黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

孤高の画家 田中一村 NO.3

2023-01-30 | 日記

千葉寺の家の周辺には、画材になる植物や花が一面に植えてあった。

縁側には小鳥かごが積んであった。さまざまな小鳥たちがさえずり、

 まるで小鳥屋の店先のようににぎやかだった。

暇を見ては小鳥たちのさまざまなしぐさやポーズをスケッチしていた。

花鳥風月は日本画の伝統のモチーフだが、彼の姿は、単に絵の題材として

以上に、彼ら(小鳥たち)を愛しているふうだった。

 

 素描の中から~(鳥)

    

 

    

 

   東京育ちの米邨にとっては全く不慣れな百姓仕事であったが、

 近所の農家に一から学び、本を読み、篤農家をたずねて次第に

 いい作本を作るようになった。

午前中は畑で写生している姿があった。

一村は、農業をすることで、自然への洞察力を高め、感覚を磨いた。

 

 千葉時代の作品を  昭和30年代

 

 風景

 

   千葉寺・農家の庭先

   

 

   千葉寺の春(牛のいる風景)

  

 

 千葉寺・雪の日 昭和30年

  

 千葉寺風景 ①

  

 素描・ザクロ 昭和30年

     

 

  花とトラツグミ  昭和30年

  

 

 ユリと岩上のアカヒゲ 昭和35年

   

 

 この時代より前~昭和20年代の千葉寺風景がある。

 千葉寺の四季のたたずまい。

 山水画の趣を見せる淡彩の風景。

 それはいずれも静かな農村の情景であり、大地の恵みを

 描いたものである。

 

 千葉寺・秋  昭和23年

     

 

   麦播 昭和19年

    

 

  牛を引く農夫  昭和19年

    

 

  田植え   昭和20年

    

  山の田   昭和21年   

 

    

  囀り    昭和22年

         

  カワセミ  昭和20年

  

 

千葉での生活はそれなりに充実していたが、米邨の胸中には

 いつも焦燥感のようなものがあった。

ゲーテの禅宗の中で見た

「芸術は長く、人生は短し」という言葉が、

実感を伴って迫って来るのだった。

 

 昭和三十年の梅雨が明けたある日

       一村は四国、九州へと旅立った。

 

 

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