島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

近場の晩秋

2016-12-12 | 京都から
 
12月始め、「妙」の周囲も秋です。
  
 自宅近くのヤマも晩秋です。
 孫を預かる機会があるのですが、孫たちは息子が大学時代にしていたTVゲームに熱中し、会う度に「マリオ・マリオ」の大合唱。
  
 ずっとゲームをねだるので、外に連れ出そうと、近くの宝ヶ池を散歩してきました。
外に出たら元気で、じじばばの2倍は歩き回っています。
 宝ヶ池には越冬する鳥が増えてきてますが、感染など起こらなければ良いのですが。
  
 息子たちともよく行った宝ヶ池こどもの国も、30年以上ぶりかもしれません。
二人が勝手に遊びまわるのをぼおおと座って見てますが、まあ目を離しても良いぐらい大きくなったので、子守も楽です。
  ここも晩秋、私も晩秋ぐらいですよね。

     返事
花水木さん:高校時代に私が胸をドキドキさせて観た映画を、
    TVでしかも女の花水木さんが笑いながら観るってのは、時代ですかね?年齢ですかね?
コメント (1)
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香住にカニ食いに2

2016-12-09 | 
 
 
 翌朝食にもカニが少しついていて、美味しく食べて帰路に着きました。
 海岸沿いを走っていて見つけた看板に従って海に降りた所にあったカエル岩。
2008年2月19日の奈留島時代のブログで紹介した奈留島のカエル岩より、ここのカエル岩の方が立派です。
写真の撮り方によって大きさのイメージがこんなに変わるとは思いませんでした。
  
 豊岡にも寄って、カバン関係の店が集まるカバンストリートで、家内は編んだカバンを買いましたが、外国のブランド鞄に比べたら安い安い、外国のブランド品より日本の豊岡ブランドの鞄の方が絶対に良いような気がします。
 豊岡は100年ほど前に柳行李産業で当たってから、カバンが特産品になったようです。
  
 山陰線の景色で有名だったあの余部鉄橋も、びっくりした転落事故の後、私が奈留島に行ってる間に、なんの変哲もないコンクリートの鉄橋に変わっていました。
  
 その横に少しだけ古い鉄橋を残していますし、もうじきエレベーター付きの見物塔も出来るようです。
  
 古い橋梁も飾ってあって、道の駅があって、それなりに賑わっていましたし、このすぐ近くまで高速道路が出来た時代になっていました。
  
 帰路の養父(ヤブ)で見つけた「山田風太郎記念館」にも立ち寄りました。
高校時代胸をドキドキさせながら観た「くノ一忍法帖」シリーズの作者で、今でも覚えてる「忍法筒枯らし」というおどろおどろしい技や、春川ますみ・緑魔子も出ていたと思います。
  
 忍法帖だけでなく、不戦日記とかなかなかおもしろい作家です。
受付にあった「あと千回の晩飯」を買って帰りましたが、近い年になってなってきただけに、納得することが多い随筆集でした。

    返事
和さん:今回、出石でそばを食べて帰るのはやめました。
花水木さん:花水木さんの忘年会のタカアシガニは立派で美味しそう。
    私はまだ食べたことがないカニです。
コメント (1)
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香住にカニ食いに1

2016-12-05 | 
 
 プロの手品師兼私の往診の運転手さんが、ルメール騎手の家族に西陣の飲み屋で手品を披露し、サインを貰ったそうです。
競馬素人?の運転手さんは、ルメールから三連単を買って、エリザベス・マイルとGⅠを2連勝、15万馬券と4万馬券を獲ったそうで、「今晩は彼女と美味しいカニを食べに行きます」と、往診の帰り道に話してくれました。
 両方とも勝てなかった私も、悔しいので、残念ながら家内とですが、急きょカニ食いに行くことにしました。
 11月の話ですが、その日は晴れていたのに、やっぱり丹波は霧が多い。
京都縦貫道も天橋立の向こうまで開通したので早くなりました。
SAからの砥石ヶ岳の眺めです。(中腹から砥石が産出されたのでこの名です)
 
 20年以上前のNHK朝ドラ「ええにょぼ」の舞台になった伊根町にも寄って、昼ご飯を食べました。
丹後半島を40年ぶりくらいに丸々1周しました。
 
   
 一階がそのまま海につながっていて、船着き場にもなっている、伊根の舟屋の町並みです。
200軒以上今もあるようで、よほど波が来ない地形なんでしょうね。
防波堤もあまりないので、伊根湾がいりくんでいるのと沖に浮かぶ青島に寄って、この風景は生れたと思います。
 
 丹後半島の海岸線をドライブして、久しぶりに水平線を見ました。
福江島の大瀬崎から見てきた水平線の色とは、また違う日本海の水平線の色でした。
  
 丹後半島先端にある経ヶ岬灯台、駐車場から往復小一時間かかると降りて来た夫婦に言われたので、この駐車場から灯台先端を観るだけにしておきました。
 
 この駐車場には、迷彩でカモフラージュした自衛隊車両と、双眼鏡でじっと動かずに沖合を監視する自衛隊員の姿が、まるでプラモデルのジオラマのようにありました。
国家機密でもあるようなので、写真もおそるおそるこの分かり難い一枚だけにしておきました。
  
 泊まったのは兵庫県の香住です。
前日に申し込んでなんとか取れた、5室だけの小さな旅館でしたが、まあ当たりです。
久しぶりのカニは、タグ付きは高いのでやめましたが、食べきれないぐらいで美味しく、大満足でした。
(お腹が大きくなった頃に出てきたカニの天婦羅が思った以上に美味しかったです)
   運転手さんありがとう!!

     返事

花水木さん:ブログを書きながら憶えていますが、
    ダメですね、すぐに忘れます。
     この岩の間は意外と広いので、石塚さんでも充分通れます。
    でも悪い心があればダメですよ。
コメント (2)
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神代の時代0≠V太郎坊宮

2016-12-03 | 天皇陵巡り
 
 イザナギの左目から生れたアマテラスと鼻から生まれたスサノヲは姉弟の関係ですが、皆さんよく知ってるように、暴れん坊のスサノヲは姉のアマテラスノの手に負えないことばかりやりました。
 そこで二人はお互いの心が清らかであることをみるために、スサノヲの持ち物からアマテラスガが3柱の女神を生み、アマテラスノ持ち物からスサノヲが5柱の男神を生みました。
 (私はこのことはまったく知りませんでした)
この意味は解かりませんが、アマテラスは突然5人の男の子を持つシングルマザーになったようです。
5人の男の子の最初の子が、この岩山の中腹にある太郎坊に祀られている、  
  正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツカチハヤビアメノオシホミミノミコト)です。
  
 アマテラスノ息子オシホミミノミコトを祀ってるのは、九州福岡の英彦山にある英彦山神宮(ヒコサンジングウ)で、奈留島時代に行きたかったのですが行けず、近場で祀ってる滋賀県の湖東の八日市にあるこの太郎坊宮に行ってきました。
正式名は阿賀神社(アガジンジャ)と言います。
  
  長い階段を上りました。
 出雲をなんとか攻略し、葦原中国(アシハラノナカツクニ)がすっかり平定されたので、アマテラスはその子であるこのアメノオシホミミノミコトに、かの国に降って治めるように命令しました。
   
 天孫降臨として地上に降りるように言われたアメノオシホミミノミコトは、万幡豊秋津師比売命(ヨロズバタトヨアキヅシヒメノミコト)と結婚していて、その結婚生活が楽しかったかどうか知りませんが、「息子を替わりに降ろします」と返事するやや軟弱な神様です。
  
 この太郎坊宮は岩山ですが、秋には全山紅葉します。
参道にある二つの巨岩は、夫婦岩と呼ばれていて、その間を抜ける人に悪心があると、両方の岩に挟まれるそうですが、私達は(私はけつまずきはしましたが)、挟まれることもなく無事通り抜けて今この文を書いています。

    返事
花水木さん:じじばばが孫まで育てるのが、
    普通のことになってきたようですが、いかがなものですかね。
コメント (1)
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