島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

奈留島銅像巡り 1

2008-09-13 | 奈留島
 3連休は3連直で、チョットブルーな気分です。
その1日目、雨が降ってきて、本日からのソフトボール大会も順延と、告知放送が告げています。
 本日は比較的患者さんも多く、夕方にはもう10人を超えました、すっかり当直気分です?

 巡り巡りづいて、今度は散歩の時に眺めている、奈留島の銅像を訪ねる旅です。
     
 先ずは、フークの良きドッグラン場に成っている、総合グランドの隣に有る総合体育館
   その玄関横に、「明日への葛エ
     2少女の立像です。
 町制施行30周年を記念して、昭和62年(1987)11月に建立と書いてありました。
作者は、私は知りませんが、佐藤敬助さんです。

     
 奈留病院玄関入って直ぐに目に付く、「やんちゃ医者」と銘のある銅像です。
 平成4年(1992)奈留病院が増改築され、今の姿になった時に出来た像です。
その頃は、奈留町も奈留病院もかなり金持ちだったのでしょうね。
 病院自体の外壁タイルや内装も、金のかかった造りになっていて、この像も余裕を持って作られたと思われます。
 作者はこれまた、佐藤敬助さんでした。

インターネットで調べると:佐藤敬助さん
 長崎大学の教授も兼ねた彫刻家で、大阪の御堂筋の彫刻群に、高村光太郎・ロダンなどと共に並んでいるので、それなりに有名な人のようですね! 子供の彫刻が得意か?

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奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡り 番外編

2008-09-12 | 奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡り
 第6番霊場今○キヌ○宅付近のゴミ箱からは、またもと来た道を、今度は海を左手に見ながら帰ります。
    
 途中、海の向こうに見えてくるのが、総本山清巣Zンターのの白亜の建物と煙突です。
 一旦上り坂に入って、学校の裏を戻って、再び三叉路に行き着きますが、ここを右に曲がってしまうと、又第1番~第5番霊場に戻ってしまうので、「もうこれぐらいで面白無いから戻ろう」とは言わずに、左へ折れて再び坂を下ってください。
      
 途中に、この霊場巡りとは深いかかわりを持つ、し尿処理施設衛生センターを左下の谷間に見ることが出来ます。
   
 ここから海岸に出たところに、福江島の鬼岳からも遥拝できる、総本山清巣Zンターが鎮座しています。
 各霊場から集められたゴミ袋は、ここへ行き着くのです。
その御本尊である平成8年完成の機械化バッチ燃焼式焼却炉や庫裏の参拝は、121ヶ所巡り結願した時の総本山参りの最後までとっておくことにして、本日は外からの参拝だけにとどめて、道を急ぎましょう。
  結願まであと115ヶ所!! 
                    フー!
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探偵ナイトスクープ 奈留高体操

2008-09-11 | 奈留島

 「コメントを承認してから公開」を採用してから、こまめにチェックをしていますが、
書かれたコメントの掲載が遅れていれば、お許しください。
 あの日以後、「いやらしいコメント」は入ってこないので、良かったような、チョット残念なような気分です。
 もう入ってこないようなら、承認を解除するつもりです。

 さて、
やまもも」さんのコメントに、「奈留高体操」があったので、早速調査いたしました。)
 多数の病院職員(職員のほとんどが奈留高卒業生)、数人の役場職員(ここも奈留高卒業生ばかり)、下校中の高校生にも尋ねました。
また、奈留高校にも直接電話して、先生や、30年以上勤めている事務員さんにも尋ねました。
しかし、ほとんどの人がこの体操は知りません。
 (仕事もせずに暇ですね! 言い訳:外科は暇な時は暇なのです! すみません)

 ただし、41歳の病院職員と41歳の役場職員の2人の元奈留高生だけが、覚えていてくれました。 「前転で服が汚れて嫌だった」「葛○純○先生の作った体操です」との、はっきりした証言も得ました。
 
 結局20年以上前に数年だけ施行された体操のようで、今はまったく忘れられた体操のようです。
 「やまもも」さんは、41歳のようですね? そして「浮岡」さんは40前後ではない。
       以上調査報告を終わります。   奈留島以外の人ごめんなさい。
 
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奈留高校文化祭

2008-09-09 | 奈留島
 日曜日、高校の文化祭を、親でもないのに見学です。
    
 今年のテーマは「NEXUS86~繫がりあう思い」、
  確か昨年のテーマは「百花繚乱~98人の花を咲かせよう」でしたから、全校生徒は12人減っているようです。2クラスあるのは3年生だけでした。
   
     
 合唱コンクールもあって、劇は全てミュージカルというかダンス劇です。
皆それなりに、男も女も上手にダンスを踊ります。
 日本の若者のリズム感は、50年で明らかに進歩しているのが実感できます。
出番以外で座っている生徒も、キチット座って行儀がいいです。
  
 吹奏楽部の演奏にまた「羞恥心」が有りましたが、その後の先生の余興でも、若い先生3人が上手に「羞恥心」を歌って踊っていました。
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イカ釣り

2008-09-08 | 奈留島
 
 膿瘍切開した患者さんとしゃべっていて、イカ釣りに連れて行ってもらえることになりました。
   
   本物の漁師さんと一緒に行くイカ釣りの旅です
 土曜日夕方出発ですが、心配なので昼は軽く食べるだけにして、おやつも食べず、おやつは持って行くだけにしました。
 昼過ぎかなり雨が降りましたが、浦湾内はベタ凪です。 また雨が降るなら帰ってこようと、出発。

    
 海岸から10m以上離れると心配になり、地面から5m以上高くにいると不安になる私なので、恥ずかしながら、持って来た浮き輪を早速膨らまし、しっかり足元に保持しています。
   
 終戦が数日遅かったら、少年兵として潜水艦で出発予定だった80歳の漁師さんは、60歳の私よりもはるかに身軽に動き回り、煙草を獅サうに吸います。
 思わず「一本ください」と言いそうになりました。
が、千畳敷の沖に錨を下ろし、波間に漂う頃から、チョット気分が悪く、油断すると酔いそうになり、煙草どころではなくなっていました。
   
 疑似餌をつけた長い糸を、船べりから何本か降ろし、それを手で操りながらひたすら待ちます。
    なかなか当りません
 集魚灯が点いて、いかにもイカ釣りの感じが出てきました。
 三日月が昇り、それでも周囲は漆黒の闇、遠くに巻き網船団の灯が動いています。
が、だんだん余裕が無くなってきました。
   
 やっと私の糸にも一匹、釣れた感じも解らず単に糸を上げてみると、小さなイカがかかってくました!!!
 恐ろしい勢いで墨を吐きます!
    ヤッター!!
 それで緊張の糸が切れたのか、もうダメです!
船べりから海中へ、量は少ないですが、5回ほど嘔吐を繰り返しました。
 食物残渣が、集魚灯に明るく照らされて、海中に沈んでいくのが、やけに鮮明に綺麗に見えて、
   それで終了! THE END   すみませんでした
 港に帰って、早速さばいてもらったイカを、言われたとおりにサランラップに包んで冷凍しました。
 死んでるイカは、まだ吸盤をまな板に吸い付ける元気がありました。
 生きている私は、もう食事する元気はありませんでした。
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