今月の「まちづくりカレッジ」の講座は、芸術の秋にふさわしく? 教養講座を。
11日は音楽鑑賞「マンドリンを聴く」 本日は、「源氏物語、この素晴らしい世界」
このカレッジ名誉学長 林 望氏の講演
この講座には少しレベルが高すぎる? 自分ではそう思っています。
「源氏物語」・・・読んだことありますか? 齧ったことありますか? ・・・う~ん。
読んだこと・・「ない」訳じゃない・・が、そもそも、例の最初の件だけですよ。
それも、古文の時間の興味もなく、ただ、時間を潰していたあのころのことです。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごと
なき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。 はじめより我はと・・・・・・・」 と
いう、「桐壺」のこの一節、これが「源氏物語」を読んだ・・・・じゃ、話にならないでしょ。
なんせ、五十四帳の膨大なものです。
読者の中で、どのくらいの方が、最後まで、読破しているのか・・・到底、愚者には無理。
今日は、そんな素人に、なんとかこの物語に気楽に興味を持って貰い、一人でも多くの方
が、新しい挑戦の一つに加えてもらい、この物語の深い、微妙な琴線に触れて欲しい・・・・
というのが先生の願いだと感じ取りました。
源氏物語は、なぜ、今日まで残ったの?
まずは、1.格調高い、エロスの世界なのだ。
2.ユーモアがある。(自虐的な・・笑いの世界かな)
3.親子の物語である。
「光源氏」という主人公を通じて、「生きていく」というなかで、誰も同じように自分に照らして
みると「なるほど・・・そうだ・・・」と、思わず、引き込まれ、納得していくヒューマニティだ。
この当時の小説?は、貴族の仲間うちだけの世界であり、その世界も特殊なのである。
庶民は、そう、「食うや食わずの毎日・・・」 貴族は、きらびやかな、浮世の世界。
源氏物語絵巻を見ればうなずけます。(wikipedia より)
特筆できるのは、物語→「ものがたる」→「ものがたり」の場(光源氏の身辺での、言行を。)
その言行を見聞したものが、語るところを、筆記する(記録者)。
その出来事の話・・・という体裁をとっているのですね。
つまり、全編 「ナレーション」で、聴かせていく。
語り手の言葉をそのまま写した形、語り口、語り方、話す内容に重きをおいている。
相手は? もちろん、天皇、中宮、そのまわりの貴族たちへ。
講座で・・・物語は「恋は別れこそ」がいいのです。 先生一押し・・・・
「賢木」の段 で 「生徒は原文を追いかけ・・・先生は現代語に訳し解説して
その情景を「ものがたる」・・・
先生の表情は、語り部そのもの・・・。
この古典に、作者「紫式部」の「言いたかったこと」を自然な現
代語で表現をした。
と、その自信が話の節々から感じ取られました。
これに取り組みには、ちょっと勇気がいるねぇ~。
これから、興味を・・と、思う方。
是非、林 望 先生の 新訳・・・本の題は「謹訳 源氏物語」 祥伝社刊 で~す。
講座中 先生の分析をしながら聴いていた。
あの風貌・・・なかなか味があります。髭と眉毛がいい。
豪快じゃなさそうだ、マメだろうな。
こんな大作に生涯かける・・・マメじゃないとできないよ。
声にセンスがある。 音感がきっといいと思う。
「源氏物語」劇中劇を、先生一人で声を代えてできそう。
朗読・・語る。 あの声は・・もしや? 光源氏もか?
言葉遊びがお上手・・・結構、もてると思うよ。
じゃないと、恋の言葉のやりとりを訳す・・・経験則も充分ないとね。
とっても、自然に受け止められる リンボウは、庶民の古典への道を開いた・・・・。
今日、感じたのは、「読んで、聴かせること」の素晴らしさですね。
これは、ひょとすると、高齢者対策(ボケ防止には効果ありだよ)になる。
「聴くことによって」・・想像力が広がるしね・・・一人一人の人生を掘り起こすのさ。
「源氏物語」を「読む」「聴かせる」・・そんなステージを新しい挑戦にしてみるのも。