三色のねじり棒の意味など考えたことがなかった。
 何故(なぜ)と問うのが科学の始まりであり、人間の進歩の源泉であるが、哀しいかな、あの回る三色ねじり棒に何の不思議も感じなかった。

 種村季弘の随筆『徘徊老人の夏』を読んで、床屋の看板の事情を知る。「床屋の看板の白青赤のだんだらの由来はどなたもご存じだろう。リンパ管、静脈、動脈をアラベスクにした人体解剖模型である。ことほどさように床屋さんは人体に関係が深い」と種村さんは書いていて、遠い昔のヨーロッパでは床屋さんが外科医もやっていた名残らしい。

 わたしは何故という問いを発しないうちに、答えを教えられ、己の実相観入のいい加減さにげんなりする。でも、絶望はしていない、知るは愉しである。

 昼から、鴻ノ峰を歩く。麓の木戸神社に車を置き、ずっと上り坂を脚を引きずるように歩く。脚の裏側が痛み、速度はゆっくりである。しかし、途中から痛みが無くなって、エンジンがなめらかに回転し始め、上り坂を大股で歩くことに挑戦する。今日で大股歩行は三日目だが、脚の付け根あたりの筋肉がまあ痛いこと。日頃そうした筋肉を如何に使っていないか実感する。

 8000歩ほど歩き、夜は腰、脚をあんま機で揉んでもらい、心身共にさわやかである。そして思うことは一つ、早く来い来いお正月!
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胃カメラを呑む

2012-12-26 | Weblog
 朝、早めに身繕いをして、二人で出かける。前夜は21時以降ものを食べてはいけず、0時以降は水もだめだと電話で指示を受け、仰せに従い、8時30分前に野村胃腸内科を訪れる。

 胃カメラはいつの時からか毎年吞んでいるが、いつも苦の種であった。昨年は受けず、やっと今日2年ぶりの胃カメラとなる。
 今年は飲んでいた薬の制限もなく、その上、喉を痺れさすあの透明の液体は、5分をかけてゆっくり飲んでくれと様変わりである。上腕の皮下注射もなく、カメラの先端部は小さくなっているような感じで、あっという間に胃の腑へ落ちる。

 診察の結果は、特に病変はなく、ただ逆流生食道炎ということで薬を処方された。連れ合いは何の異常もないという。

 帰りに、しばらく止めていたアルコホォル:焼酎とワインを購って帰途につく。

 昼から維新公園を歩く。時々大股で身体を沈めるように歩く。20歩くらい歩くとよろっとするので、休んでは人の見ていないところでまた大股で歩く。日頃使っていない筋肉がよろよろと現れ、気分がいい。

 今日も冷たい1日であったが、娘からのメールでナルちゃんが届けば、じじもばばもパソコンの画面を食い入るように見つめる。最近は人見知りをするという、正月に会ったらどんな様子だろうと二人で顔を見合わせる。

 わたしは馬齢を重ね、いつ幽明境を異にしてもいいのだがと言いつつも、いつまでも何時までも孫の行く末を見守りたい、と言うのが今の心境。
 わが心にすくうこの矛盾。
 昔楚の国に盾と矛をひさぐものあり・・・、その矛盾を生きる。
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甚だしいかな

2012-12-25 | Weblog
 甚だしいかな、吾の衰えたるや。久しいかな、吾復(また)夢に周公を見ざる。
(『論語』貝塚茂樹訳)  『新輯 けさのことば』岡井 隆
 

 「ひどいものだね、わたしのおいぼれ方は」と孔子は嘆いた。「周公を、もう長い間夢に見なくなってしまった」と。周公は孔子が理想的人物とした人。若いころは、尊敬する人物を日夜追っていたのだが、このごろはそれもなくなったというのだ。老いるとは、あるいはそういうことかもしれない。

 若い頃尊敬する人物を日夜追っていたというのは、岡井 隆翁にも思い当たることがあったのであろうか。だが、「あるいはそういうことかも」と口を濁されているあたり、そういうことでないかも知れないことを言外に言おうとしているようにも取れる。
 凡人のわたしは日頃、艶なる夢を見なくなって久しいことを嘆いているのだが、案外、翁も同じ地平の時を過ごしたことがあるのかも知れない。

 今日も寒かった。昼から久しぶりに吉敷川沿いを北に上る。里は雲の陰となっているが、東鳳翩山は冬の陽のなかでおだやかに微笑んでいる。時に自分の生を刻むがごとくあるいは、くぐもったように立ちつくすくすんだ青い森のたたずまいを振り返りつつ、1万歩ばかり歩いた。
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脊椎管狭窄症あれこれ

2012-12-24 | Weblog
 テレビを聞きながら、陽の当たる居間で腰痛体操をしていたら、脊椎管狭窄症という言葉が耳に飛び込む。あわててストレッチを中止しテレビを注視する。
 患者の日常の様子から、さらには手術、あるいはその前後の模様が映し出された。患者は首と腰の2箇所の脊椎管に狭窄ができていて、内視鏡での同時手術が行われ、淡々と骨を削る様子などが詳細に映し出される。腰が1時間半、首が1時間ばかりの所要時間であった。
 傷口は1~2cmと小さく、術後の回復もすごく早く、患者は積年の恨みが晴れたような顔で、ウオーキングの再開などに顔が輝かせていた。


 昼から雪雲が広がる中、しっかり着こんで維新公園へ出かける。子供達のサッカーの試合があるらしく、駐車場には車が溢れていた。
 いつものように、コースを西に取り、弓道場を曲がると朝田古墳に上がる階段があるのだが、脚が軽くて、その階段を走り上がった。
 今日は歩いてもほとんど痛みがなく、7,000歩ばかり歩いて、帰りにスーパーに寄ったが、その時脚の裏側に少し痛みがあったくらいである。

 さて、この冬には手術をと考えているのだが、なかなかに結論が出せないのであった。
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骨盤底筋

2012-12-23 | Weblog
 最近は骨盤底筋を意識的に鍛えている。最初は仰向けになって、上体を起こしながら、腹筋を刺激するのだが、それに肛門を収縮させる運動を織り込む。

 今度は普通に立ちやや前傾して、肛門に力をいれ、気を付けをして上体を後ろにそらせるというか、胸を張る。肛門がぴゅっと閉まった感覚がいい。これで脊椎の反りを正常にし、また骨盤底筋をきたえることでの相乗効果で、腰痛や脚の痛みを軽減することができる。

 さらに、孫のナルちゃんが得意の、腹ばいになって腕で上腕を支え、上半身を反らせるような運動:パピーポジションも、ナルちゃんの所作を思い出しながら、彼と同じように「ハッ」と声をだしてやる。
 これは、本などを読んでいるときでも、ちょっと本を置いてできるのでありがたい。

 午前中図書館へ出かけるついでに市内の公園を歩いた。ヌメリイグチがてかてかとまるで狼の糞のように鈍く光っていた(狼の糞を見たことはないのだが、子供の頃に読んだシートンの『狼王ロボ』の中に、仕掛けた罠の上にロボがあざ笑うように糞をして、それが「てかてか」、と記述されていたことを思い出した)。

 その他に小さなフウセンタケ類、クジラタケ、ヒメカンムリタケなどを見て、早々に引き上げる。
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岡井隆著『わが告白』

2012-12-22 | Weblog
 かかりつけの循環器内科へ薬をもらいに出かける。土曜日なのでやはり混んでいた。持参していた友人から借りた本 岡井隆 著『わが告白』を待合室で読了する。己の過去の暗部へ刃を向けるように切り込んでいくその葛藤が印象的で、また歌人の世界のありようなどもかいま見られ、とてもいい本であった。友人の評と少しへだっていたのも面白い。

 前回の検査の結果ではやはり中性脂肪が高いという。だが肥満というほどでもないので、様子をみることになる。今まで通りの薬をどっさりとビニール袋でもらった。
 これで来週26日に胃カメラを呑んで今年の医者通いは終わりである。
 その結果は良好で、年末年始はワインと焼酎に浸るという目論見だが、果たしたうまくいくかお楽しみといったところ。

 わたしは、不器用で切片の作り方が下手である。その上何度か失敗するとすぐ諦めるのでなかなか旨くならない。この冬はもっと気合いを入れて練習をしたい。
 発展途上人にはまだまだすることがたくさんあり、古いものを捨てて、新しく取り組むことなどを箇条書きにしているが、さてどうなるか、ナルちゃんのためにもがんばらなないといけない。
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