1888年12月 ゴッホが自分の耳を切る事件を起こします。
喧嘩や議論の絶えない二人。
ゴーギャンがアルルのホテルに泊まった。
一人家に帰ったゴッホは、左耳の耳たぶの一部を切り落とし、
その肉片を自分の馴染みの娼婦に届けて警察沙汰になりました。
ゴッホの耳切り事件は新聞沙汰になり、さらに話が大きくなっていきます。
一般市民の野次馬根性に、ゴシップこそ書きたいジャーナリズムの
性質が重なり、ゴッホはたちまち「狂気の人」に仕立て上げられてしまい
ました。
入退院後、徘徊して意味不明なことを口にし始めたゴッホ。
もう一度病院に入院させてくれと警察に通報されたほか、いろいろな
噂が立ち、ゴッホはアルルに居ずらくなってきたのです。
(頭に包帯をした自画像 ゴッホ)
市立病院のレイ医師に
「サン=レミという近くの町に修道院があり、付属の療養院がある。
そこだったら絵も描ける。
行ってみたら~」と提案された。
ゴッホはたった一人で行く決心をする。
おそらくゴッホはまともだったのではないでしょうか。
医師から、「絵が描けるところに行くべきだ」
普通の考え方ができる、狂人だったら・・・
とても言える言葉ではないでしょう? …
その環境に飛び込んでいくことが、彼の選択でした。
きっと、自分の起こしたことで大騒ぎになったこと。
まずいという気持ちもあったと~
絵を描き続けることしか自分にはできない。
前向きな選択だった。
それに、もうひとつ、テオのためを思ったからでは?…。
アルルでの作品をすべては無理なので~前回から続いて・・・
ここでゴッホがアルルで描いた作品を鑑賞しましょう。
「アルルの病院の中庭」
ゴッホのメモリアル
現在が当時そっくり復元したもの
ゴッホは、ここでわずか15か月の滞在中に300点を超える作品を残す。
「 自画像 パイプをくわえ麦わら帽子をかぶったもの」
「自画像 坊主としての自画像」
「アルルの老女」
「ラ・ムスメ、座像」
「男の肖像」
「花咲く果樹園」
「オリーブ畑」
「アルルの跳ね橋」
「アルルのダンスホール」
「売春宿」
サン=レミ修道院の精神科病院へ
ゴッホは、たった一人で馬車に揺られてアルルからサン=レミへ。
サン=レミへは…プラタナスの並木道が延々と続く~
修道院の門をくぐったのは1889年5月。
門をくぐると、入口からまっすぐ修道院の教会に向かって
小径が続きています。
その小径の花壇に、アイリスの群生が咲き乱れている。
たった一人のゴッホを迎えてくれたのは~
この「アイリス」だった。
(中庭)
糸杉街道を通って、
修道院付きのサン=ポール=ド=モゾール療養院に到着。
サン・レミ修道院には、
今でもゴッホが入院していた部屋が残されています。
冷たい」石畳の三畳一間くらいの狭いもの。
窓には 講師が嵌められています。
この窓からは、アルピーュ山脈、そして修道院で働く農民たちが
耕す畑の様子が・・・・
サン=レミの修道院で過ごしているあいだに回復してきたゴッホは、
キャンヴァスを持って屋外に出かけていきました。
アルルとは違って、誰も話しかけない代わりに、後ろ指を指す人もいない。
きっと、心の中で木や山々と会話をしながら絵を描いたことでしょう。
ゴッホのここでの一年間は、彼の作品の中で、最も優れた作品が
生み出されています。
素晴らしい風景画を残しています。
続く