千葉寺の家の周辺には、画材になる植物や花が一面に植えてあった。
縁側には小鳥かごが積んであった。さまざまな小鳥たちがさえずり、
まるで小鳥屋の店先のようににぎやかだった。
暇を見ては小鳥たちのさまざまなしぐさやポーズをスケッチしていた。
花鳥風月は日本画の伝統のモチーフだが、彼の姿は、単に絵の題材として
以上に、彼ら(小鳥たち)を愛しているふうだった。
素描の中から~(鳥)
東京育ちの米邨にとっては全く不慣れな百姓仕事であったが、
近所の農家に一から学び、本を読み、篤農家をたずねて次第に
いい作本を作るようになった。
午前中は畑で写生している姿があった。
一村は、農業をすることで、自然への洞察力を高め、感覚を磨いた。
千葉時代の作品を 昭和30年代
風景
千葉寺・農家の庭先
千葉寺の春(牛のいる風景)
千葉寺・雪の日 昭和30年
千葉寺風景 ①
素描・ザクロ 昭和30年
花とトラツグミ 昭和30年
ユリと岩上のアカヒゲ 昭和35年
この時代より前~昭和20年代の千葉寺風景がある。
千葉寺の四季のたたずまい。
山水画の趣を見せる淡彩の風景。
それはいずれも静かな農村の情景であり、大地の恵みを
描いたものである。
千葉寺・秋 昭和23年
麦播 昭和19年
牛を引く農夫 昭和19年
田植え 昭和20年
山の田 昭和21年
囀り 昭和22年
カワセミ 昭和20年
千葉での生活はそれなりに充実していたが、米邨の胸中には
いつも焦燥感のようなものがあった。
ゲーテの禅宗の中で見た
「芸術は長く、人生は短し」という言葉が、
実感を伴って迫って来るのだった。
昭和三十年の梅雨が明けたある日
一村は四国、九州へと旅立った。