ゴッホは南仏・アルルを目指して旅立った。
清澄な色彩に溢れてるという南の町で、画家仲間と共同アトリエを
運営するという夢を実現するために。
ゴッホの作風は、パリで劇的な変化を遂げたが、さらなる光を、
明るい色を彼は求めていた。 そのためにももっと南へ行ってみたい!
しかし、経済的余裕もなく~アルル行だって~彼にとっては無謀な計画。
誰がそれを実現させるのか?
弟テオにおいて他にない。
テオも必死だった。 どうにか兄を画家として独り立ちさせたい‥‥
さらには、兄との共同生活を終わりにしたい…このことが
アルル行を実現させた。
アルルに到着したゴッホは、風と光にあふれる景色に目を奪われ、
素朴な土地の人々とのふれあいに励まされて、生まれ変わったように
精力的に創作した。
テオは、兄が本気を出してきたと感じていた。
「仲間が欲しい!」とゴッホの呼びかけに応える誰かがいれば、
その画家のアルルまでの旅費を工面し、生活費を保証するために作品を
買い上げることに決めた。
その画家のアルルまでの旅費を工面し、生活費を保証するために作品を
買い上げることに決めた。
それでは作品をご紹介しましょう。
この時期に生み出された傑作の数々は枚挙にいとまない。
もう、皆さんもお馴染みの作品ばかりです。
もう、皆さんもお馴染みの作品ばかりです。
「夜のカフェテラス」
「アルルの跳ね橋」
「郵便配達人ルーラン」
「ひまわり」
「ローヌ河の星月夜」
そこで、テオは、
当時ポン・タヴァンにいたゴーギャンに白羽の矢が立ったのである。
ゴーギャンは生活に困っていたこともあり、アルルに行けばテオが
必ず作品を買い取ってくれるというのは、魅力的な提案だった。
ゴッホも、ゴーギャンに狙いを定めていた。
まず弟テオに手紙を送って彼の窮地を救ってくれと…
自分と同じように支援してほしいと懇願した。
アルルで一皮剥けるために、ゴッホはどうしても仲間が必要だった。
つまり、ゴッホにはゴッホの企みがあり、
ゴーギャンにはゴーギャンの企みがあった。
そう、ウイン=ウインの関係になるつもりで共同生活を始めたのです。
一方、企みなど関係なく、自分が見込んだ二人の画家を責任をもって
支援をしたテオこそが、もっとも純粋だったのだ。
アルルでの共同生活は、一見順調のようにも~ 時は流れる
2か月余りか…
その日 1888年12月23日。 クリスマス間近
何かの拍子で激しい口論になった。
ゴーギャンは耐えきれなくなって、
「もうパリへ帰る」と言い放つ。
その間、どんなやり取りががあったのか…
それは当事者であるふたりにしかわからない。
激昂したゴッホがナイフを取り出して自らの耳を切り落としたのは、
このときだった。
◆ この辺の件
私のブログ 「あのゴッホを追いかけてみよう
(NO.11 2020・10・20)
(NO.12 2020・10・22)
原田マハさんの得意なアートフィクションが、満載してあります。
この「リボルバ―」のブログと併せて読んでいただければ、一層
面白くなると思いますよ。 どうぞよろしく (^^♪
その日から約1年半後に自殺を図るまで、ゴッホの身にいろいろな事件が
起こる。
* ゴッホは「自殺」 これが史実なんですが、作者の発想は?
どんな展開をしていくのか~
この「耳切り事件」の後、ゴッホは、
サン・レミ・ド・プロヴァンスの療養院に入院し、丸1年、心身の療養を
しながら創作を続ける。
事件後の自画像
とまぁ、少し時間を戻しますが、
冴と、ギロー、フイリップ3人
オーヴェールの町を後にして車で帰路に~
その車中でギローは
シートベルトし窮屈そうに腕を組んで~
「だから、ゴーギャンがファン・ゴッホを殺した、ってことだ」
確信めいた口調で答えた。
この推理の前提として、以外にもきちんと史実を把握していた。
アルルでの共同生活の締めくくりの「耳切り事件」をきっかけに
完全な仲違いをした。
その後、ゴーギャンはいったんパリに戻り、自分にとっての理想郷・
未開の楽園であるポリネシアへ行きたいとの思いを募らせる。
しかし、日々の糧を得る金にも事欠く現状。
しかたなく、ブルターニュの漁村ル・ブルデュに隠遁。
そのうちなんとかして南の島へ旅立とうと目論む。
さて、ここからは、ギローの推理だ。
彼の言うには…「ゴッホが小康状態となり、最期を迎えることになる
パリ近郊の村、オーヴェール・シュル・オワーズへ移住したのは
1890年5月。このとき、ゴーギャンは相変わらずくすぶっていた。
ゴッホはオーヴェールで精力的に創作し、約2か月間で77点もの作品を
完成させた。
この間、ゴーギャンはブルターニュで従来通りの作風をなぞっていた。
ギローは推理する
「自分はまだまだこんなもんじゃない。
ゴーギャンの強い自負と自尊心が、己を狂気の淵迄追い込みながら
描き続けるゴッホに対する強い嫉妬心を呼び覚ましたのではないか。 と。
さらに、膨らましていく~
ーー私はフィンセントよりも年上で、彼よりも思慮深く、まともで
新時代の画家はどうあるべきか、自分の表現を見つけるにはどうしたら
いいかよくわかっている。
作品だって売れていないわけじゃない。
テオも、兄貴の絵よりも私の絵の方が顧客に薦めやすいし…本当は私の作品
に絞ってセールスした方がやりやすいと思っているんじやないか。
そうさ。フィンセントがいなくなれば、テオの負担は一気に減る。
そのぶん、私を売り出すことに力を注げるようになるだろう。
テオは、私はいずれ南の島へ渡航できるよう支援すると、アルルへ行く前から
言ってくれていたんだ。
経済的には、弟に。
私には、思想と技巧の面でよりかかってきた。
私はあの気難しいフィンセントと共同生活するなんてまっぴらごめんだったのだ。
テオに生活費と、いずれタヒチに行くための支援を申し出られたものだから、
とうとう重い腰を上げてアルルへ行ったんだ。
あいつひとりだけだったら何もできなかったはずだ。
なのに、巷では
「フィンセントがおかしくなったのはゴーギャンのせいだ」と。
私が何をしたというのだ?
彼を助けただけじゃないか。それなのに。
「フィンセントは行こうとしている。
たったひとりで。誰も追いつけない高みへと。」
そんな馬鹿なことがあるか。私よりも先に行くなんて。
誰も寄せ付けないほどの彼方へ。 行かせるものか。
どうしても行ってしまうのなら、その時はーーーー。
世間から見捨てられたような寂しい漁村で悶々と考えを巡らせていた
ゴーギャンは、とうとう我慢ができなくなってきた。
ついに「そのとき」がきた。 と彼は悟った。