島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

奈留島海鮮グルメウオークの旅 7

2010-03-15 | 奈留島
  
 日曜日は暖かく、春休みを利用して来てくれた末娘と3人で福江観光でしたが、今日は一転嵐!
全便欠航で、今日は新聞も配達されず、奈留島は孤島になっています。
    
 奈留島海鮮グルメウォークの旅、冠名の奈留島がなかなか出てこず久賀島ばかりのウォークでしたが、五輪からは又海上タクシーで奈留瀬戸を越えて、やっと奈留島江上に上陸しました。
 奈留島の教会と言えば、この世界遺産候補の一つ江上教会です。
奈留小6年生の説明を聞いて、旅行団約70名と教会前で記念撮影です。
 皆に「顔を隠して」と頼みましたが、2人ぐらいしかしてくれませんでした。
     
 ここからはバスで奈留病院隣の離島開発センターまで送ってもらい夕食会です。
 5年前ですか、第1回目のグルメウォークに食事だけ参加した時に、初めてこの鳴神太鼓と漁師さんの船盛り行列を見聞きしびっくりしました。
 それ以来、フークと自転車でついて行ったり、一部分だけ歩いたりで、主に食べるだけの参加が多かったですが、今回初めて日帰りグルメウォークの旅を全踏制覇です。
    
 今回の食事はバイキング形式、デザートまで豪華です。
しかし、第1回目のグルメウォークの時、豪華すぎる料理とその量にびっくりしてしまい(さすがにその時は大幅な予算オーバーだったようです)、その記憶が残っている為その後の食事会にちょっぴり物足りなさが残りますが、これが初めての人はすごく豪華に見えると思います。
     
 日帰りコースは2食付いて、海上タクシーにも乗って5000円でリーズナブルですが、
2泊3日コース(7食付)は、この後次の日や第3日に釣り大会やバーベキュウ、そして陶結ウ室など付いて同じく5000円。
モニターツアーと書いてありますが、これはチョッと安すぎ!
5万円とは言いませんが、せめて1万円ぐらい取って下さい!
来年もこの値段なら、歩くのが嫌いでなければ絶対おとくですので、ぜひ皆様もどうぞ!!
(ただし関西から集合場所まで往復5万円は鰍閧ワす。)
                                    おわり

   返事
hisakajimaさん:西洋の石棺より久賀島のは少し小さいのが可愛く好きです。
喜珍さん:甘い世の中と何ぼ言われようが、今の世に生まれて良かったと思います。
花水木さん:花水木さんにはお世話になっているので、伊豆に行く時どころか
    新幹線が沼津に近づいたら席を立って挨拶する予定です。
コメント (3)
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奈留島海鮮グルメウオークの旅 6

2010-03-12 | 奈留島
     
 蕨から歩いて旧五輪教会に行くと思っていましたが、この蕨の港から海上タクシーで五輪まで行くということです。  楽になりましたが、
この久賀島探索の2番目の目的、寺坂吉右衛門の墓の見学は無理になりました。
日本人なら誰でも知っている忠臣蔵赤穂四十七士、46人は切腹ですが、その中で唯一生き残った寺坂吉右衛門の墓(全国に7ヶ所有るそうですが)が、それなりの理由と共にここ久賀島の福見という所の恵剣寺に有ったのです。
 詳しい話や墓の紹介は、次に久賀島に来る時の楽しみに取っておきます。
負け惜しみですが、旅行した時は何時もその地で何か一つだけ見残しておきます、そしたら以外と又そこへ行けることがありますよ。
     
 海上タクシーは旧五輪教会の目の前に到着。
 五島列島の教会は、昔は海上交通が一番楽だったのか、船で乗り付け易い所に建っていることが多いです。
     
 旧五輪教会は元々浜脇教会として建てられ(1881年)、教会が今の鉄筋コンクリートの浜脇教会に生まれ変わる時に、古い建物を解体し筏に組んで久賀島沿岸をグルット半周してこの地に運ばれ、五輪教会として生まれ変わったようです(1931年)。
その教会も又新しい五輪教会がこの横に新築された時に、旧教会に結んだ綱を船で引いて解体される寸前に、地元の一女性の運動で解体をまぬがれたそうです(1984年)。
     
 その女性というのが今回案内していただき、このブログにもコメントをいただいたhisagajimaさんでした。
     「久賀島ブログ」で検索してください

 旧五輪教会世界遺産に登録されたら、hisagajimaさんは世界遺産崩壊を救った偉人として教科書に載るかもしれません。
その時は私も孫達に「この偉人はお爺ちゃんの友達や」と偉そうに言うつもりです。
 
 時間に急かされて、今回の旧五輪教会から5分もかからないキリシタン墓地には行けませんでした。
 本当は僕が久賀島で一番好きなのは、日本にこんな所が有るとは思えないような、五輪地区のこのドラキュラが出そうなキリシタン墓地です。

   返事
花水木さん:まだ行ったことのない伊豆半島の西海岸は一度行きたいと思っています。
コメント (3)
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奈留島海鮮グルメウオークの旅 5

2010-03-09 | 奈留島
     
 久賀島の東海岸に出ました。
の集落と奈留瀬戸、そしてその向こうには懐かしの奈留島が見えてきました。
奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場の総本山である清巣Zンターの白い建物も拝めます。
 目の前の小さな島は蕨小島と言って、日本一小さい有人島らしいですが、立派な家が建っています。
    
 今回久賀島を歩く楽しみと目的の一つは高麗地蔵、首が長いのでくび長地蔵とも呼ばれているお地蔵さんに遭うことです。
 久賀島の説明のために同行していただいた女性が案内してくれなければまったく判らない、小さな民家のような大師堂が墓地の中に有りました。
     
 その一角に高麗地蔵が祭ってありました。
お供え物も新しく多く、豪華な袈裟?も着ていて、この地区の住民の信仰の厚さがうかがえます。
      民俗学者柳田国男も伝える「高麗島の伝説
 昔、高麗島という富裕な小島がありました。そこに祀られていた地蔵様が信仰深い人の夢枕に立ち、
 「余の顔色が変わった時は、この島に一大事が起こるので、島から逃げ出しなさい」と告げられました。
 その話を聞いた心善からぬ者が、いたずらで地蔵様の顔に赤絵具を塗りつけて、皆を驚かそうとしました。
 それを見た島民は驚いて用意した船でお地蔵様と共に逃れたその後、
 島は海底深く沈んでしまったそうです。
 脱出した人々は久賀島の海老の養殖所近くの大野浜にたどり着き、その後この蕨に移り、
 その人々が使用した井戸は「高麗井戸」と言われ、今もその子孫の「高麗直り」と言う一団の人々が
 この大師堂周辺に住んでおられるそうです。
      
 以前福江の歴史講座で貰った何も着けていない高麗地蔵の写真を見ると、お地蔵さんと言うより弥勒菩薩のような感じがします。
女性的ですので、一時はマリア観音として使用されていた可能性も有るそうです。
   
 この高麗島伝説には続きが有ります。
五島列島の北西30~40㎞の沖に高麗曽根と言う、突然海の真ん中に水深5mぐらいの浅瀬があって、その底には人工の建造物のように見える巨岩があるようです。
奈留島の漁師さんに尋ねたら、「大潮の時は本当に浅くなり、底が見える所がある」と、知っていました。
 この高麗曽根が、沈んだ高麗島の跡だと言われているそうです。

   返事
喜珍さん:奈留町から五島市に変わって、奈留島ゴミ箱霊場は均一化される危機に立たされているのですかね!
    残してもらう為にも最後まで霊場巡りをしておくつもりです。
花水木さん:花水木さんも第2の弾圧者にならないように、
    優しくしてあげてくださいね!
コメント (1)
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奈留島海鮮グルメウオークの旅 4

2010-03-07 | 奈留島
 
 少し又寒くなってきました、天候も不順ですが、この土日は当直なので、それも又好し。
朝の救急車の患者さんも落ち着いているので、昼にブログを書き込んで、夜はどんな風に映画化されたか「極大射程」を見るつもりです。
    
 ある程度足も慣れてきて、歩きの苦痛感もなくなった頃、大きく入り込んだ久賀湾の一番奥にたどり着きました。
干潮か、干潟が広がっていました。 チョッと近道になりそうなので、干潟に降りてみました。
      
 地元TVで一度見た、この辺の干潟の穴に塩を撒くと中から筒状の貝が飛び出てきて、それをつかみ取るそうです。
興味ありましたが、水辺に開いているたくさんの穴のどれがどれか解りません。
      
 遠くに牢屋の窄教会が見えてきました。
 ここは明治になってからキリシタン弾圧があった地です。
     
 牢屋の窄教会の内部にひいてある絨毯の白い部分(10畳チョッと)と同じ面積の牢獄に、200人が詰め込まれ、圧死や蛆に噛まれたりして子供年寄り中心に42人が亡くなった悲劇の土地です。
    
 ウォーキングの好きな人はただひたすら歩き続けるばかりで、ゆっくり見学や休憩をするということがないのか、時間に追いかけられるのか、もう少し余裕を持って歩きたい気はします。
どうも私は自分勝手なので、団体旅行のペースに合わなくて困ります。
 ボーと見てたら、皆から遅れてしまいました。
    
 海老の養殖場とこんもりした二つの弁天島のそばを通って、最後の坂道を登ると久賀島の東海岸にたどり着きそうです。
                                  つづく

   返事
花水木さん:結構地味な写真を好まれるのですね。
      新たな一面を知りました。
コメント (2)
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奈留島海鮮グルメウオークの旅 3

2010-03-05 | 奈留島
    
 浜脇教会でトイレも済まして、久賀島の内陸部を歩きます。
久賀島は島にしては水に恵まれているようなので、棚田も含めて水田が多くあり、久賀米ブランドとして奈留島でも売られていて、食べたこともあります。
    
 もちろん漁業も盛んと思いますが、いずれは五島牛と成るであろう牧畜も行なわれています。
 人口400人台、商店らしい商店や、稼動してる自販機も見当たりません、古傷の足関節が疼きだしてきました。
      
 久賀中学校の立派な校舎の前も通ります。
校門前には、久賀島唯一の信号機がずっと青のまま点いていました。
奈留島にも一機、旧奈留小の前に信号機が有りますが、久賀にこの信号機が点いたのは、私が来てからTVで点灯式をしていたぐらいですから、最近です。
     
 久賀診療所です。  無床診療所で、医師一人体制です。
 私が長崎県離島・へき地医療支援センターの医師募集に応募した時、もしかしたら赴任地はここだったかもしれません。
今思うと、ここではチョット寂しすぎて、私では勤まらなかったような気もしますので、奈留島に配置していただいたことを神に感謝したいです。
    
 久賀島のゴミ箱はだいたいこんなものです。
色々な所でゴミ箱に出会ってきましたが、つくづく思うに、奈留島のゴミ箱霊場は日本一かもしれませんね!
                                 つづく

    返事
花水木さん:留袖にベール姿は、本当に信心深い感じですが、
              喪服に数珠姿は、本当に色っぽいですね!
hisakajimaさん:私得意の妄想の世界ですから、見ないほうが良かったと思いますよ。
コメント (1)
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