雫の魅力
先日少し雨が降った。
冬の雨は冷たい。
そして久しぶりの小雨は静かに、天から降りてくるような。
土砂降りの雨とは違った風情なのだ。
人生80年。
過ごしてきた自分だが、「気が付かなかった」ことも多い。
それがなんだか? それは、新しい発見ができたときに「気が付くのだ」
天を仰いでいなければ、星の美しさも、分からない。
雲の動きも、次々と変化していく微妙な動きも。
思うに~現代の大人も、子供も、「上を向いて」の動作があるのだろうか?
気が付かないどころか、気になって心配なことが多いのも、現代。
電車に乗っても、バスに乗っても、待合所でも、
レストランで食事が運ばれてくるまでの短い時間にも…「下を向いている」
そう、「スマホ」という文明の機器にしがみついている姿だ。
文明の機器は、確かに便利だ。
これがなければ1日過ごすことができないという~いや、完全に縛られている方も。
私は今心配している、この機器による、身体の影響を。
姿勢は悪くなり、眼も、耳も。 いあや、もっと、その影響の度合いは広がるのでは。
周囲の動きなぞ、一向に気が付かなくなって、自分の世界だけで息をしている。
歩いていても、自転車に乗っていても、
もっと危険なのが、自動車を運転しながらスマホを握っている。
「自分だけは大丈夫」という、まさに自分勝手な行動が席巻している今日。
このままの状態で時を刻んでいけば、絶対に何かが起きる。
と、いらざる心配をする田舎の爺さんなんだが…
そうそう、前に戻って、新しい発見の話だ。
雨が上がった後に、庭を歩いて、その「雫」の美しさに見惚れたのだ。
たかが「雫」だが、まぁ、ご覧ください。
秋の賑わいを演出してくれた「紅葉」も 枯れ枝だけの状態に・・・。
その小さな枯れた枝に。 気が付きましたか?
ほら、 小さな白い粒が・・・光っていますよね。
真珠の珠?
土砂降りの雨だとこんな姿は見ることができない・・・雨のいたずらです。
枯れ枝に見事に花が咲いた。
なんとも情緒がありますね。
ならばともう少し歩いて探してみると。
「オキザリス」の緑の葉の上に・・・
この美しい緑の葉の上に~小さな花が咲いた。 雫の花です。
そう、この花(雫)も、一瞬の時間だけもらったのです。
上を向いて探してみました。
「ユーカリ」の葉にも。
広げた葉に しがみつくように 雫が。 眺めていると…雫が動きました。
どう表現しましょうか~ スーッーっと 音もなく(変ですね)
細くて、赤い枝に映えています。
寒さと共に、庭の樹や、花たちの動きから遠くなる。
葉の色の、花の動きも、そして色彩の変化さえも・・・見過ごしてしまいそうです。
そんな寒い日に、はっと気が付き、改めて 「美しい」という発見ができたこと。
これも、「生きている」実感の一つなのかも?
そういえば、なんとなく眺めていた「南天」の葉。
ねぇ、この美しさ見てくださいよ! と、声を掛けられた!
美しく装っているのに「気が付かなかった」よ。
ごめんなさい。
今の君は、「美しい!」 よ。