黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

あの「ゴッホ」を追いかけてみよう! (№.10 )

2020-10-19 | 日記
…文中からの引用を続けていきます。

油絵の具のにおいがふっと立ち上がり、中から二枚のカンヴァスが現れた。
それぞれに椅子が描かれていた。

      
    ゴーギャンの椅子      ゴッホの椅子

ひとつは肘掛椅子で、座面に置かれたろうそく立てに
ろうそくが1本灯されている。
心細げに揺らめく炎。 
その傍らには2冊の本が投げやりに置かれている。
そのうちの1冊はいまにも座面からずり落ちてしまいそうだ。
緑色の壁に取り付けられていた燭台のろうそくも灯されていることから、
夜の室内だとわかる。
一日の終わり、安息の時間を迎えたはずの部屋。
しかし、そこにいるべき人の姿はなく、そこはかとない孤独感が
漂っている。

もう一つの椅子は、肘掛のついていない粗末なもので、
座面にはパイプが転がっている。 (このパイプはゴッホの愛用のもの)
その傍らには包み紙がほどかれた刻みタバコが見える。
ここに座るはずの誰かは、パイプに葉を詰めようとしながら~
出かけてしまったのだろうか。
後ろの本箱には、やはり長い間放置されているのだろう、玉ねぎが青い
芽を出しているのが見える。
室内は白っぽい均一の光に満たされているため、昼間だとわかる。
誰もいない静寂がひたひたと押し寄せてくる。

    座るべき誰かが、そこにはいない。
       孤独なざわめきが。ふたつの絵にはあった。
   ふたりの画家は、いったい、どこへ行ってしまったのだろう。

 
 初めのうち、フィンセントが送ってくる絵は、どれも南仏の光を
まとった明るい画面だった。
しかし、どの絵もどこか孤独の匂いがした。
それは、フィンセントが絵を描く始めたごく最初の頃から
必ずつきまとっていた。

 もっともっと明るい絵を。光あふれる絵を。        
 テオはそう願っていた。
 ところが、送られてくる絵が日を追うごとに孤独の気配を
 強めていくのをテオは見逃さなかった。

 テオは、覚悟を決めた。

 その頃、テオに会うために、
    ゴーギャンがパリにやってきた。  

 そして「アルルに行ってみるのも悪くないと思っていますよ。
      なぜって、私には、パリじゃないところが必要だからね」

  ーーー  この人に、フィンセントを任せてみよう。
           テオの心は定まった。

  10月下旬、ゴーギャンはついにアルルへと旅立った。

昼も夜も、ふたりはイーゼルを並べて制作に励んだ。
 紅葉の並木、星の輝く川辺、ゆっくりと馬車が通り過ぎる跳ね橋、
 収穫の始まった麦畑、風の吹き渡る田園。

 夢のような共同生活。充実した制作の日々。
 ワインを飲み交わし、芸術について語り合い、笑い合う二人の画家。

  フィンセントの絵に漂っていた孤独の匂いは、
               まもなく消えてなくなる。
 その代わりに、彼の作品は、充実した幸福感に包まれるはずだ。
  そうだ、まもなく。 きっと~
  そうなるとはずだと、信じていた。


 ここで アルルで描いた絵を見ていきましょう~
 「ひまわり」
  フィンセントゴーギャンを歓迎するためにアルルに咲いていた
  ひまわりの絵を沢山描きながらゴーギャンの来るのを待っていました。
   それほど、ゴッホはゴーギャンとの生活に期待を持っていました。
              

         ゴーギャンが描いた
    「ひまわりを描くゴッホ」1888
        

 
 「夜のカフェテラス」1888年
          
    この店は、町の中心部にあり、賑やかな広場に面しています。
 でも、なんだか、「寂しさ」を感じますが・・・。

         

  「ファンゴッホの寝室」
         
                                         1888年9月   ゴッホ美術館  

         
           1889 最初の物を複製 シカゴ美術館
        
         
           1889年9月 

  *絵の左側の扉はゴーギャンの部屋につながっていたとされる。
        
  この絵も、日本美術の影響を大きく受けた作品で、完全に
  自分の作風に取り入れたものになっている。
  まず影がない。浮世絵的な平らな場面として描いています。
  そして大胆な構図。
  ベッドを横にして、水平と垂直をとらずに、
  思い切って背板を手前に大きく描き、ベッドが奥に
  ぐっと引っ込んでいるように見える極端な遠近法を取っています。
             
   現在、ゴッホの家で 再現され展示、絵と同じように。   
          

 
 アルルで暮らした家の2階の寝室を描いたもので、
 この家は「黄色い家」と呼ばれていました。
          
 
 「耕す人と家の見える畑」
            
  「麦畑」素描
             


「種を蒔く人」も同様です。
タイトルやモチーフはミレーそのものですが…
構図は、間違いなく歌川広重の浮世絵「亀戸梅屋敷」から来ています。

 まず、尊敬するミレーのもの。
          

  ゴッホの描いた 「種を蒔く人」 ミレーの原画の模写(素描)  
   
          
   
  次に 油絵で描いたもの。
             
                
  上の絵の構図は 浮世絵からのもの
      「手前に木を大きく描いています」
  元の浮世絵「亀戸梅屋敷」を模写したもの。並べて。 

      

      
                      クレラーミュラー美術館蔵

        
 * ゴッホは、「種を蒔く人」
   油彩画、素描を合わせて48点も描いています。          

1888年6月 テオ宛の手紙に~ゴッホはこう書いている。
 「正直なところ、僕は田舎が嫌いではない。
  僕はそこで育ったのだ。心の中に突然浮かび上がる昔の思い出や
  あの無限なものへの憧憬~種蒔く人や麦畑はその象徴なのだ。
   いまでも僕を魅了するのだ。  

 「ローヌ川の星月夜」
         
  
    実際の風景は
         

    「ラ・クローの収穫風景」

         
 
 ゴーギャンのアルルでの風景画を覗いてみましょう・・・。

    
   
        「アルルの農園」
       
       
     「アルルの病院の庭にて(アルルの老女たち)」
       

       

       「アルルの夜のカフェにて」
        
     
                

ゴーギャンがなぜ、変わり者のゴッホの声に応えたかというと
ゴーギャンも偏屈物で変わり者だったかもしれません。
ゴーギャンはパリ生まれでパリ育ち。
純粋に、パリじゃないところに自分を置いてみたかった。
ゴーギャンのみならず、都会の人たちはエキゾチシズムへの憧れが強く、
特に芸術家たちは異国情緒あふれる画題を求め、体験したことのないもの
に対する憧れを強く抱いていました。


 アルルから送られてくる二人の絵を毎週見るうちに、
絵の完成度は双璧と言えるほどに高まっているように感じてはいた。
しかし、二人の画家は強調しながら制作しているというよりは、
互いにそっぽを向いて、それぞれ好き勝手に描いているような気配があった。

 林忠正は、あの二枚の「椅子」の絵を見て…
 「何かあったのだろうな?」・・・・

 ほんとうにうまくいっていたなら
 「空っぽ」の椅子を描く必要はないだろう~
           
ゴッホとゴーギャンはよく論争をしました。
 ゴッホはミレーの影響もあり「見えたように描くべきだ」と
 リアリズム的な主張を・・・

 ゴーギャンは「アートは想像のもので、空想こそがアートだ」と
  反論する。

   ゴッホは、ゴーギャンの主張にも一理あり、描いている絵が
  素晴らしいことは認めていました。

  喧嘩や議論の絶えない二人~


 その後、ゴーギャンが                   
 「もう君との共同生活は続けていけない」とゴッホに告げ、
                    家を出ていった。・・・・・

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続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。