黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

出港! 大海原へ

2020-05-16 | 日記
     信長   と  アレッサンドロ・ヴァリニヤーノ
          
     二人の思惑? が一致した。

ヴァリニヤーノには、信長には話せない真の理由。
前述の「二つの目的」を達成するために「遣欧使節」を思いつき提案し
信長は同意した。

 そのために、彼ら少年たちの教育が必要と説き、長崎に近い有馬の地
「セミナリヨ」神学校を設立、キリシタン武家の子息たちを学ばせ、
名代としてその中から選抜したいと・・・。
 ・・・信長の威光を西欧の人々に正しく伝えることである。 と・・。
 
   
        有馬のセミナリヨ跡
 
   
        「有馬セミナリオ」図
 ◆セミナリヨ=戦国時代~江戸時代の日本に、キリスト教を広めにやって来たイエズス会の
  宣教師たちが設立したカトリック教会の司祭(神父)を養成するための全寮制の学校。
  キリシタンの10~18歳までの男子が学びました。
  1580年、安土とともに日本に初めてセミナリヨが有馬の地に建てられた。
  有馬晴信の領地

  このセミナリオにおいて、使節の一員として選ばれた
  マルティーノ、マンショ、ミゲル、ジュリアンたちは日々の信仰とキリスト教の教義、
  また西欧の礼儀作法をも習得していった。
 
信長は、
さらに、西欧での知識や文物を持ち帰り特殊な技能を持った少年も加え、
その者に「技術」を学ばせよ。 そして余が元へ届けよ。
 いったいどうゆうものか、見当もつかぬが・・・

ヴァリニヤーノの口から「タイポグラフィア(印刷)」という言葉が出た。
 この技術がもたらされれば・・・と、 その重要性を信長に説いた。

 *1400年の半ばに活版印刷はグーテンベルグによって発明されヨーロッパでの本生産に
  一大変革を起こした。そして、ヨーロッパ、さらに世界中に広まっていった・・・。
   印刷技術は、羅針盤、火薬とともに「ルネサンス三大発明」の一つ。
      グーテンベルグ    印刷機      印刷した「42行聖書」 
         

 ◆この天正使節の一行が教皇との謁見の後、少年使節に関する印刷物がヨーロッパ各地に50種類
  以上も発行され、はるか極東の未知の国日本は、ヨーロッパ全土に認知されていった。

   
話は、前に戻りますが~この特殊な技能を持った少年を加える・・・
それが、宗達だったのだ。

 ローマの「洛中洛外図」を描いて来い! は。
 信長は、既に天下をほぼ手中にした。 が、万事安泰と思ってはおらぬ。
  「次なる一手」を探っている。
  彼の、そのために、彼らとの接触があるのだと
 
  信長の妄想は膨らむ一方だった~・・・
   それにつけても・・・行ってみたい、ローマへ。
   見てみたい、この目で。

   ローマ行きを誰よりも渇望しているのは、・・・・でもなく・・・
        実のところ、織田信長だった。

     *いやいやいや・・・もうこれ以上の、空想はないよね~素晴らしい発想。
        よくこんな・・・どこから生まれてくる 発想なの?

1582年 (天正十年) 二月二十日。
 岬の先端、長崎港の上には、きりりと冷たい青空が広がっていた。
 季節風が海を渡って吹いてくる。
 ゆるやかに、ときに強く。
 この風に乗って帆船は大海原へと漕ぎ出すのだ。
 出港にはうってつけの日であった。


 港には~この使節の団長(司祭兼イエズス会東インド管区巡察師)
   アレッサンドロ・ヴァリニヤーノ 
  正式に遣欧使節となった
  伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、そして 原マルティノ。
   
 四人の脇にはパードレ、修道士、世話役など、引率・随行団がずらりと並ぶ。
 彼(ヴァリニヤーノ)の賛同者で、彼の通詞として安土から同行してきた神父
  デイオゴ・デ・メスキータ
 日本人修道士で、日本語とラテン語の双方得意な少年たちの教育係
     中浦ジュリアン       デイオゴ・デ・メスキータ神父    伊東マンショ  
    
       原マルティーノ                    千々石ミゲル
 
  ジョルジヨ・ロコラ・・・  ほか、・・・船の乗組員。

 これからの長い船旅~ 
 「南蛮船」
       
        *当時、日本人が描いた南蛮船
          
           *ヨーロッパ人が描いた帆船(ナウ船)
           *「ナウ船」は、ポルトガルでの呼称。

    神戸市立博物館にある「南蛮屏風」   港の風景 「帆船」と南蛮人や日本人たちの姿 
 

  *「安土城資料館」展示 {安土城屏風絵陶板壁画}
   (長崎へ上陸する南蛮人の荷揚げの様子と、信長に託されて安土城屏風を持ち船出する天正使節) 
 


 長崎を出港した~

 水平線の彼方を目指し、潮の流れに乗りながら、
風をいっぱいにはらんで帆船は進む。 
見渡す限りの青い海、入道雲が立ちのぼる空。
頭上高く舞い上がるカモメの群れ、夜間に鱗をきらめかせる魚影。

 さぁ、船は出ました・・・
  以後、彼が日本に帰国するまでの8年5カ月の間

  これから、一体 どんなドラマを展開していくのでしょうか ?・・・

  「下巻」届きましたので、これから 読み始めますので・・・
           また次回まで~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。