映写室インタビュー23 「終わりよければすべてよし」の監督を囲んで
―羽田澄子監督の提言する理想の終末期医療―
生を謳歌した私たちに、最後に訪れるのは死。なのに、誰でも必ず迎えるその時を、何処でどうやってと考える事はない。意気地のない私なんて、その時はその時なんて嘯いている。このドキュメンタリーはそんな人生の終わりを、羽田澄子監督が果敢に真正面から見据えたものです。
現在日本では80%以上の人が病院で死を迎えます。その結果、過剰な延命治療でその時を延ばし、気が付くと人としての尊厳もない管だらけの体、ベッドに釘付けで死んでいく人の何と多い事でしょう。でも少し前は、多くの人が自宅で家族に見守られて、死を迎えていました。望む誰もがそんな死を迎えられたらと言うのが、監督の願いです。
監督のお母様は90近くで病気になった時、ご自身が娘(監督の妹さん)と夫を病院で看取った時の辛い経験から、たいそう病院を嫌がるので、治療が終わった後は監督が自宅に引き取り最期を看取った。幸い安らかな死だったけれど、色々な事を自分が判断する不安な日々を振り返り、今の日本で自宅で亡くなる事がどんなに大変かと、改めて気付かれたそうです。監督は不安になった。母は私がいたからそれが出来たけれど、私はどうなるのかと。でもそんな厳しい現実を見てもしょうがない。理想的なケースを見つけて、それが全国に広がる方法を考えようと、前向き思考で作られたのがこの作品です。スウェーデン、オーストラリアの例と共に、日本でも画期的な在宅介護システムを作り上げた団体を、医師と患者の側から紹介しています。
―長く映画を撮っておられますが、このところテーマが一貫されていますね。それはどうしてでしょう。
羽田監督:一貫したテーマに拘るようになったのは、岩波映画を定年退職して、自分の作品を自分で取り出してからです。それまでは色々撮ってましたが、1986年に「痴呆性老人の世界」を撮った後から、年を取るとどうなるんだろう。どんな風に年をとっていくんだろうと気になり始めたんです。
―それは岩波映画制作で、キネマ旬報ベストテンの1位になったり、色々な賞を受賞された作品ですね。
監督:ええそうです。他に芸能分野の片岡仁左衛門や、アキコ・カンダ等も撮ってますが、社会的テーマとしては老人問題に関わるようになりました。
―これは急速な高齢化社会を迎える日本の、正に今の問題ですね。
監督:そうなんです。「安心して老いるために」を撮った時、老人の行く末とは、生の終わりとはと、色々話していたら、そこに丁度富山の市立病院の事件が起こって、プロデューサーがこれは急いで作らないといけないと言い出したんです。5ケ月位で撮りました。
―終末と言う大変プライベートなデリケートな所に立ち入る訳ですが、撮影の許可はすぐに下りましたか。
監督:私たちが直接お願いしたら難しかったでしょうが、総て施設や先生が承諾を取って下さいました。私たちの代わりに、そちらが責任を負ってと言う事ですね。其方の信頼関係がきちんと取れている結果です。だから逆に、撮影したけど使わないというのは出来なくて、厳選しての撮影です。ただ撮影には神経を使いました。撮影後すぐに亡くなった方も多くて、辛いです。
―映画を拝見しながら、確かに自宅で死を迎える事は良いけれど、総ての意味で恵まれた方だなあと思いました。日本ではまだ介護とかは女性の労働に委ねられています。
監督:そうですね。それを可能にするのは、具体的にはお金以上に人手のゆとりです。それと在宅医療をやるには、ちゃんとした福祉のサービスがないとやっていけない。それはこの映画を作って始めて気付いたんです。実際映画を撮っている間も、憂鬱でしたよ。この人はともかく、自分はこんな風に上手く行くだろうかと不安で。辛くなりました。でも暗い所を見ていても仕方がない。そんな話は皆が知っています。明るい話を披露して、それを皆で目指そうと。オーストラリアやスウェーデンの方、どちらも90以上なのに赤やピンクの服を着て、若々しいでしょう。撮影の半月後に亡くなられたんですが。
―え、とてもそんな風には見えません。どうしてお若いのでしょうか。
監督:それは私も知りたい。ただ言える事は、彼らはキョロキョロしないでしっかり生きています。相手の思惑で自分の生き方を左右される事がない。しっかり生きる事ですね。
―こんな映画を撮られて、監督はご自身の終末をどう迎えたいですか。
監督:まず過剰な延命はいらない。ちゃんとしたペインクリニックを受け、痛みのない最期でありたい。それと告知は受けたいのです。ああ死ぬんだなあと思って、それを受け入れ幸せを感じて死にたいですね。最後の時が幸せだったら、それまではどうであれ、総てが消えて幸せだと思うんです。だから「終わりよければすべてよし」
―なるほど。私たちも81歳という監督が、こんなにお若く美しく、次回作に意欲的に取り組まれているのを拝見しまして、年を重ねるのも悪くないと、なんだか元気になりました。有難うございます。
<インタビュー後記:犬塚>
実は監督とのお話は、ここに書いていない事のほうがずっと多いのです。最初はインタビューだったのに、「これを観た皆が話し合うきっかけになって欲しいと思って作った」という監督の言葉どおりに、私たちは誰もが自分に引き寄せ経験や思いを話し始めていました。老いや死を見つめる事は、実は私の年齢が一番辛いかもしれません。まだ観念するには早すぎ、人事と思うには近過ぎるから。監督のように毅然と向き合うには本当言うとまだ時間が要りますが、何時かもっと切実にこの映画を感じることでしょう。
―羽田澄子監督の提言する理想の終末期医療―
生を謳歌した私たちに、最後に訪れるのは死。なのに、誰でも必ず迎えるその時を、何処でどうやってと考える事はない。意気地のない私なんて、その時はその時なんて嘯いている。このドキュメンタリーはそんな人生の終わりを、羽田澄子監督が果敢に真正面から見据えたものです。
現在日本では80%以上の人が病院で死を迎えます。その結果、過剰な延命治療でその時を延ばし、気が付くと人としての尊厳もない管だらけの体、ベッドに釘付けで死んでいく人の何と多い事でしょう。でも少し前は、多くの人が自宅で家族に見守られて、死を迎えていました。望む誰もがそんな死を迎えられたらと言うのが、監督の願いです。
監督のお母様は90近くで病気になった時、ご自身が娘(監督の妹さん)と夫を病院で看取った時の辛い経験から、たいそう病院を嫌がるので、治療が終わった後は監督が自宅に引き取り最期を看取った。幸い安らかな死だったけれど、色々な事を自分が判断する不安な日々を振り返り、今の日本で自宅で亡くなる事がどんなに大変かと、改めて気付かれたそうです。監督は不安になった。母は私がいたからそれが出来たけれど、私はどうなるのかと。でもそんな厳しい現実を見てもしょうがない。理想的なケースを見つけて、それが全国に広がる方法を考えようと、前向き思考で作られたのがこの作品です。スウェーデン、オーストラリアの例と共に、日本でも画期的な在宅介護システムを作り上げた団体を、医師と患者の側から紹介しています。
―長く映画を撮っておられますが、このところテーマが一貫されていますね。それはどうしてでしょう。
羽田監督:一貫したテーマに拘るようになったのは、岩波映画を定年退職して、自分の作品を自分で取り出してからです。それまでは色々撮ってましたが、1986年に「痴呆性老人の世界」を撮った後から、年を取るとどうなるんだろう。どんな風に年をとっていくんだろうと気になり始めたんです。
―それは岩波映画制作で、キネマ旬報ベストテンの1位になったり、色々な賞を受賞された作品ですね。
監督:ええそうです。他に芸能分野の片岡仁左衛門や、アキコ・カンダ等も撮ってますが、社会的テーマとしては老人問題に関わるようになりました。
―これは急速な高齢化社会を迎える日本の、正に今の問題ですね。
監督:そうなんです。「安心して老いるために」を撮った時、老人の行く末とは、生の終わりとはと、色々話していたら、そこに丁度富山の市立病院の事件が起こって、プロデューサーがこれは急いで作らないといけないと言い出したんです。5ケ月位で撮りました。
―終末と言う大変プライベートなデリケートな所に立ち入る訳ですが、撮影の許可はすぐに下りましたか。
監督:私たちが直接お願いしたら難しかったでしょうが、総て施設や先生が承諾を取って下さいました。私たちの代わりに、そちらが責任を負ってと言う事ですね。其方の信頼関係がきちんと取れている結果です。だから逆に、撮影したけど使わないというのは出来なくて、厳選しての撮影です。ただ撮影には神経を使いました。撮影後すぐに亡くなった方も多くて、辛いです。
―映画を拝見しながら、確かに自宅で死を迎える事は良いけれど、総ての意味で恵まれた方だなあと思いました。日本ではまだ介護とかは女性の労働に委ねられています。
監督:そうですね。それを可能にするのは、具体的にはお金以上に人手のゆとりです。それと在宅医療をやるには、ちゃんとした福祉のサービスがないとやっていけない。それはこの映画を作って始めて気付いたんです。実際映画を撮っている間も、憂鬱でしたよ。この人はともかく、自分はこんな風に上手く行くだろうかと不安で。辛くなりました。でも暗い所を見ていても仕方がない。そんな話は皆が知っています。明るい話を披露して、それを皆で目指そうと。オーストラリアやスウェーデンの方、どちらも90以上なのに赤やピンクの服を着て、若々しいでしょう。撮影の半月後に亡くなられたんですが。
―え、とてもそんな風には見えません。どうしてお若いのでしょうか。
監督:それは私も知りたい。ただ言える事は、彼らはキョロキョロしないでしっかり生きています。相手の思惑で自分の生き方を左右される事がない。しっかり生きる事ですね。
―こんな映画を撮られて、監督はご自身の終末をどう迎えたいですか。
監督:まず過剰な延命はいらない。ちゃんとしたペインクリニックを受け、痛みのない最期でありたい。それと告知は受けたいのです。ああ死ぬんだなあと思って、それを受け入れ幸せを感じて死にたいですね。最後の時が幸せだったら、それまではどうであれ、総てが消えて幸せだと思うんです。だから「終わりよければすべてよし」
―なるほど。私たちも81歳という監督が、こんなにお若く美しく、次回作に意欲的に取り組まれているのを拝見しまして、年を重ねるのも悪くないと、なんだか元気になりました。有難うございます。
<インタビュー後記:犬塚>
実は監督とのお話は、ここに書いていない事のほうがずっと多いのです。最初はインタビューだったのに、「これを観た皆が話し合うきっかけになって欲しいと思って作った」という監督の言葉どおりに、私たちは誰もが自分に引き寄せ経験や思いを話し始めていました。老いや死を見つめる事は、実は私の年齢が一番辛いかもしれません。まだ観念するには早すぎ、人事と思うには近過ぎるから。監督のように毅然と向き合うには本当言うとまだ時間が要りますが、何時かもっと切実にこの映画を感じることでしょう。