島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

36≠Q孝徳天皇皇后間人皇女

2018-07-28 | 天皇陵巡り
    
 父第34代舒明天皇、母第35代・37代皇極・斉明天皇の間に生まれ、同母兄弟に第38代天智天皇と第40代天武天皇を持つ、貴人中の貴人間人皇女(ハシヒトノヒメミコ)(?~665)は、母の同母弟の計算上は30歳以上も年の違う第36代孝徳天皇の皇后になりましたが、子供は産んでいません。
   
 古代異母兄弟姉妹の結婚はたくさん有りましたし、親族で固めるためにも良かったのかもしれませんが、同母兄弟姉妹の恋は絶対に許されないようです。
以前第19代允恭天皇の息子木梨軽皇子(キナシカルノミコ)は同母妹と道ならぬ恋に落ちて、流罪(死刑とも)になっています。
 間人皇女と同母兄中大兄皇子(後の天智天皇)は、どうも同母兄妹恋をしてしまったみたいで(証拠はない話のようですが)、年の離れた叔父の孝徳天皇に嫁いだ間人皇女には子供は生れませんでした。
同母兄の中大兄皇子が皇太子として夫の孝徳天皇と対立した時は、同母妹の間人皇女と難波長柄豊崎宮を一緒に去っています。
又、中大兄皇子は何度も天皇に成れる機会がありましたが、成らなかったり成れなかったのは、この同母兄妹の道ならぬ恋が原因だったのかもしれませんし、間人皇女の死後やっと周りも納得して即位できたと推測してるのですが、単なる下ネタ好きの私の邪推ですかね。
   
 間人皇女は母親の皇極・斉明天皇陵である越智崗上陵(オチノオカノウエノミササギ)に、孝徳天皇皇后間人皇女として合葬されています。
この陵には斉明天皇が愛したと言われてる孫、中大兄皇子の息子建王(タケルノミコ)も一緒に葬られ、建王墓の名も制札には書いてありました。
 祖母である皇極・斉明天皇が息子中大兄皇子と遠智娘(オチノイラツメ)との間の子建王(持統天皇とも姉弟になる)を、近くで愛せるほどかわいがることがその当時可能でしょうか。
実の娘の間人皇女の子供なら、近くで愛することも可能なのではないでしょうか。
この話すことも出来なかった8歳で夭折した建王は、自分の実の息子と娘の子、許されない中大兄皇子(天智天皇)と間人皇女の間の不幸な生まれの孫ということで、祖母の皇極・斉明天皇はよけいに可愛くて、この幸が少ない3人で一緒に墓に入ることを望んだのではないか・・・・。

   返事
花水木さん:私は昔から券\界相関図とか好きでした。
     金平糖のたとえはおもしろい。
    歳を取ると人間丸くなるというのは、確かに嘘と思いますが、
    女の人の方が、金平糖になりやすい気はします。

コメント (1)
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