波乱の海をぶじ目的地へ

現世は激しく変動しています。何があるか判りませんが、どうあろうと、そんな日々を貧しい言葉でなりと綴っていけたらと思います

芋煮会

2018-10-20 19:09:25 | 超短編


 芋煮会をしていると、犬ではない、犬より丸い貌をした生きものが顔を出した。。
「おっ、タヌこうじゃねえか」
 そう言って、多作じいさんが、タヌキと目を合わせた。おこぼれを頂戴しようとしていたタヌキは合わせた人間の顔に怖気づいてさっと顔を引っ込めてしまった。
「今のタヌこう一匹ひっつかまえて、そこの谷川で洗って、タヌキ汁にすればうめえぞ」
 と多作じいさんは話を大きくした。
「多作さんでもいてくれなきゃ、そんな大それたことはできないわねえ」
 と女同士で相槌を打っていた。
「おおそれたこと、ではなく、そんな快挙とでも、言ってもらいたいねえ」
 と多作さんはぼやいた。すでにやってみる気迫のようなものさえ感じられる。
「快挙だ、快挙だ。多作さんの快挙だ」
 と男連中も加わって、芋煮会を盛り上げた。
「明日は俺が下ごしらえをしとくから、女人は少なくていいよ」
 と多作さんは言った。
「多作さんが来られるようになってから、毎日が宴会みたいね。私らも少しお化粧でもせんと」
 と年増の女が言った
「まったくだ、まったくだ」
 と男連中がはやし立てた。

 明日の下ごしらえは多作がするから、女人は少なくていいと言われて、二人だけ早めに駆けつけてみると、大鍋は昨日当番のものが洗って帰ったままで、下準備どころか、今日芋煮会が持たれる気配は微塵もなかった。ただ昨日と違うところは、笹薮が荒らされて、なにか凄まじいことがここで起きた痕跡のようなものを消すことも隠すこともできなかった。
 しかし鍋も鍋の周りも、芋煮会の準備はまるでなされていなかった。これでは狸汁どころではない。昨日気炎を上げて張り切っていた旦那たちを鼓舞するどころか、意気消沈させるだけである。
「狸に化かされたみたいだなあ」
 と普段寡黙な老人が口を出した。
「まったくだ、まったくだ」
他の者たちも加勢して言った。
 女たちは予想が狂って、芋煮会のしたくにてんてこまいで、話に加わるどころではなかった。

 その後もたまーに芋煮会は持たれたが、多作さんは一度も顔を出さなかった。近隣の山村で持たれている芋煮会に、彼の風貌の男は来ていないとのことだった。
 多作さんが住んでいると話していた、その住処のあたりに灯がともることはなかった。
 そして狸の話になるが、母狸どころか五匹いた子狸の一匹にも、顔を合わせることはなかった。おかしな狸話もあったものである。芋煮会の鍋には肉は用いられず、野菜と果物と茸が投げ込まれた。
 後になって入ってきた狸の話では、狸の家族にはもとは父親もいたが、人間に捕まって姿を消し、以後母狸が五匹の子狸を育てていったということだ。その母狸と五匹の子狸がおこぼれを求めて、芋煮会に顔を出すようになった。そう予想するのは難しくない。
 もう一つ、芋煮会が不首尾に終わった笹薮のなかから、多作さんがしていた電子腕時計とキセルが出てきたという話があった。
「キセルと電子時計は、食えんからなあ」
という男の声が、秋風に乗り笹をざわつかせて過ぎて行った。

 おわり


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