いゃぁ~懐かしい・・・。
「恋しい、恋しい・・・」さんから?
1通のパソコンメールが入りました。
それが、最初のメールからなんと2年以上も経過して。
彼女からなら、「えっ、もしかして亭主が亡くなって・・・:なんて考えるのだが、
いや、この張本人は私の先輩なんです。
お付き合い?して、もう40年以上のいいお友達です。
若い時代に寮生活も一緒し、貧乏生活(こんな表現、今の時代していいのかな?)を
楽しんだものです。 男の匂いがプンプンするあの時代が強烈に残っているのです。
会社も正直、そのころは「これからどんな会社になるのかしら?」という程度の、言ってみれば、「海のものとも、山のものとも・・・」ランクのチンケな会社だった・・・。
給料? どのくらいだったかな? 思い出したくない額の・・・そんな悲しい
でも、みんな元気だった。 仕事も楽しくやっていた。 暗い人・・いなかった。
底抜けに明るいのが多かったなぁ・・・
そのころ、寮といっても、自炊するものはほんの数人で、あとは、外食派。
でも、みんな同じように懐具合は? スカンピ~ン・・・
我が部屋にそんな「輩」が、入れ替わり、立ち代り、「遠慮」という言葉も忘れ、時間構わず、
青春したものです。 何といっても「食べる」ことが一番の楽しみだった。
私、「作る人」、あなた「食べる人」&「洗う人」・・・その中の彼も一人でした。
作る私も、かなり腕を上げ、最後には、一人ずつから、お金を徴収し、朝、晩を賄うように。
当時の写真はありませんが、狭い台所に、金盥(カナダライ)が、鍋になって、料理をしたり、片付け用になったり、獅子奮迅?の活躍を。
こんな風景ですね。 当時はボールも、こんなステンレスではなく、アルミ製。
使い方激しくて、面は、ボコボコ・・・
今考えれば、衛生上なんて? 考えも。
ブドウ球菌、サルモネ・・・いや、いや
近くの保健所に駆け込むこともなく
立派に? 育ちました。
綾小路さんの一言ではありませんが、「あれから 40年・・・・」
もうすぐ齢、70を迎えようとし、「友」がいる。 このことの意味がはっきりとしてきましたね。
人との「会話」がいかに、大事なことかと切実に思います。 だから、「友」がいなければ。
生来の筆不精?(これは(・・? ではなく、ほんとです)の彼が、値、千金のメールを。
今日は、これが一番のご馳走です。
「友よ、遠方にいる、いかし、光回線は、時空を超えて 「遠方」ではなくなるのだ」
これからも、メールでも、写真でも、動画でも、「思い立ったら」
お互いに、指を動かしていこうではないか・・・・何だか、熱くなってきました。