島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

ベトナム・カンボジアの旅4

2020-01-13 | 
 
 再び明るく暑いアンコール・ワットに戻りました。
朝の暗い時にははっきり見えなかった建物が、どうなってるのか分かってきました。
こんな大きな濠に囲まれていて、西参道の入り口の石橋は修理中なので、朝はわけも分からずに渡ったグラグラ揺れる浮橋を渡ります。
 中央奥に小さく見えてるのが中央祠堂です。
 
 蓮の咲いている池に映る、写真によくあるアンコール・ワットも、写真に撮れました。
中央の塔は見る角度によって、3~5塔あるように見えます。
 
 冬とはいえ、昼間は暑いぐらいで、下手すると熱中症になりそうです。
参道などの欄干には、よくこの七つの頭を持つナーガという蛇神が使われていますし、この七つの頭の部分は、日本の仏像の光背のようにも使われていました。
 
 十字回廊周囲の石には、少し彩色が残ってる部分もありました。
ここに1630年頃に訪れた、森本右近太夫一房の落書きが残っていましたが、読めませんでした。
 
 森本一房(モリモトカズフサ)の父は加藤清正の重臣だったようで、その後一房は松前藩に仕えたので朱印船に乗れたのか、カンボジアに渡ったそうです。
最後は京都に帰って死んだので、お墓は寺町高辻の電気屋さん街の寺町に有ります。
葬られた乗願寺、旅行に行く前に行ってきましたが、中には入ることは出来ず、この門の写真だけになりました。
(乗願寺さん、案内板でもおいて宣伝したら、観光客きそうですよ)
 
 朝5時からでかなり疲れてきていましたが、プレ・ループと言う寺院で夕陽を見ます。
もうたくさんの観光客が登って待っていました。
 
 アンコール・ワットに沈む夕陽と思ってましたが、ジャングルに沈む夕陽です。
ちょっと高くて浮ゥったですが、石の上に座ってゆっくりと沈む夕陽を見続けました。
さすがにもう暑くはなく、時々吹く風が気持ち良いです。
 
 じっと夕陽を見てるのは、奈留島や富江に居た時以来かもしれませんが、心の中に何も無くなる時間です。
 
 夜は、それほど美味しいというほどではありませんが、クメール料理を楽しみました。
地元のアンコールビールはあっさりした味で、喉を軽やかに通り抜けますが、私にはやっぱりマンゴージュースの方があいました。
 
 
 最後はカンボジア宮廷舞踊アプサラダンスショーを楽しみました。
疲れてるので途中で出てもいいですよと、ガイドさんは言ってくれましたが、意外と面白かったので最後まで観てしまいました。
  長~い4日目も終わりました。

      返事
和さん:15年前でも、
    第3回廊を登る石段を登れたのは偉いものですよ!
    私たちは出来た手すり付きの木の階段を登りましたが。
     今でもホテルの洗面台には、
    うがい用のペットボトルが置いてありましたので、
    それで薬を飲みました。
toitenlaびいさん:アインテンラもうじきばばあ?さん。

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ベトナム・カンボジアの旅3

2020-01-10 | 
 
 ベトナム航空でハノイから2時間でカンボジアのシェムリアップに到着。
空港に迎えに来てくれた現地ガイドは、日本人のような顔のカンボジア女性ガイドで、ここでも専属運転手さんと2人が、私たち二人に付きっきりと言う旅になりましたので、このパック旅行はあまり人気が無かったのですかね。
 もう道は真っ暗でしたが、リゾートホテルのような綺麗なホテルに到着。
 
 2時間のフライト中に軽食が出て、それを完食してたのに、またホテルで遅めの夕食です。
でもこのデザートまでの洋食は、この旅の中でも美味しい方の食事だったので、また完食です。
 
 4日目朝は、まだ暗い5時15分にホテルを出発。
アンコール・ワットの夜明けを鑑賞です。
真っ暗な中、旅行中に唯一使用したスマホの懐中電灯モードで歩き、位置に付きました。
まったく寒くありませんでした。
 
 朝日が見えるほどの良い天気ではありませんでしたが、じっと日の出を異国の地で待つのも良い感じでした。
 
 明るくなると共に、たくさんの観光客がいることを知りましたが、そのまま第3回廊に向かいます。
日本の欄間彫刻もすごいのが有りますが、ここは石なので、彫るのはより大変か。
 
 20年ぐらい前にアンコール・ワットに行っていた息子は、ピラミッドより急で狭い石段を登るので「お父さん達には無理」と言っていた第3回廊、手すり付きの木の階段が出来ていたので、高所恐撫ヌ気味の私でも登れました。
 
 アンコール・ワットは今やジャングルの中にあるというイメージでは無くなってるので、こんな写真の方がアンコール・ワットに来たぞ!という感じです。
 
 アンコール・ワットのワットは寺院と言う意味、そのままヒンズー教の大寺院なのですが、夜明けにその西から入って直線距離で1.5kmある裏側の東に抜けたので、裏から観た中央祠堂は朝日を受けて輝いています。
 一旦ホテルに戻って朝食です。
 
 続いて高床式の家が散在する田舎道を少し走って、バンデアイ・スレイ(女の砦の意)の観光。
ここは王様の母親の菩提寺として建てられたヒンズー教寺院です。
赤っぽいのと、精緻な彫刻がたくさん残ってることで有名です。
 
 残ってる彫刻は、確かにかなり細かいですので、彫ってる最中に欠けることもあったのでしょうね。
 
 東洋のモナリザと言われてる女神像があるのですが、女神像はたくさんあって、どれがモナリザなのか区別付きませんでした。
 
 こういう細かい彫刻のある建物の後ろに少し緑が映りこんだ写真、私が気にいった写真です。
 
 街へ戻って昼は和食、京都で食べたら2000円でもちょっと高いかなあと思う天婦羅定食、でもご飯が意外と美味しかった。
 外のプールでは、ここの宿泊客が泳いでいました。
 続いてアンコール国立博物館で、石の像ばかり見ましたが、室内では感激は少なかったですが、涼しいのは良かったです。

    返事
Toi tenlaびいさん:私の名前はつね・・・、
    危ない危ない、おもわず名前を言いそうになりましたよ。
花水木さん:ガラス張りだったので、
    周りが写ってしまいました。
     小さいチョコレートアイス3個ぐらいなので、一人で完食です。

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ベトナム・カンボジアの旅2

2020-01-07 | 

 ハノイから30分ほどのバッチャン村は、ベトナムを代表する陶器造りの里です。
「バッチャン焼きは2回焼いてるから丈夫です」と、私の目の前の陶器茶碗を2個強くぶっつけて、高い金属音だけで割れないので、少々驚いた私は、いかにもベトナム陶器らしい柄のマグカップを買ってしまいました。
 
 3日目はハノイ市内の観光です。
文廟(ブンビョウ)は孔子を祀る目的で1070年に建立された廟で、これが入り口の第1の門文廟門です。
 
 たくさん門が有りますが、一番有名な奎文閣(ケイブンカク)を裏側から見た絵は、ベトナム紙幣100000ドンにも書かれてると説明されました。
ベトナムの高額?紙幣は紙ではなく、ペラペラのツルツルの合成樹脂を使用したャ潟}ー紙幣というものです。
 *私がかざしてる100000ドン、0を二つとって2で割るとだいたい日本円になるそうなので、日本円にして500円です。
 
 ここはベトナム最古の大学があって、3年に一度の科挙合格者の名前が刻まれた石碑があり、受験生が合格祈願にこの石碑をなぜてお願いするという、日本の天神さんで石の牛をなぜるのと同じ風習があるそうです。
ガイドさんの説明には孔子の話はあまり出てこず、大学卒業生にしては若すぎるような学生が、卒業式のような正装で記念写真を撮っていました。
 
 11~19世紀に栄えたベトナム王朝の城、タンロン城遺跡も市街にありました。
 
 敬天殿の龍の階段も残っています。
ここはベトナム戦争時にベトナム人民軍の司令部が置かれていたそうですが、北爆では潰されなかったのですかね。
 
 私にとってはある時期ホーチミンさんは英雄でした。
その遺体が眠るホーチミン廟にも行けました。
すごい行列に並びましたが、ちょっと写真を撮った人がベトナム兵士に横に連れ出されたり、帽子を取るようにや2列にきれいに並べなどと、きちっとした行列はどんどん進んで、ホーチミン廟の中に入ります。
暗く冷房された中央に、4人の儀仗兵に囲まれて、ホーチミンさんの遺体は安置されていました。
合掌などで停まれる余裕もなく、列はどんどん進み、あっという間に廟の外でした。
ガイドさんは「昨年見た時より少し頬が落ちている」と言ってましたが、遺体処置はどんなふうにしてるのですかね、ガラスで密閉ではなかったです。
 まあベトナムに行った第1目的は達成しました。
 
 隣にあるホーチミンさんが過ごしていた室内には、マルクス・レーニンと思われる写真ンと共に、何故か日本人形が飾ってありました。
 
 一柱寺(イッチュウジ)は1本のセメント柱の上に楼閣がある仏教寺院です。
蓮の花を模して作られたそうで、その柱の周りの池には、本物の紫色の蓮の花が咲いていました。
 
 旧市街にはこんな教会もありましたが、キリスト教徒は少ないそうです。
 
 旧市街をブラブラガイドさんと共に散策して、ホアンキエム湖周囲の公園も歩き、休憩は湖畔の喫茶店。
 
 最後はガイドさんのおごりで(チップをお腹の子の分もと言って、はずんだせいか)、チョコアイスばかりのベトナムパフェをいただきました。
 
 タイル壁画が並ぶ道を通って空港に到り、ハノイを後にしましたが、中央線を露骨にはみ出して追い抜きをかける車(右側通行なので余計浮ュ感じる)、車の両脇に連なって走る2人・3人乗りのバイク、勇気がないとベトナムは運転できません。
でもバイクの交通事故はしょっちゅうあるようです。

      返事
花水木さん:私には白い靴の流行した記憶はありません。
     ベトナム戦争後約45年、太平洋戦争後約75年、
    残念ながら人は忘れるものなんですね。
大雪男さん:元旦朝5時頃五島上空を飛んでいました。
     あの頃の気持ちを今は忘れてしまっていますが、
    ハノイに北爆の爪痕らしきものは見れませんでした。
     にわかラグビーファンの皆さまも、
    野球中継はだるいなあと言ってるので、
    プロ野球中継ももう少し考えて、大きな視野で写した方が良いと思います。

トイテンラびいさん:片岡知恵蔵主演の探偵映画、
    ある時はセムシ男、またある時は・・・。
    七つの顔を持つ男、多羅尾伴内です。

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ベトナム・カンボジアの旅1

2020-01-04 | 
 
 私の大学時代はベトナム戦争の真っ最中、そしてサイゴンが陥落してベトナム戦争が終わったのは、私が結婚した1975年です。
その後丁稚奉公のような仕事や結婚生活で、政治や世間から離れていた頃も、ベトナムとカンボジアの間ではややこしい戦争が起こっていましたよね。
 その頃は夢にも思ってなかったベトナムとカンボジアへの旅、それもベトナム航空に乗って行ってきました。
 
 関空からハノイまでは3時間半ほどの旅、時差も2時間だけですが、今どきのスマホの時計、自動的に現地時間に訂正されていました。
 JTBのパック旅行なのに、ハノイに着いたのは我々二人だけで、出口で迎えてくれた現地ガイドさんと運転手さんの4人だけの旅になりました。
 早速車でハロン湾に向かいます、一部有料の高速道路も走りますが、結構遠くて着いたら夕方、その日はホテルで夕食食べて終わりです。
 
 2日目の初めてのベトナム朝食バイキング、基本は日本の朝食バイキングと変わりませんが、左のねっとりと甘いヨーグルトは私の好みでした。
 
 世界遺産のハロン湾クルーズです。
天気は快晴とは言えませんが、冬にしては良い天気と、妊婦さんのガイドさんは言います。
 
 小さな船に乗り換えて、上陸後歩いて廻ったスンソット洞窟は、かなり大きな鍾乳洞でした。
 
 日本の鍾乳洞と違ってなんか乾いた感じ、今も水滴を滴らして増殖してる感じは有りませんが、天井は高くて観光客も多いので、私でもそれほど閉所の恐賦エは感じませんでした。
 
 天井だけが違う材質で出来てると思われるぐらい、すべすべした鉢状の波型模様が入っています。
風が作った仕業だそうですが、風紋と言うのかなぜこうなったのか理解は出来てません。
 
 このティートップ島のてっぺんには展望台があって、そこからハロン湾のパノラマが見えるのですが、急な階段に赴Cずいて登るのはやめときました。
 ホーチミンの参謀だった外国人の名前がこの島の名前になっています。
 
 昼は船内でベトナム海鮮料理ですが、めちゃくちゃ美味しいというほどではなかったです。
ここも中国人観光客が多いです。
 
 魚の形をしてるので有名な島ですが、ハロン湾はまったく波が無いぐらいです。
 これで1日はほぼ終わり、ハロン湾クルーズはまずまずでしたが、ハノイから少し遠いのが難点です。
 
 
 ハノイは結構な都会です。
3人も4人も乗ってるバイクや車が縫うように走っていますが、信号は少なくロータリーの交差点ででうまく走ってますが、大阪や京都の運転手でも運転は難しいと思います。
 60階以上ある近代的なホテルに泊まりました。

      返事
トイランラびいさん:また名前を変えましたね。
    七つの顔の多羅尾伴内と呼びますよ。
花水木さん:W杯神戸会場の
    顔出しパネルで撮った写真を使いました。
    弱そうな選手です。

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新年おめでとうございます

2020-01-01 | ノンジャンル
 
  「ございます」が抜けてますが、入りませんでしたので。
今年も気が抜けたようなブログを、どうかよろしくお願いいたします。
予定としては、天皇陵巡りをあと3年以内に終わらして、次の連載にかかりたいと思っています。
あんまり遅らすと、私の命や元気が先に無くなりそうで、心配は少しはしています。
 
 今年の元旦朝の食事は、ベトナム航空の機内食になりました。
 
 食事を終わった頃に、丁度五島上空1万ⅿを飛んでいたので、奈留島や富江の皆様には上から目線でおめでとうでした。
 奈留島や富江で、夕方フークの散歩をしていると、いつも飛行機雲が何本か見えていましたが、今その飛行機雲の原因に乗っているのも不思議と言うか懐かしいです。
 
 関空への着陸態勢に入る前、わずかに東の空が明けてきましたが、雲の中に突入して初日の出は見られませんでした。
 しばらくは旅行記で、また不評の天皇陵巡りに戻りますが、どうかよろしくお願いいたします。

      返事
じょんのびかあさんさん:8月には高校同窓会ありますよ。
和さん:愛読者と書かれると嬉しいです!
    今年ものんびりと頑張ります!
花水木さん:お気軽な人生を送っているので、
    お気軽な内容ばかりとは思いますが、
    天皇陵巡りは途中でやめるわけにはいかないので、すみません。

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